【九】古代兵器




 その翌日から、僕には医術師との接触禁止令が出た。僕は、エルトの担当から外されたのである。今回もノートは奪われたため、僕が提出しておくここまでの記録は何もなかった。代わりに僕は、人間軍と魔王軍の戦争を担当していた魔族から、莫大な量のファイルを受け取った。大規模な人と人型の戦闘において、最近では発掘された古代兵器などが用いられているようだ。僕もエルトが治療に走るから、それとなくは聞いていたが、資料を見るとその威圧感ある古の兵器は、どこか恐ろしかった。

 僕は意識を切り替えることにした。
 書く。書いて書いて書いて、書く! 時に、   魔導具 カメラ で戦闘風景や使用武器を撮影したりもした。どんな戦略が練られているのかだとか、今回用いられた作戦だとか、そういったものを、たまには人に変装して人間の指揮官に直接インタビューをしたりしながら記述した。多分、僕はこちらのほうが向いている。

 ――そうは思うが、ここは一番危険な最前線である。

 僕は飛んできた石で切れた頬を、指で撫でた。頭の包帯がずり落ちてきたため、もう一方の左手で押さえながら、魔法陣へと向かう。体の色々な所が痛む。帰宅すると疲れきっていて、毎日泥のように眠ってしまう。そんな生活になった。だからエルトのことはもうすっかり忘れて――しまったわけではない。

 時々、仕事の合間にひと呼吸ついた時、僕は気が付けば視線でエルトを探している。見つけられることもあれば、居場所さえわからないことも多い。だが、たまに視界にエルトが入ると、何故なのかそれだけで最近では胸が暖かくなる。僕はその理由が知りたいけれど、知るのが少し怖い気もした。

 このようにして、エルトと出会ったのは初夏になる少し前だったのだが――ときはすぐに経ち、もう残暑の残る季節に差し掛かっていた。響いてくる遠雷と蝉の劈く声に、ペンを持つ手を止める。人間軍は、もう魔界のすぐそばまで迫っている。やはり魔王様が圧倒的に劣勢なのである。

 雷の音が近づいてきた時、僕はふと思い出した。
 弟のことを。僕が弟を庇って死んだあの日も、雷が鳴っていた。
 その日のことを、僕はもう上手く思い出すことができない。ただ、覚えていることを簡単に言うと、魔族が生贄を要求してきて、選ばれたのが弟で、行くのを拒否したら殺されそうになり、かばった僕が後ろから刺されたという、そんな流れだったと思う。今更だが、弟は無事なのだろうか? 転生しているのだから、無事だったとしても、もう何年も前に死んでいるかもしれない。僕の生まれた少数民族の暦と、今のこの大陸や魔界の暦は違うから、僕はあれからどれくらいの時が流れたのかすらわからないのだ。榛色をした、弟の優しい瞳を思い出す。出来ることならば、もう一度会いたかった。

 実は――決して仲が良かったわけではないのだ。
 特に弟は、僕を嫌っていたと思う。神子だと誰もに噂されるだけあって、弟は非常に強い回復の力を持っていたから、何も持たない僕を蔑んでいた。無能な兄が恥ずかしいと、面と向かって言われたこともある。それでもたった二人の兄弟だ。両親が幼い頃になくなったから、僕が親代わりになったつもりで育てた弟である。子供のそんな戯言を僕は気にしなかった……とまでは言い切れない、適宜傷ついてもいた、だが、五歳年下の弟は僕にとって、とても大切だったのだ。

 そんなことを考えた後、魔法陣で皆と帰宅した僕は、自室へと真っ直ぐに戻って、重い体を寝台に投げ出した。手当てをするのが億劫だったが、傷は痛む。ああ、治療しなければ。そう思っているうちに――気づけば僕は眠ってしまっていたようだ。


 翌日、魔法陣で戦地へ移動してすぐ、僕達秘書官を含めて全魔族が、魔王様に呼び出された。こんなことは、これまでにはなかった。何事かと思っていた時、魔王様の右腕である武官長様が事態の説明を始めた。

 ――今朝方から、人間のある国の軍が、発掘したコルツフェルドの古代兵器を起動している。非常に危険であり、その理由は、勿論威力が一つであるが……高度な科学魔導技術を有した今は亡き国の技能を、正確に人間が理解し復古できたとは思えないことこそが真の脅威である。

 そんなお話だった。聞いているだけで恐ろしくなりながら、盗撮用の魔導具で映し出された兵器を見る。僕には……巨大な金属製かたつむりに見えた。

「なお、本件に関しては、勇者パーティの人間も我ら崇高な魔族と同じ考えをしている。これも魔王様のご威光のおかげであろう。無知の騒乱を引き起こしているのは、先日入国したこの一帯を治めるマイネルス王国の国軍だ。相手は勇者達よりもずっと劣る愚劣な人間である。蛮行を止めなければならない。それは大地を守るためでもある。いつか魔王様が支配するこの世界を破壊させてはならない。勇者達とは此度に限り利害が一致する。あちらも兵器使用を阻止しようとしている」

 僕は難しい話はよくわからなかったが、必死でメモを取った。
 どうやら、今日は魔王様と勇者パーティが一緒になって、兵器を止めるという流れらしいというのは、漠然とわかった。同時にコルツフェルドというのは、以前エルトから名前を聞いたことがあったなと思い出す。

