【十一】最後の挨拶
「前に廃教会で話を聞いて、俺も俺なりに調べたんだ。お前の話に――アルバジル帝国の皇帝の末裔であるレーサイアの一族についての心当たりもあったからだ。俺が知る現在の神子代理の名前はレーア。お前の弟と同じだった。そして本来神子は秘匿されるが、今回は――神子が魔族に襲撃されて死亡したという理由で代理として弟が立っていた。つまり死んだ神子、レーアの兄――それがお前だ、サイ。お前は、シーサイア神を宿した神子なんだ」
「え……僕が?」
「そうだ。能力を見ても確信している。他者に対する回復は単純なる術だ。しかしながら自分の肉体をそれほど治癒できるというのは――それこそ魔王が求める不死に近い。それこそが、シーサイアの能力であり、神子の秘匿された力だと、俺の家の古文書にも記されていた」
何を言われているのかいまいち分からず、ただ、少しだけ不安になって、ぎゅっとエルトの体に抱きついた。そんな僕の背中を、優しくエルトが撫でてくれる。
「だから古来より魔族は、アルバジルの民を狙ってきた。そして暗黙的な了解として、一族は生贄を差し出す事で、他の者の命を守ってきたらしい。無論、それに神子を差し出すわけがない。当時、他者への回復能力が強く、それを誇示していたお前の弟が、神子だと持ち上げられているのをいいことに、お前を自分の代わりに生贄に選ばせたんだ」
「え?」
「お前は弟を庇って死んだんじゃない。実際に生贄に選ばれていた弟が、独りきりでいるはずの祭壇へと魔族を手引きし、最後に会いに行ったお前を襲わせた――これは、推測じゃない。リューク卿から聞いた話だ」
「嘘……そんな、どうして?」
「魔族にとって、それは信仰ではなく畏怖であるそうだが、いくらアルバジルの民のシーサイアの神子の力を欲しているとはいえ、神子当人に害をなすというのは、高位の魔族であればあるほど、いかに恐ろしいことかがわかったらしい。それで自体に気づいたリューク卿は、お前を見つけて保護したそうだ」
僕は目を見開いた。これは、事実なのだろうか?
全く考えてみたこともない事柄ばかりだったから、頭がパンクしそうになった。こちらこそ、よほど僕の頭の容量を埋めていく。混乱が広がっていき、僕は涙ぐんだ。どうしてそんなことになったのだろうか。わからない。これが事実だとすれば、僕は……レーアに、なんというか、嫌われていたということでいいのだろうか。それは昔から分かってはいたが――胸を衝撃が襲った。嫌な衝撃だ。
「サイ、もう何も心配することはない。お前のことは、俺が守る。一緒に来い。人として暮らせ。お前はもともと魔族ではないんだからな」
エルトはそう口にすると、ギュッと僕を抱きしめた。
その腕があんまりにも暖かく思えて、すがりついて僕は涙をこぼした。
僕は、エルトと一緒にいたいと思った。
人間として暮らすというのはよく分からないが、僕は最初から魔族の生活は合わないと思っていたから、引越し自体に迷いがあるわけではなかった。
最後に、リューク様に挨拶をしようと決め、僕はエルトにお願いして話す機会を設けてもらった。待ち合わせは、海の見える公園の四阿となった。その日は、よく晴れた日で、古代兵器の件で魔族と人間の話し合いが行われるらしく、それが終わってから会ってくれるということだった。
木製のベンチに座りながら、時計台の上の風見鶏を見上げる。
ここのところ余りにも多くのことがありすぎたから、なんだか現実感がない。
――そう考えていた時だった。
銃声が聞こえた。それを耳が捉えたのと、僕の右の二の腕に熱に似た痛みが走ったのはほぼ同時だった。咄嗟に振り返ると、そこには険しい顔をしたレーアが立っていた。
「本当に生きていたんだね」
「な、なんで……」
レーアは拳銃を構えたまま、さらに二発うってから、僕に歩み寄ってきた。幸いその二発は、僕には当たらなかった。
「昔から――ずっと妬ましかったんだ。誰かに何かを施すでもないくせに、僕のように意図的に優しくしたりしないくせに、自然体で無自覚に優しい良い人で、誰からも愛されて、その上神子だなんていう守られるべき存在だったお兄様が」
「な……」
