【3】文化祭準備
その後、二日目には迅速にパソコンが導入され、書類の処理速度が爆発的に上がった。同時に各地には防犯カメラの設置も開始されて、俺は満足している。
だが問題は――文化祭の仕事だ。
文化祭実行委員会は、各クラスからの選出メンバーと生徒会役員、当日の見回りの風紀委員会メンバーで構成されている。さすがにこちらは、警備員が目立つ形で見回りをしていたら、不評だろうから、風紀委員の皆に頑張ってもらったほうがいいだろう。
喫茶店系の手続きや、庶民の食べるというたこ焼きをぜひ出したいなどと言う要望に、生まれながらの庶民である俺は、いちいち対応しなければならなかった。だが事務的な手続きには、そこまで頭を悩ませることはなかった。困ったことは、別にある。
「……生徒会の出し物?」
当日の、例年通りのスケジュールを会議で決定後……現在ノープランの、午後の目玉らしい、生徒会役員による出し物という項目を見て、俺は頭痛に見舞われた。
多くの歴代の文化祭では、劇が行われたらしい。
抱きたい・抱かれたいランキングなるもので選ばれた見目麗しいメンバーによる劇は、非常に人気が高かった(ような気がする、昨年も。俺は見回りをしていて見ていないが)。
しかし現在の生徒会長は、俺だ。平々凡々な容姿の俺では、舞台映えはしないだろう。
「今年も劇でいいんじゃないのぉ?」
会計が間延びした声で言う。すると、書記になった間宮が微笑した。
「僕も賛成です。新会長も元会長も顔には定評があるし」
間宮は時折俺の顔を褒める。俺は、それを嫌味だと感じている。
「考えるのも面倒だし、俺様も賛成だ。以前にカフェを行った過去の生徒会は、握手会と化して大変だったと聞いてもいる」
磐城も賛同した。しかし俺は、思わず眉をひそめた。
「今から劇の準備をするのか? 舞台装置は? 衣装は? 脚本は? そもそも何をするんだ?」
手間が非常にかかる気がした。すると会計が腕を組んだ。
「演劇部から全部毎年借りてるし、脚本は何か、みんなが知ってる御伽噺のパロディとかでいいんじゃないのぉ? 去年は白雪姫、一昨年は眠り姫だったかなぁ」
その言葉に俺は腕を組んだ。
「女性とはこの学園に存在しない。姫、だと?」
「女装ですね!」
間宮が明るい声を上げた。俺はめまいがした。
「この四人の中のいったい誰が女装をするんだ?」
「貴様がやれ。俺様は王子以外はありえない。俺様が主役だ」
磐城が言った。すると会計と間宮も大きく頷いた。
「――王子? 王子が出てくる御伽噺を扱うとして、例年が姫なら主役は姫じゃないのか……? 磐城、お前が女装しろ。俺は嫌だ。背景の木とかで良い」
「「「ぶはっ」」」
俺の言葉に三人が吹き出したりむせたりした。
「背景の木……笑う。会長、面白いなぁ。俺的にはぁ、木も見たいかもぉ」
「僕も、木はちょっと興味が……」
「却下だ! 劇であっても、折角の恋愛的な空気を、あ、い、いや、なんでもない」
三人の反応を眺めながら、俺は腕を組んだ。
……劇をするのは決定であるという空気だ。
確かに、楽そうではある。演劇部は本格的に劇をするから、短時間で簡単に行うなら予算的にも悪い案ではない。脚本も準備が難しくはなさそうだ。パロディという部分は、女装でいいのだろう。つまり、コメディか?
しかし……女装は羞恥を我慢すれば良いが、その上で女性らしいセリフを口にする自分を想像してみると……気持ちが悪い。なるべくセリフは少ないほうがいい。とすると、眠り姫は寝ていれば良いのだろうから良いが、既に行われているという。白雪姫も毒りんごを食べている期間をメインにすれば寝ていたら良いだろうが、これも使われているらしい。
セリフの少ない御伽噺……一体何があるだろうか?
