【七】「では、ぜひ、婚約破棄を!」




 ダイニングへ行くと、既にルカス陛下が来ていた。現在も上質な事に変わりは無いが、日中よりは軽装で、白ワインの入ったグラスを持っていた。

「あ」

 俺が座るように促された席には、青い酒が置いてあった。俺の大好きなカクテルだ。陛下はジュースと呼んだが、俺にとっては立派なお酒であり、週に一回しか嗜まない品だ。

「妃業務、ご苦労だったな、オルガ」
「特に苦労はありませんでした」

 ペンの感触を思い出しながら、つい素直に返事をしてしまい、ただの労いの言葉だったと直ぐに思い至った。椅子に座り、ルカス陛下と角をはさんで斜めに俺は腰を下ろす。正面には魚がメインの豪勢な料理が並んでいた。フローララルリス王国の伝統的な王宮料理が並んでいる。全て最初にテーブルに並べておく事が多いと、知識としては知っていたが、俺は基本的に注文してから届く料理ばかり食べていたので、ナイフとフォークを持つ手が少し震えそうになった。しかし文官府の新人研修には、マナー研修もあったので、食べ方は分かる。

「そのジュースで合っていたか?」
「だからこれはお酒です!」

 ムッとして俺は声を上げたのだが、美味しそうな料理の香りで、頬は緩んでいたから説得力はないだろう。そんな俺に対し、陛下が喉で笑った。

「気楽に、食事を楽しんでくれ」
「有難うございます」
「もっと気安い口調で良いぞ。最初の部屋の扉越しに、話していた時のように。一応俺達は、結婚するわけだからな」

 そう言ってワインを飲んだ陛下を見て、曖昧に頷いてから、俺はまずはサラダを食べた。

「食べ方に品があるな」
「マナー研修のおかげで」

 大きく俺が頷くと、ルカス陛下が苦笑した。それからゆっくりとワインを飲み込むと、改めて俺を見た。

「少し、話をしよう」
「何を?」
「――俺は、確かにこれまで、恋愛などはしてこなかったが、ぜひこう言う相手と結婚したいと考える理想像があったんだ」
「つまり妄想をこじらせちゃってたんですね!」
「違う!」

 ルカス陛下は咳き込んでから、ワイングラスを置いた。そしてナイフとフォークを手に取ると、テリーヌを切り分け始めた。

「俺は、政治に口出しできない馬鹿を求めていた。無論、傀儡にされるような――貴族の後ろ盾がある人間も好ましくはなかった。だが、妃業務を考えるに、仕事はできないと困る」

 それを聞いて、思わず俺は、半眼になった。

「何その要求。高すぎじゃ?」
「その通りだ。だが、お前は馬鹿な部分を含めて全てクリアしている」
「失礼だな!」
「黙っていれば、外見も真面目に見えるしな」

 その後食事を終え、俺は席を立った。日常会話は意外と楽しい。今もまだ緊張感は多少残っているが、ルカスと話しているとどことなく気楽だ。国王陛下を相手に気楽というのも不敬だろうが。

「ん?」

 それから俺は、レストに付き添われて部屋に戻るつもりだったのだが――何と隣を、ルカス陛下が歩いている。第四塔まで彼はついてきた。

「あの、陛下」
「なんだ?」
「どこに行くんですか?」
「オルガの部屋だろう?」
「どうして?」

 ベッドはひとつしかない。かなり大きいが。俺の声に、心なしか困ったようにルカス陛下が笑った。

「俺はお前に一目ぼれをした事になっている。既にオルガは俺の正妃候補だ。後宮のお前の部屋で眠らないわけにはいかないだろう。周囲が不審に思う」
「え。一緒に寝るんですか!?」

 絶対に嫌だ。安眠できそうにないではないか。思わず口を半分開けて、俺は虚ろな瞳になってしまった。

「不満そうだな」
「周囲に不審に思われないように、ひっそりとご自分の寝室に戻る裏口とか、後宮には存在しないんですか?」
「それはまだ話せない」
「絶対にあるだろう!」

 思わずそう告げると、ルカス陛下が腕を組んだ。

「お前は毎週末、なけなしの金で、添い寝コースを購入していたようだが」
「そ、それが、何か?」
「その際の娼館の従業員と比較して、俺は頼むに値しない存在か?」
「え?」
「外見・上辺の性格・服装――比較してみろ。しかも値段は、0デクス」

 それを聞いて、俺は目を見開いた。

 ルカス陛下の容姿と服装は、そりゃあもう、娼館の入口に並んでいた似顔絵や出入り口から見かけていた実物よりも、素晴らしいだろう。ちょっと目を惹く。性格だって、俺の添い寝コース担当者達は、仕事終わりで疲れていたのもあるのだろうが、結構……俺に対して酷い扱いは多かった。ルカス陛下を意地悪と評するなら、彼ら・彼女らは楽しい毒舌だった。その上で、1万デクスは必ずかかったが、ルカス陛下はプライスレス……!

 しかし、そう言う事ではない、大問題がある。
 娼館の人々は、仕事だ。つまり、添い寝コースをしてくれる立ち位置の人だ。
 ルカス陛下とは立場が違いすぎる。

「国王陛下が横に居たら、落ち着いて眠れません!」
「国王陛下ではなく、婚約者と考えてくれ」
「それは無理」
「何故無理なんだ?」
「昨日の今日で、まだ陛下について俺はさっぱり知らないのに、いきなり婚約者と言われても……」

 俺はそう口にしてから、歩きつつ溜息を零した。

「平民は基本、自由恋愛だから。婚約は、恋愛してからするものです」
「――奇遇だな。私も常々、婚約してから恋愛をしろと促されて、困っていたんだ」
「では、ぜひ、婚約破棄を!」
「ん? オルガ以外は、無事に婚約の一歩手前で全員後宮から帰す事が出来たぞ?」
「俺は!? 俺は、俺の話を……」
「俺も俺の話をしている」

 ルカス陛下は楽しそうに笑っている。それから視線を少し上にあげて、笑みを深くした。

「オルガとの婚約は破棄をしない。最低一年は、妃予算の件もある」
「あ」

 俺は、昨日喜んでいた宰相閣下の顔を思い出した。確かに、俺が現在の状況になったのは、ついうっかり不正を暴いてしまったからだ。しかも俺は、ついうっかり、本日も裏金作りのダミーらしい書類を手がけてきてしまった。まずい……これでは、暴いても暴かれても、俺も罰を受けるだろう。だが……妃候補をしている間は、重い刑罰――死刑は無いか。無いよな?

「……確かに、娼館にルカス陛下が一般人として働いていてプライスレスなら、添い寝コースを土下座して頼む」
「そうか。きちんとした美醜概念を持っているようで、安心した」

 そんなやり取りをする内に、俺達は、第三塔へと到着した。