【二】表向きは『今代初の男のお妃候補』。
俺と上司が揃って勢いよく視線を向けると――そこには宰相閣下と、王弟殿下が立っていた。付き人達は、外で待っているらしい。護衛がいないのは、人払いをしたというのもあるのだろうが、王弟殿下ご自身が、この国で一番強いと評判だからなのかも知れない。
冷や汗がダラダラと浮かんでくる。そんな俺を、二人はじっと見た。
「ご、ご、ご機嫌麗し……く……」
上司が何か言おうとしているのが分かったが、完全に震えていて、上手く声帯が動かないらしい。俺は何を言って良いのか分からない。迂闊な発言をしたら、それこそ死刑に近づいてしまう。
宰相閣下は何も言わずに腕を組み、それから王弟殿下を見た。王弟殿下はその視線を受け止めてから、最初に上司、次に俺を見た。
「働き者だという噂は聞いていたが、ちょっと働きすぎたな」
王弟殿下はそう言うと、俺を見て目を細めた後、深々と溜息をついた。それを見守っていた宰相閣下が、一歩前へと出た。
「――有能な者を、この王宮は求めている。よって、その知恵をさらに、この国のために生かしてもらいたい。そこで、新しい職場を用意した。オルガくんのために」
「え?」
淡々と喋っている宰相閣下を、俺は呆然と見た。
――俺のために?
――新しい職場?
もしかして、左遷だけで処分は終わりか?
俺は非常にそれを期待した。
すると、俺の前に、宰相閣下が一枚の羊皮紙を差し出した。
「本日付で、後宮に入ってもらう」
「――へ? 俺、男ですけど」
「分かっている。優秀な血を残す事に期待しているわけではない」
「はぁ?」
「後宮は、一度入ると一生出る事は出来無い。お前以外は、全員女性で、国王陛下のお妃様やその候補だ」
「……ん? は、はい。当然ですよ、ね? だって、後宮はお世継ぎを得るための……――俺だけ、男というのは、ええと」
陛下が異性愛者だから、だろう。この国では、同性愛もそう珍しくはないが、異性愛者の方が多い。それに同性の場合は、子供が生まれない。国王陛下は後継が必要なのだから、男が妃になるというのは、ほとんど無いのだ、歴史的に見ても。
「後宮にも文官職が?」
「いいや。妃候補の一人として、狭い部屋で暮らしてもらう事になった。一生涯。今回の件、他言されては非常に困る上、有能な者に国外逃亡されるようなリスクも回避しなければならないからな。ただし後宮は陛下のための場であり、万が一お前の種が混ざっては困るので、普段は鍵をかけ、扉の前には監視を置かせてもらう。一生、な」
宰相閣下が視線を逸らしながら言った。いつも堂々としておられるから珍しい姿だ。
「え? も、もしかしてそれって、牢屋の代わりに、表向きだけ後宮へ行くという事ですか? 軟禁というか……ある種の、終身刑ですか?」
「そうだ。ただ少し不備のある書類を、作成しただけのお前に、罪を与えるのは外聞が悪すぎるからな。謁見の間には、人目が多かった」
「つまり死刑にはならないという事ですよね!? やったー!」
俺は前向きに捉えた。すると俺以外の三人が、少し唖然とした様子で顔を見合わせた。人生、生きていれば、何とかなるだろう。俺は、両親が亡くなっているので、葬儀の時からこの考えを一番重要だと思いながら、生きてきたのだ。死刑が回避出来たのならば、まぁ、あとはどうにかなるだろう。
さて、この日の内に、俺は後宮へと連れて行かれた。帰宅する事は許されず、私物も何も持ち込めなかったが、表向きは『今代初の男のお妃候補』として迎えられたので、予算が降りたらしく、それで当面の服を用意してもらう事が出来た。
――俺に与えられた部屋は、明らかに上質な牢屋だった。
窓があって、鉄格子がついている。かなり高い位置にあるため、手が届かない。その下に寝台がある。こちらは柔らかい。後宮の他の部屋から運ばれてきたのだろう。シーツは自分で変えるようにと、部屋に入った時に言われた。他には、床の上に一人がけ用の大きな椅子があり、その正面にはテーブルがある。テーブルの上には、『自殺する時は、これを使うようにね』と言って、俺をここに連れてきた監視官が置いていった短刀がのっている。俺は自殺予定はゼロだが、笑顔を返しておいた。
その監視官は、現在、扉の外に立っている。内鍵は存在しない。外から鍵をかけられた形だ。俺は今後、一生ここで過ごすらしい。扉の下の四角い穴から、日に一度だけ、固いパンと水を与えられるそうだった。
「うーん……」
とりあえず椅子に座り、俺は膝を組んだ。ある意味これは、働かなくて良くなったという状況なのだが……規則正しく働いてきた俺からすると、暇すぎる。
「あ」
さらに、大問題に気がついた。妃には、仕事は無いが、お休みも無いのだ。実際にはあるのかもしれないが、俺には無いらしい。あったとしても、ここから出られないのだ。打てない、飲めない、買えない! 最悪!
妃予算はおそらくまだあるから、頼み込んだら、お酒は買ってもらえるかもしれないが、それもどうだろう……。しかし、酒は無くても良い。飲まずとも居られる。
だが、ポーカーが出来無いのは辛い……。考えてみると、この部屋には娯楽が何もない……。
あとは、右手に頑張ってもらうしかないだろうし、シーツは自分で変えて良いから困らない……かと言われると、こちらも微妙だ。壁が薄そうで、外には常に監視の人がいるのだ。俺はどちらかというと、ひっそりとしたタイプではないのだ……。
「死ぬよりはマシだけど、結構辛そうだな……」
俺の呟いた声が、虚しく狭い部屋に響いた。
こうして――俺の後宮暮らしが幕を開けたのである。