【三】「すみません、あのー、監視の人!」
――三時間後。
「……暇だなぁ」
椅子から寝台に移動して、寝転んだまま俺は呟いた。腕時計があるから、何とか時間は分かる。しかしやる事が何もない。昨日は一日熟睡し、今朝は働く前だったため、体に疲労もない。心臓だけは疲れきっていたが、死刑を回避したと分かってからは落ち着いている。
「……」
このままずっと暇な一生を送るのか。そう考えながら、俺は扉を見た。そしてふと思い立った。
「すみません、あのー、監視の人!」
名前を知らないので、俺は率直に呼んだ。すると薄い扉の向こうから咽せた気配が届いた。
『人聞きが悪い事を言うな。護衛は、護衛としてここにいるんだ』
「護衛さん、あの!」
『トイレか? トイレは奥の壁の壺のようだぞ』
「そうじゃなくて、護衛さんも、もしかして俺と一緒で、一生そこに立っていなければならないのかと思いまして」
『――は?』
「俺は座ったり横になれるけど、ずっと立ってなきゃいけないって、俺よりも暇そうだなと」
『……』
「お互い暇ですねぇ!」
ならば会話が生まれても良いではないか。我ながら名案だと思いながら、俺は告げた。すると咳払いしてから、護衛さんが扉の向こうから言った。
『――護衛にはきちんと休憩時間も交代時間も、帰宅する権利も、鍵付きのトイレに行く許可も、温かい食事を毎日三回とる権利もある! お前と一緒にするな!』
心なしか、怒っているような声音だった。それを聞きつつ、扉の前で、俺は腕を組んだ。
――きちんと反応が返ってくる。
俺の予想だと、護衛こと監視担当者が、きちんと会話に応じるまでには、数日から数週間を要するはずだったのだ。どうせ暇だから、俺は、『監視に日常会話をさせるゲーム』をしようと勝手に考えていた次第である。しかし、手応えがなかった。呆気なさすぎた。これでは、何日で口を開くかという賭けの対象にすらならない……。
『あ、そ、その……言いすぎた……悪気は無かったんだ!』
その上、俺の沈黙を、俺が落ち込んだと曲解したようで、焦る声が響いてきた。俺は吹き出しそうになったが、こらえた。彼は根が良い人なのだろう。
「あの、護衛さんは、お名前は?」
『ルカスと言う』
「ルカスさん……俺はそんなに酷い事をしたのでしょうか……?」
見えないのを良い事に、俺は声だけ悲しそうなものに変え、表情は笑いかけたまんまで、彼に聞いた。名前まで簡単に教えてくれた。良い人すぎるだろう。なんだか、申し訳なくなってきた。しかし、『会話に応じさせる』『名前を聞く』の次の段階のゲームとして俺は、『同情して日常的に会話をしてもらう』という展開に持っていきたいのだ。
ルカスさんが別の人と交代をしたら、その人物とも同様のやり取りを繰り返していけば、少なくとも暇は潰せるはずだ。しかしこの声の主は俺に、「自殺する時は、これを使うようにね」と言った人物とは、声が違う。
『……俺の名前は、ルカスだ』
「はぁ? 聞きましたけど。国王陛下と同じなんて、恐れ多いお名前ですね!」
『っ……そ、そうだな。さして珍しい名前では無いな』
「この国には、かなりの数のルカスさんがいますからね。ほら、国王陛下から取って名づけたとして、特に幼子に多いですね。俺の隣の家の男の子も、同じ名前です。二歳です」
考えてみれば、もうあの子に会うことも無いのか。それは少し寂しいが、雑談が弾んでいるか良いとしよう。しかし、俺の質問に、ルカスさんは答えてくれない。俺、やっぱり、酷い事をしちゃったのかなぁ?
『お前は……オルガという名だったな』
「はい」
『オルガ――悪い事をしたか否かでいうのならば、お前は正しく仕事をしたと思うぞ。それも丁寧に、問い合わせまでして。文官としては適切な姿勢であるし、こういう事態にならなければ、宰相府が引き抜いていただろうな』
宰相府は、文官府の上位の存在だ。さすがにそれは、無いだろう。これはお世辞だな。なにせ、宰相府には、身分なども確かでなければ、入る事が出来無い。俺は由緒正しき平民だ。いいや、違うか。普通、後宮にも平民は立ち入りが許されないから、ルカスは俺が罪人だと知ってはいても、貴族だと誤解しているのかもしれない。
「俺、平民です」
『それが?』
「平民の一番の出世ポジションは、文官府の高官です。あ、監視――護衛だから、詳しくないのか、文官について」
続いてのゲームとして、俺は「気さくな口調を許される仲」になる決意をした。じょじょにタメ語に持っていこう。
『――確かに俺は、文官について、決して詳しいわけではないだろう。だが、出世に制限はないはずだが?』
「ほら、本音と建前ってあるじゃないですか? だから俺もほら、建前としては妃候補だけど、本音としては、ねぇ?」
『っ……それも、そうだな』
ルカスが悔しそうな声で言った。俺は仕事上では人には逆らわないが、特にギャンブルの場においては、人をやり込めるのが結構好きだ。勿論、わざと怒らせたりはしない。自分が正しいと思った時だけ、きちんとそれを伝えるのだ。
「ルカスは貴族?」
『貴族爵位は無い』
「じゃあ俺と一緒だ!」
俺が明るい声を出すと、ルカスが息を呑んだ気配がした。俺は、俺と同じ扱いをされるのが嫌である様子の彼に、「自分と一緒だ」と思ってもらうゲームも始めることにしたのである。
「ルカスは、一番東の花街だと、どの店が好き?」
率直に聞いてみた。親しくなるには、シモの話が一番だ。それに、花街に詳しい俺は、どの店を贔屓にしているか知れば、彼の懐具合もすぐにわかると踏んだのだ。
『っ、げほ。な……破廉恥な!』
「え? 行かないのか? 賢者なの? すご……花街に行かない男が居るなんて……あ、もしかして、恋人がいるのか? 奥さんとか? いや、だとしても、普通一回くらい人生で、行かないか? 行くだろう!」
世界は広い……。俺は衝撃を受けていた。
『恋人はいない。確かに、何人かの結婚相手の候補はいるが、まだ今の所は結婚していない』
「ふぅん。許嫁の候補がいっぱいいる平民って事は、裕福な商人か、貴族の屋敷の使用人か何かの息子かぁ。それで王宮の騎士になるっていうのも、あんまり無いよな。腕が立つのか? 監視って一応、騎士だろ?」
『ハズレだ。剣の腕には自信があるが、それ以外のお前の推測はすべて間違っている』
「え」
俺はその言葉に、衝撃を受けた。そして思った。なんと、ルカスの側から謎解きゲームの要素がある会話が返ってきたのだ――ノらない手は無い!
「ヒントをくれ!」
思わず俺は、明るい声を上げていた。