【二】新たなる毎日
会議室を出て、与えられた部屋に帰り、僕は昨年作った資料室に入った。
いつ必要になるかわからないため、僕は集めた資料を小部屋にまとめているのである(捨てられないともいう)。
その中にある、医術師関係のファイルを開くと、簡単なプロフィールと、魔導具(カメラ)で撮影された写真が出てきた。
名前はエルト=シュタイナー。二十七歳。
この大陸一番の医術師養成学校であるワーグベルン医術学院を十三歳で卒業、と、メモしてあった。黒い髪に深い青の瞳をしている。瞳孔が開いている気がした……。眉間の間に刻まれたシワも怖い。とにかく眼光が鋭い。写真からも威圧感が伝わってくる。骨ばった長い指でメスを構えている。僕の記憶が確かならば、この写真の撮影者は、直後メスの餌食になったのではなかったか……。昨年の医術師担当の秘書官は、二人が死亡、三名が大怪我を負いチェンジだったように思う。
諦めるしかないだろう。
憂鬱な気持ちのまま、僕はチョコバナナシェイクを自作して、それを夕食としてこの日は眠った。
こうして、翌日から僕の仕事は始まった。
早朝五時、僕を含めた戦闘担当秘書官は、集団で転移魔法陣により、その時々の勇者パーティ滞在地の最寄の魔族領地に転移する。そこからは個人移動で、それぞれが担当の相手のそばへと移動することとなる。僕の場合は、医術師のエルトのそばということだ。この時は、僕は少し気が楽だ。何故ならば、夜型のエルトは大抵寝ているからである。その部屋を特定し、僕は窓の外で『午後六時、医術師:睡眠中』と書いておけばいい。勇者パーティは、だいたい午前十時くらいに旅を再開するのだが、そのギリギリまでエルトは寝ているのである。寝ている姿も一度資料として盗撮したのだが、眉間にはシワが刻まれていた。怖かった。何とかして、直接的な接触は避けよう。
続いて旅を開始してから次の宿泊地までの間、ここで我が魔王軍は襲撃を行う。
魔王様は自ら最前線にお出になる。理由は、勇者の心臓である。なんでも、勇者の心臓を食べると不死になるらしい。魔王様は、不死の体を得てさらなる魔界の繁栄を目指しているそうだ。
僕が人間だった頃、僕の弟は度々魔族に狙われていた。理由は、僕達の一族が、癒しの一族という少数民族で、強い回復の力を持つものがたまに生まれ、それが弟だったからであるらしい。不死になれなくても、そばに強い回復能力の持ち主がいれば、死ぬことはないのかもしれない。僕の前世の死因は、弟の代わりに魔族に殺されたという事実がある。だから僕は、魔族がとても怖かった。恨んでいたというより、とにかく当時から恐怖に対象だった。それが今では、自分が魔族だ。世の中とは分からない。
なお、魔界の繁栄というのは、全人間の奴隷化が最終目標である。人間から見れば危険思想である。そのため勇者達は、魔王様を倒すべく進んでいるようだ。わざわざ徒歩なのは、大勢の人間の兵士も少し遅れて進軍しているため、合わせているらしい。勇者パーティと魔王様の戦いの他、人間と魔族の戦争も行われているのだ。
医術師は、大抵の場合、最初は勇者と共に戦う。そしてその日魔王様が連れて行った上位貴族を倒す。魔王様の調子が良い日は、そのまま勇者に加勢し、魔王様と戦う。一対多数だ。魔王様の調子が僕の目から見ても悪い日は、大規模な戦地へと向かい治療に当たっている。魔王様の調子が良い日というのは月に一・二度なので、ほとんどの場合、すぐに医術師としての活動に移る。
だから僕は、倒された上位貴族の名前を記した後は、ひっそりと戦地に向かい、エルトが手当てをしている相手の名前、怪我の状態、処置の内容、その他エルトの指示などの言葉を、遠くから、風の魔術が込められた魔導具で聞き取って、ひたすらメモをしている。僕には学がないので、いまいち内容はわからないが。
この戦争は、だいたい午後四時ごろには終わる。
その後エルト達は最寄の街に到着するか、野宿の場所を選定する。街に入った場合、エルトは最初に現地の医術師や医療関係者と話をして、それから頼まれてその街の病人やけが人を診察したりする。ここでは、僕はそれをメモする。
そして夜。エルトは自分の研究を遅くまでしている。
僕の仕事は夜の八時で終わりだから、二度しか残業をして確認したことはないが、その時は、エルトは夜中の二時過ぎまで研究をしていた。朝が遅いのもわかる。
この日も僕は、白衣姿のエルトが研究室に入ったのを見た夜の八時ごろ、仕事を終えた。
帰宅時も、集団で魔法陣に乗る。
疲れたなぁと思いながら帰宅して、僕は、魔導具(ミキサー)の前に向かい、チョコバナナシェイクを作るのである。魔族の主食は生肉なのだが、偏食なのか、前世の記憶が強いからなのか、僕はそれが食べられない。たまに人間の肉が出てきたのを見てしまった日など、冗談ではなく気絶してしまう。この魔界で、僕が食べられるものは、果物と、チョコレートやバニラアイスといった人間の国と共通の甘味などだけだ。
慣れてくれば、案外平和だった。想像よりは楽である。そう考えられるほどには、余裕が出てきた。シャワーを浴びて疲れを癒しながら、僕はそう考えつつ一人で吐息した。明日もまた同じ一日であることを、全く疑っていなかった。