【四】『俺は国王だ』
するとルカスが溜息をついた気配がした。
『――俺は、二十八年前に生を受けた』
「俺の二つ年上かぁ」
『……同じ年の異母兄と、数ヶ月差で産まれた異母弟が一人――全員男だ』
「派手なお父さんだったんだなぁ」
『っげほ、違う!』
「違うの!?」
『……兄は、一昨年、たった一人の息子を残して、病気で没した。俺の使命は、その甥が育つまでの間、今の仕事をし、間を繋ぐことだ』
「?」
『よって、余計な軋轢を生む事がないように、俺は正式に結婚をするつもりは無い』
「よく分からないけど、大変そうだなぁ。お家騒動かぁ」
雑談の方向性は、俺の予想とは違ったが、推測するのは、より面白くなってきた。しかし俺は派手だと思う。少なくとも二人も異母がいるのだ。ルカスの父親は、三人もの女性を同時進行で愛していたのだ。これは派手じゃないのだろうか? 後宮も真っ青だろう。なにせ、先々代の国王陛下ですら、お妃様は三人だった。先代の若くしてご崩御なさった国王陛下に至っては、正妃様、お一人だけだった。
「だけど、結婚しなくても良いだろうし、子供も作らなくて良いだろうけど――それを理由に、恋もしないっていうのは、ちょっとよく分からないな」
『分かってもらおうと考えて喋っているわけではない』
「うん。だとしてさ、それ……モテない言い訳とか、恋をするのが怖いコミュ障とか、なんか、そっちじゃなく?」
思わず素直に聞くと、扉の向こうから激しく吹き出した気配があった。しかも――その時、なんと、ルカス以外にも、何人もの人々が咽せた気配があったのだ。俺はてっきり扉の外には一人しかいないと思っていたため、驚いた。
「え? 外には一体、何人の護衛がいるんだ?」
『……』
しかし、ルカスも含めて、誰も答えてくれない。すぐに気配も、ルカスのもののみに戻った。
『しかし、お前なぁ。俺が真剣に話しているというのに、その言い草は何だ?』
「本音を……だって俺、一生ここから出られないわけだし、素直に生きていこうと思って」
『――どうだろうな? 出られるかもしれないぞ』
「へ? 例えば、どうやって? 俺、脱走とかそういう、更に刑が重くなりそうなことは、絶対にしないからな」
『妃になれば良い』
「はぁ? 俺は男だし、男が妃になった例は、歴史書を見てもほぼ無いし、そもそもここは牢屋の代わりなんだから、国王陛下が足を運ぶ日は来ないし、仮に来たとしても俺を見初めるとは思えないぞ? どこから来たんだ? その発想こそ」
俺が事実を述べると、ルカスが押し黙った。
『非常に仕事ができる有能なものを、国の責務から、表向きはともかく暗い場所に追いやってしまった事――責任を感じないはずはない』
それからルカスが、静かな声で言った。
『だから直接話してみたいと……――そ、そうだな。そう考える人間は、多いはずだが……話さない方が良さそうだな。お前は、会話をしていると、一切有能には思えない』
俺はその言葉に、ギュッと目を閉じた。親近感を演出するべく、気さくに話していたのだが――ちょっと軽すぎたのかもしれない。週末モードが発動してしまったのだ。俺は、書類仕事は得意だが、別段頭が良いわけではないのだ。
「馬鹿で悪かったな!」
『そこまで直接的に言ったつもりは無い。ただ、ああ。そうだな。お世辞にも、頭はよくないようだな。それは分かっていた』
「……」
『馬鹿が悪いわけではない』
「俺、そんなに馬鹿?」
『……ああ。お前は、まだ、俺が誰なのか気が付いていないのだろう?』
「へ?」
『……これを馬鹿と言わずして、他にどう表現して良いものやら』
「も、もしかして……」
そこでようやく悟って、俺は目を見開いた。