しばしの間、俺は思案した。そして思いついた。
「人魚姫にしよう」
「「「……?」」」
すると三人が首を傾げた。何やらそれぞれ考え込んでいる様子だ。
それから間宮が手を叩いた。
「なるほど! 声が出ない設定から、つまり、セリフを言いたくないんですね!」
「へ? ああ、なるほどぉ。覚えるのも楽というか、覚えなくていいしねぇ」
「悪くないな。俺様に片思いをする貴様、か」
こうして、生徒会の出し物は、人魚姫に決定した。
その後、様々な準備の傍らで、劇の練習が始まった。
海の表現などは、スポットライト等でごまかしている。
問題は人魚の足部分で……そこのみ、女装らしい感じで、適当なスカートをはくことになった。ま、まぁ、この程度は我慢しよう。しかし、我慢できない問題がひとつ浮上した。
「人工呼吸だと……?」
そうだった。人魚姫は、王子を助けるために、唇を重ねて、そこで王子に惚れるのだった。しかし王子は、その後救助してくれたどこかの令嬢が救ってくれたと信じる悲恋だった。なおこの令嬢は、何故か令息に性別変更がされて、会計がやる事になった。間宮は、人魚姫に魔法をかけて声を封じる魔法使い役だ。
「……人魚王子にして、心臓マッサージに変更しないか?」
これならば女装をしなくて良い。俺はまずそれを提案してみた。
ひらひらのスカートに慣れないというのもあった。
「まぁ性別変更は良いだろう」
するとこれに関しては、我慢しても良いと思ってはいたのだが、あっさりと俺の要望が通った。現在、生徒会室には、俺と磐城しかいない。
「だが、心臓マッサージではロマンティックさに欠ける。人魚姫……王子は、あくまでも恋愛が主題だ。悲恋だ。俺様に振られる貴様は、さぞ見ものだろうな……現実では、俺様の気持ちの方が気づかれていない悲劇だが」
「磐城の気持ち? なんだそれは。やっぱりお前も、俺の女装は気持ち悪いと思っていたんだな」
「ち、ちが……わない! その通りだ!!」
「だったら俺を、海で泳いでいる魚役とかに変更してくれ。人魚王子に変更するなら、人魚だって王子だ。磐城がやれ」
「いいや。それは却下だ――みんな、新生徒会長に興味津々だからな。それにこれは、歴代の会長の重要な役目でもある。自分だけ逃れるというのは、俺様は見過ごせない」
この言葉には、俺も黙るしかなかった。
「ではこうしよう。生徒会としては、やはり啓蒙が必要だ。人工呼吸や心臓マッサージは古い。AEDのレクチャーをかねて、専門的に心停止時の処置を解説する内容にしよう」
「塔屋……中世風世界に、機械はない」
「AEDを未来から、魔法で取り寄せた方向でどうだ?」
「魔法使いの出番は、人工呼吸の後だ!」
その声に、俺は虚ろな瞳になった自信がある。
「考えてみろ、磐城。お前、俺とキスをする真似をしたいのか? 実際にはしないとはいえ」
「実際にするに決まっているだろ」
「――は?」
「劇にはリアリティが必要だ。例年の生徒会役員達は、キスを実際にしてきた」
「え」
「俺様とキスできるなんて光栄だと思え。してやる」
「いやいやいや、冗談はやめろ」
「……まさか、俺とキスするのが嫌なのか?」
「嫌に決まっているだろうが!」
俺が断言すると、磐城が衝撃を受けたような顔をした。
どこか悲しそうな瞳に見えた。唇が、何か言おうとするように震えている。
「き、貴様……ま、まさか、これだけ一緒にいて、俺様の良さを理解していないのか?」
「これだけも何も、まだ生徒会で一緒に活動を開始して一ヶ月半だが?」
「……中等部からずっと一緒だっただろうが!」
「確かに二年のクラス分けからは、同じクラスだった。でもな、お前も俺も、生徒会と風紀の仕事で、教室で顔を合わせたことなんて、ほぼないだろうが」
「それでも俺様は毎日、毎朝、貴様に登校時間を合わせてやって、挨拶をしただろう!」
「ん? そうだったか? 毎朝俺は玄関前に立っていたからな、お前がいつ通過したかなんて覚えていない」
首を傾げた俺を見て、何故なのか磐城が肩を落とした。
「俺様は毎日、貴様の見回り通路にもいただろうが」
「ああ。親衛隊を侍らせて、俺の仕事を増やしていたな。それはよく記憶している」
「あ、あれは、周囲が勝手によってきただけだ!」
「そうか。廊下の中央で迷惑極まりなかった。人が寄ってくるならば、歩行の邪魔にならないように、もっと隅に行ってくれ」
「……貴様だって、俺様を見ると声をかけていただろう? つ、つまり、意識してはいただろうな?」
「ああ。要注意人物として常に意識していた。不純交遊は、風紀の注意対象だからな」
「照れ隠しはやめろ! 貴様が俺にいちいち注意をしたのは、そ、その、つまりは嫉妬も少しはあっただろう!?」
「俺には悪いが、同性に囲まれたいといった欲求はない」
「違う! 親衛隊に囲まれたいという意味ではなく、囲まれている俺様の事を少しは、そ、その、気にして――……無いんだな……」