「最前線にいる者たちは、特に被害に気を付けよ。大地をも消滅させる平気であるから、人も魔族も見に受ければただではすまぬ」

 魔王様が最後にそう言い、その場は解散となった。


 それから、僕は描写しなければならないから、実際に古代兵器のそばに赴くこととなった。兵器を守る人間の兵士と戦っている魔族の記録を取りながら、その後ろからは偵察部隊の手伝いとして、古代兵器のメモも取る。虹色に光るかたつむりのからは、どこかくすんだ緑色にも見える、不思議な色彩をしていた。非常に人工的である。大きさは二階建ての、僕に与えられた部屋のあるアパートよりも大きい。そこに白くぬめる本体部分がある。頭の触手で周囲を感知し、口から魔術光と音波を放って周囲を誘拐させたり地震をひきおこしたりするそうだった。恐ろしい。これが稼働すれば、魔族を殲滅することは可能かもしれないが、同時に人間も――何より話に聞いた通り、この周囲の大地はただではすまないだろう。これが使用されたら、本当に大変だ。

「う、うわあああああああああああああ」

 その時叫び声がした。慌てて視線を向けると、本体部分を操作していた人間達が口々に恐怖を叫んで後退していた。そうしながら――熔けていった。

「まずい、暴発だ。やはりあの者達に扱うのは無理だったんだ。秘書官C、すぐにこちらも退避するぞ!」
「はい!」

 僕は偵察部隊の魔族に対して、勢いよく頷いた。他の魔族たちも全員が避難を始めた。人間も魔族も、これは逃げるしかない。次第に小さな地震が始まり、そばの崖からは小さな岩が降り始めた。だが表面の大地の方はといえば、泥のように融解を始めている。

 と、とにかく逃げないと!

 慌てて僕はノートを鞄に入れて、その鞄を抱えて走った。
 もう魔族も人間もなく、阿鼻叫喚の中、必死でみんなで逃げる。
 しばらくそうして走っていた時だった。

「あ」

 目の前で、ひとりの人間が転んだ。ブーツの紐を踏んだらしい。
 転んだ拍子に大きな帽子が飛んでいった。そこにいたのは、当時の僕の弟と同じくらいの年頃――十二・三歳の少年だった。マイネルス王国の軍服を着ている。こんな子供まで、戦場に借り出していたのかと、一歩引いた冷静な理性が言った。理性は次に、丁度右の斜め上から降ってくる大きな岩の存在を僕に訴えた。僕の前では、よろよろとなんとか少年兵士が立ち上がっている。しかし足を痛めているらしく、上手く立てていない。このままでは直撃する。そうなれば、彼は人間なのだから、死んでしまうだろう。

 僕が理性のそんな囁きを理解したのは、少年に向かって自分が走っている理由を考えた時である。理性よりも先に体が動いていた。危ない、と思ったのだ。僕は少年を突き飛ばした。ほぼ同時に、岩が僕の上に落ちた。

 バキリと、嫌な音がした。

 骨が折れる音だ。背骨が軋む。肋骨が肺に突き刺さったのか、咳き込むと口から血が溢れた。けれど大丈夫である、僕ならば、決して致命傷になることはない。痛みと熱と砂嵐が一気に僕に襲いかかってきた。僕は涙をこぼしたが、なぜ泣いているのかは自分でもわからなかった。痛いからだろうか。少年を助けられて良かったと思ったからだろうか?

「サイ!!」

 その時声がした。岩が少し浮遊し、僕の真上で粉々に砕け散ったのを、虚ろな瞳で僕は見た。誰だろうかと思うと――そこには、白衣の袖をまくっているエルトの姿があった。

「サイ、大丈夫か? いいや愚問だな、大丈夫に今からしてやる」

 僕の上から岩をどけたエルトは、眉間にシワを刻み、静かに手を伸ばした。僕の怪我を確認するようにしてから、抱き起こしてくれた。

「絶対に死なせない。少し痛いだけだ、すぐに治してやる」

 エルトはそう言いながら、僕を覗き込んだ。この時僕は、エルトは医者に向いていないと確信した。顔が泣きそうになっている。完全に、死に逝くものを見る目をしていた。まるで後追い自殺しそうな顔をしている。こんな顔をされたら、患者さんは不安になってしまうと僕は思う。

「……っ、大丈夫」
「無駄なことは喋るな」
「僕……治癒能力で……致命傷は、治るから……」

 安心させようと思って、僕は必死に伝えた。

「バカ野郎、それは痛みがないということでもないし、怪我をしていないという意味でもない。全部俺に任せろ」

 そうは言いつつ、あからさまに安堵したように吐息してから、エルトが僕の額に、自分の額を押し付けた。その温もりを感じたら、あるいは治癒能力がうまく働かずに今死んでしまうとしても、最後に見たのがエルトの顔というのは幸せだから、こういう死に際は悪くないなだなんて思ってしまった。

 どうしてそう思うのか考えて、僕はひとつ理解した。
 僕は、エルトのことが好きらしい。いつ好きになったのかはわからない。
 けれど、エルトに恋をしているのは間違いない。

 そう気づき、僕はエルトの腕の中で意識を失った。