『気づいたか』
「俺の知り合い!? もしかして、特別な面会!? 偽名を名乗ってからかってた!?」
我ながら鋭すぎる洞察結果を述べた時、扉をルカスがガンと叩いた音がした。
『どうしてそうなった!』
「え? 違うのか? うーん」
扉の前で腕を組んだ俺は、その後も暫く考えてみたのだが、ルカスの声にはやはり聞き覚えがないし、そもそも後宮には平民はおろか部外者はやはり入れないだろうし、王宮内の同僚などの中で、ルカスと一致する生い立ちの知り合いはゼロであるし、皆目見当もっつかなかった。
「ルカスは、それで、ええと――誰なんだ?」
分からない事は聞くに限る。俺は質問した。推測ゲームは諦めた。ギャンブルは見極めが大切なのである。
『俺は国王だ』
「その嘘は恐れ多すぎるだろ。やめろ」
『嘘ではない』
「はいはい。じゃあ、どうせ誰もいないし、信じてやっても良いけどさ――さっき外に人がいっぱいいる気配がしたぞ? 大丈夫なのか? 嘘、言ってて」
『だから、本当だと言っているだろうが!』
その時、鍵の音がした。そして、扉が開いた。
唖然として、俺は目を見開く。
「……ルカス陛下……!?」
そこにいた人物を見て、俺は凍りついた。声までは記憶していなかったが、さすがに顔――というよりも、歴代の国王陛下が身につけていた王冠と、上質な衣やアクセサリーに見覚えがあったのだ。キラキラと輝いている。どう見ても、本物だ……!
焦って俺は、膝をついた。硬い部屋の床の上で、必死で頭を下げた。
「理解してもらえたようだな」
「ほ、ほ、本当に申し訳ございませんでした……」
全身から血の気が失せていく。まさか、本物だとは思わなかったのだ。
「立て」
「……」
「今から別の部屋に移ってもらう」
「ま、まさか、本物の牢屋へ……?」
「――それも良いな」
「俺、俺、ここが良いです!」
「冗談だ」
俺を見ると、ルカス……こと、国王陛下が口元にニヤリとした笑みを浮かべた。声が同じなのだから、本人で間違いはない。俺の想定だと、童貞で恋に対する幻想をこじらせていたルカスは、金色の髪と海色の瞳をした、甘い顔立ちのイケメンであり……扉の後ろには、国王陛下専属の近衛騎士団の人々がズラッと並んでいる。本物の監視だったらしき、俺に短刀を渡した青年は、傍らでこちらを見て、ひきつった顔で笑っていた。
「俺はどこに行く事になるんですか?」
「ああ。何やら俺は、モテないコミュ障らしいから、恋が怖くてなぁ」
「根に持ってる……!」
「お前に教えてもらおうと思ってな、オルガ。先程も話した通り、別段俺は、結婚しなくても構わない立場に居るんだ。する場合も、男を選んでも何の問題も無い――どころか、都合が良いんだ。考えてみると」
「……」
「一生この部屋で暮らすのと、俺と雑談可能な、ここより少しましなきちんとした部屋で暮らすのは、どちらが良い?」
それを聞いて、チラっと俺はルカスを見た。顔を上げる。
「だって、外に出て、もし他のお妃様に子供が出来たら、俺の子供だって疑われちゃうかも知れないんですよね? むしろ、そういう事にして、追い出す感じじゃないですか? お家騒動的な意味で」
「いいや」
「断言して、絶対に無いですか?」
「ああ。お前を妃にするという理由をつけて、全候補者を帰宅させる事に決めた」
「え!?」
「我ながら名案だ。いやぁ、まさか、恋に臆病でコミュ障の俺が、ついうっかり一目ぼれしたという記事を、明日の王国新聞の一面記事のネタとして、提供してしまう日が来るとはなぁ――既に根回しを始めている」
嘆くような口調の後、余裕たっぷりに笑ったルカス陛下を見て、俺は気が遠くなりそうになったのだった。