「いや、だから、注意対象として気にしていたぞ?」
「……俺様に好意があって嫉妬をしたことはないんだな……注意対象……」
磐城の声が、どんどん小さくなっていった。なんというか、雨に濡れた野良の子猫のような、可哀想な瞳をしているように思えた。自信家の磐城でもこんな顔をするのかと意外に思ったが、その表情の理由がわからない。
「だ、だが! せめて、対等な人間としては意識していただろうな!?」
「ん?」
「成績でも俺様とお前は常に首位を争い、スポーツのテストでも争っていた。選抜のAやBクラスを抜いて、学内で一・二を争ってきただろう?」
「そうだったか? 俺はあまり成績を気にしたことはない。そもそも、人間は皆、対等だと俺は思う。特別お前だけが対等だとは思わない。俺は他者を見下す事は基本的にない」
「……抱きたい・抱かれたいランキングだって、非公式完全版の風紀委員メンバー入りリストでは、俺様とお前は上位を争って……」
「なんだそのリストは? 初耳だ」
「……」
俺の言葉に、磐城が遠い目をして、何か諦観したような顔で苦笑した。
「つまり、貴様は俺様を意識したことは一度もなく、ただの要注意人物で――恋愛対象だなんて微塵も考えたことがないという意味でいいんだな?」
「は? ああ」
「後悔しても知らないぞ」
「後悔? そもそも、磐城だって俺を好きではないだろう? 注意するたびに、鬱陶しそうにしていただろう」
「……」
「それより、人工呼吸は嫌だという話に戻してくれ」
「……ああもう、だめだ!」
「は?」
「違う、ダメだ、貴様を煽ってもどうにもならないわけだな」
「なんだって?」
「もっと直球に俺様が積極的に行動しないとダメだとよくわかった」
「何がわかったんだ? 俺にはさっぱりだ。自己完結はやめろ」
意味が理解できず、俺はまじまじと磐城を見た。
すると磐城がソファから立ち上がり、生徒会長専用席に座っていた俺の横に立った。
――そして不意に、俺の肩に両手を載せて、顔を近づけ、じっと俺を覗き込んできた。先程までとは異なり、同時にいつもの自信に満ちたようなニヤリとした表情でもなく、いつになく真剣な顔をしている。
「磐城……?」
いきなりなんだろうと思い、俺は顔を上げて磐城の目を見た。
すると、どんどん磐城の顔が近づいてきた。
奴の瞳に、自分が映っているような錯覚に陥る。
「おい、なんだ……? 離せ、というか、離れろ」
「少し黙れ」
俺が後ろに身を引いて避けようとすると、磐城の右手が俺の後頭部に周り、左手で顎を持ち上げられた。両肩から手は離れたが、先程までよりも強い力で引き寄せられた。
「本当に嫌か、試してみる機会をやる」
「……なんだって?」
「どうしても嫌なら、俺様を突き飛ばせ。貴様にはその力があるだろう?」
そう口にしてから、磐城が改めて俺の目をじっと見据えた。
そして――唇を近づけてきた。触れ合うギリギリの距離で磐城がとまった時、俺は透き通るような、真剣な磐城の瞳に釘付けになっていた。改めてこうして見ると――さすがにランキング一位だけあって、本当に端正な顔をしている。
「キス、してやる」
「……」
黙れと言われたからではなく、俺はなぜなのか、何も言えなくなった。
ただ呆然としたまま、磐城の顔を見ていた。
常識的に考えるならば――ここで突き飛ばせと言われているのだろうが、何故なのか俺は動けなかった。
その直後、ゆっくりと唇を重ねられた。思ったよりも柔らかい感触で、それがキスであると、正確に俺が認識したのは、その一瞬の口づけが終わってからの事だったと思う。
「嫌だったか?」
「……」
「聞きたくはないが――その、生理的に無理だったか?」
「……」
「……」
「っ」
俺は我に帰って、思わず右手で唇を覆って、左手で磐城の体を押し返した。
するとあっさりと磐城は俺から体を離した。
一気に俺の頬が熱くなっていくのがわかった。自分でも赤面している気がした。
「その顔、やめろ。もっとしたくなる」
「……」
「嫌じゃなさそうだな」
「きゅ、急に何を――」
「人工呼吸、できそうか?」
「……」
「できるようになるまで、毎日、慣れるように、俺様がキスをしてやる」
「な……」
「光栄だと思――……う、必要はない。ただ、俺様が、したいだけだ。嫌なら拒め。その権利をやる」
「……」
沈黙した俺を、相変わらず真剣な顔をしたまま、磐城が改めて見た。
「俺様は、ずっと貴様を意識していたし――好きだった。今は、愛している」
突然の、告白だった。
俺にとっては青天の霹靂と言える。
虚をつかれて目を見開いた俺から、磐城が顔を背けた。
「今日の仕事は済んでいる。俺様は帰る。貴様もほどほどにしろ。仕事のしすぎは、管理のできていない証拠だ」
そう言い残して、磐城は生徒会室を出て行った。