「ねぇ、僕のほうがずっと神子にふさわしいとは思わない?」
「ぼ、僕はレーアが神子だって、思ってて、それで、自分がなんていうのは――」
「だったら死んだままでいてよ。ううん、ここで死んで、亡くなったというのを事実にしてもらわないとね。ああ、許せない。ようやくその綺麗すぎる顔を見なくてよくなったと思ったら――よりにもよって、僕がやっと見つけた最愛の人に近づくなんて。それ、どんな復讐?」
「近寄るって……僕は……――レーア、銃を下ろして、話がしたい」
「僕にはもう話すことはないよ。逆恨みだと笑ってもらって構わない。優しいお兄様に、そんなことができるとは思わないけどね」
レーアが手にしている銃口が、真っ直ぐに僕を捉えた。
凍りついたようになり動けない僕は、おろおろと弟を見てしまった。
引き金に手がかかる。ああ、殺される――そう確信した時だった。
「サイ!」
僕は左から庇うように地面に押し倒された。見れば、そこにいたのは、エルトだった。
驚いて息を飲んでいると、僕を静かに抱き起こしてから、エルトがレーアを睨めつけた。
「お前が話し合いの場を、兄に会いにいくという理由で欠席するなんておかしいと思って、着けてみたらこれか」
「――っ、エルト様……あなたは魔族に魅入られているのです!」
「黙れよ――……ああ全く洒落にならない。柄でもなく守るなんて言った直後に、サイを失うところだった――連行しろ」
エルトがそう言うと、ついてきていたらしい勇者が、レーアを拘束した。悲鳴を上げているレーアを見て、駆け寄ろうとした僕を、エルトが制した。困惑している僕を抱きしめて、離さないとでもいうかのように、エルトは厳しい目をしている。
そこへ、リューク様が走ってきた。
「大丈夫か!? 怪我はないか!? 無いな、よし、よーし、医術師、大至急サイから離れて俺の前に立て。サイに触るな!」
「お前の遅刻のせいで、サイは死にかけたんだ」
「っ、サイ……悪かった……」
エルトが腕を離してくれたため、僕は一歩前に出て、リューク様の正面に立った。
「何も謝ることなんてないです……あ、あの、突然お呼び出しを……しておいてなんなのですが、僕、ちょっと弟のところに行かないとならなくなって」
「行く必要はない。安心しろ、勇者に尋問させるだけだ。お前は、リューク卿と話していればいい」
「け、けど、エルト……」
「エルト、悔しいが、医術師の言う通りだ。おいで、少し話そう」
こうして、レーアのことは心配だったが、僕はリューク様と予定通りお話をすることになった。ある意味、別れの挨拶になるのだと思い起こし、僕は少しだけ胸が痛んだ。
最初は、「元気だったか?」みたいな、普通のやりとりをした。それからポツポツと思い出話を雑談のように語った。そうしてしばらくした時だった。不意に、苦笑を噛み殺すように、リューク様が笑ったのである。
「サイ、ずっと言おうと思っていたことがある」
「なんですか?」
「あの日、俺はお前に、『決して人間であったことを言ってはならない。今後は、魔族として生きることになる。魔族に生まれ変わった、そう理解しろ。それ以外に生きるすべはない』と言った。覚えているか?」
「はい」
「これはな、もうわかっているとは思うが、『お前は転生した』と言いたかったわけじゃないんだ」
「え!?」
「なぜ驚くんだ……俺は、魔族のふりをしなければすぐに殺されると伝えたかったんだ。人間に理解のある魔族は、ごく少数だからな。今尚人間は、魔族にとっては食糧だ」
「……リューク様」
「なんだ?」
「僕を守ってくれて、本当にありがとうございます」
ずっと言いたかったことである。僕は深々と頭を下げた。
するとリューク様は、驚いたように息を飲み、それから破顔した。
「良い。これからもずっと、元気でな――安心しろ。あのいけ好かない医術師だが、あれでもコルツフェルドの王の血を引くらしい。本当はサイをどこにも渡したくはないが、コルツフェルドの王の血を引く者が連れて行くというなら運命かもしれない。魔界では死んだと記述しておくから、今度は幸せに生きるんだ」
そう言ってリューク様は、僕の頭を優しく撫でた。
こうして、僕の魔族としての生活は、幕を下ろした。