7:親衛隊長、取り落とす!



「誰だよ、あああ」

 綾斗様が頭を抱えた。僕はあまりよく話を聞いていなかったので、とりあえずエントランスの扉を見る。

「お客様みたいですし、僕はそろそろお暇しますぅ」
「待って!! 追い返すから!」

 追い返すだと? せっかく脱出できるチャンスだというのに、何を言っているんだ。
 僕はカツ丼を食べ終わったから、もうここに用はないぞ!
 しかし反論する前に、綾斗様が扉に向かった。

 だけどいいよなぁ、さすがは生徒会役員専用のお部屋! インターホンつきだもんな。なんて考えていたら、来訪者はしびれを切らしたのかノックを始めた。結局ノックになるんならインターホン不要だな。綾斗様も今直接扉開けたし。

「誰……って、透馬ちゃんか……」
「その呼び方をやめろと何度言えばわかるんだ」

 響いてきた声に、僕はカツ丼とともに差し出されていた冷たい煎茶を飲みながら、ちょっとだけ目を瞠った。この声は、何様俺様生徒会長の竜宮城透馬(りゅうぐうじとうま) 様の声だ。

「それで? 上手く行ったんだって?」
「今その話いいから。明日話すから。今来てるの」
「なんだと? それは運がいいな。さすがは、俺様だ。で、俺様に会わせないつもりじゃないだろうな?」
「俺だってようやく話せるところまでこぎつけたんだ。邪魔するな!」
「何年かかってんだよ。俺様が盛り上げてやる」

 盛り上げてやるだけ頭に入ってきた。確かにお二人の会話は盛り上がっている。よし、これぞ帰るチャンス! しかしこの二人の会話に割ってはいるのは度胸がいるな。だが僕は男らしさを、男前さを求めている。勇気を出そう!

「お邪魔にならないように、僕そろそろお暇しますぅ!」

 すると二人の視線が揃って僕に向いた。

「いや、いて、歌織ちゃん! お願いだから」
「……お前が最強の親衛隊長、筥崎歌織(はこざきかおる)か!」

 最強の親衛隊……? なんだそれは。

「会費でふえるわかめもひじきも切り干し大根も購入しなかったのは、会計親衛隊だけだ! 歩美の代わりに礼を言う。この俺様が頭を下げるなんて貴重だぞ! それにしても会計親衛隊の統率力は本当にすごい」

 あ、なんか僕おだてられているぞ! 僕はおだてられると調子に乗って天狗になる方だ。気分がいいな!

「それもこれも、お前が『制裁をしよう』という訴えを鼻で笑って聞き流したからだと、もっぱらの評判だ!」

 ? そんな訴えあったっけ? 会長、流石バ会長とあだ名されるだけあって、親衛隊を何か誤解していないか? 隊員を悪し様に言われるとムッとするな!

「少なくとも会計親衛隊の子はみんないい子ですっ、制裁なんてしません!」
「? お前に逆らったら逆制裁を受けるからだろう?」
「え」

 僕は自慢じゃないが、増えるワカメを購入したことは一度もないぞ……?
 会長(敬称略)の中で、僕は一体どんな悪魔になっているんだ。
 しかし、ひじきと切り干し大根は反則だ! 流石にそれはひどい。
 王道君に、タッパ型のジップロックをプレゼントしようかな?
 絶対処理に困るよな。

 そんなことした奴は、食物に対しても最低だ! 僕なら喜んでいつでも食べるのに! 和食つくりは苦手だから、あんまり食べたことがないから、なおさらそう思う。

「綾斗も、筥崎が相手なら、身を守ってやる心配がなくていいな」
「いや、歌織ちゃんの事は、俺が守るから」
「それで賭けはどうなった?」
「っ、それはまだ……」

 賭け、という言葉に意識が引き戻された。まさか僕で遊んでいたんじゃないだろうな!

「賭けって何ですぅ?」
「そ、それは、だから、あの、その」

 綾斗様が大きく動揺した。すると隣で会長がニヤリと笑った。

「お前が経験豊富か否かで賭けてたんだ。――綾斗、ヤった結果、どうだったんだ?」
「それが……」
「さっさと言え」

 経験豊富でたまるか! ヤってたまるか! 僕は何もしないからな!

「……まだ……」
「お前は純情な童貞だよな、本当! 三ヶ月くらい待つ気か?」
「……別に俺は体だけが欲しいわけじゃないんだよ」
「そんなことを言ってたら一年経っても無理だろうが! 焦れったい。付き合ったんならさっさと動け」
「それもまだ……」
「あ?」
「透馬ちゃん、助けて。付き合う方法が俺にはわからないんだ!」
「ま、まだ付き合っていないのか!?」

 僕は勝手にお茶のお代わりを入れながら、何やら口論を始めた二人から意識をそらした。生徒会役員は、皆個性豊かだ。僕はそこが面白いなと思う。毎年似たり寄ったりのタイプだけど。

「あんなに意気込んで、ヤる宣言をした上に、長いこと告白の言葉を考えて桜の木がどうのと言っていたくせに、まだなのか!?」
「桜の木は言った。そこは言えたんだ」
「で? そのこっぱずかしい告白に筥崎はなんて答えたんだ?」

 この煎茶、すごく美味しい。いいなぁ。どこで買ったんだろう。僕のお財布でも買えるだろうか?

「聞けよ」
「え、え? はい?」

 突然強く言われて、僕は驚いてグラスをて落とした。
 すると、ぱりんと割れてしまった。慌てて拾おうとしたら――「痛」
 僕は指先を切ってしまった! 右手の人差し指から血が滲んでくる。

「歌織ちゃん!」

 すると綾斗様が走り寄ってきて、僕の手をつかんだ。
 そして指を口に含んだ。

「!」

 艶かしい指の感触に、なんだかゾクリとして、僕は息を飲んだ。
 指の腹を嬲るように、綾斗様の舌先が動く。
 おかしな感覚が一瞬這い上がってきた。
 なんだろう。

 しかしそれよりも、僕の指にガラスの破片がくっついているかもしれないのに、舐めるなんて危ない! しかも舐めるって効果がないって聞いたことがある!

「綾斗様、は、離し――」
「大丈夫?」

 唇が離れた瞬間、抱きしめられた。その力強さに、思わずドキリとした。綾斗様は真剣な表情をしているから、すごく心配してくれているのが伝わってきたからだ。案外いい奴なんだな……!

「だ、大丈夫です……!」
「本当? よく見せて。今治療するからな」
「平気です。コップを割っちゃってごめんなさい」
「コップより歌織ちゃんが無事でよかった」
「綾斗様……」

 本当にいいやつだな! そう思っていると、吹き出すような笑い声が聞こえた。

「もう付き合ってるみたいなもんだろうが。いやむしろそれで付き合ってない方が異常」

 そうだ、存在を忘れていたが、ここには生徒会長がいたのだ!
 おかしな現場を見られてしまった!
 抱きしめられているんだぞ、僕は今!
 僕は必死で腕から逃げ出すべくもがいた。

「筥崎でも照れるんだな」

 違う、断じて違う! 照れているわけじゃない! 恥ずかしいだけだ!

 こうしてその日の夜は更けていった。治療をしてもらい、僕は会長を残して、綾斗様のお部屋から無事に帰還したのだった。