【17】よく分からない夜



 この日は、レフェルがレンドリアバーツ侯爵家に宿泊するというので、俺は実家に帰った。叔父と母は、大歓迎――しているかと思ったら、氷のような気配を撒き散らしているレフェルに気圧されているのか、顔が引きつっていた。

 レノンだけが健やかに泣いている。
 結果として、レフェルの相手をするのは、俺となった。
 俺は客間に備え付けの応接席に座り、フェルナードに指示を出して葡萄酒の用意をする。すると、正面に座っていたレフェルがフェルナードを見た。

「リュクス、二人で話がしたい。人払いを」
「ん? ああ、フェルナード、下がってくれ」
「畏まりました」

 こうして室内には、俺とレフェルだけになった。すると、レフェルがすぐに口を開いた。

「本当にイルゼラードで良いのか?」
「しつこいぞ」

 人目がないので、俺は気楽な口調で答えた。昔はいつもこうだった。レノンが生まれるまで一人っ子だった俺にとって、レフェルは兄のような存在である。留学中は、レフェルはこの家で過ごしていたというのもある。

「イルゼラードにお前を幸せに出来るとは思えない」
「既に俺は幸せだ。何を根拠にそんな事を言うんだ?」
「率直に言って、イルゼラードにお前は勿体無い。俺はリュクスほど綺麗で麗しく穏やかで性格の良い人物を知らない。従兄弟である贔屓目を除いても」
「褒めすぎだろ」
「リュクスには幸せになって欲しいんだ」
「俺は今、すごく幸せだぞ?」
「――それは、お前の頭がお花畑だからだ。お前の唯一の短所は、その抜けている所だ」

 レフェルはそう言うと嘆息してから、腕と足を組んだ。

「イルゼラードは、宰相としての地位を確固たるものにするために、正統なレンドリアバーツ侯爵家の伴侶を欲しているのかもしれない」
「?」
「侯爵家同士で縁組をするというのは、そう言う事だ。今後イルゼラードには、クロス侯爵家の他に、レンドリアバーツ侯爵家もまた後ろ盾として存在する事となるだろう」
「宰相閣下のお役に立てるなら、俺は嬉しい……」

 俺が思わず頬を染めると、レフェルが頭を抱えた。

「跡取りについては、どう考えているんだ?」
「うちにはレノンがいる」
「イルゼラードには? クロス侯爵家には、養子縁組可能な誰かがいるのか?」
「レフェルは詳しくないかもしれないけどな、この国では男同士の婚姻は珍しくないし、遠縁から養子をもらう制度が広く根付いてる」
「……妾を貰う制度も根付いているだろう? 生涯お前だけを愛してくれると思うのか? そもそも今現在、お前の背景以外も愛していると、確信が持てるのか?」
「持てる!」

 俺は宰相閣下を信じている。それで良いではないか。もし仮にいつか、宰相閣下が俺以外を好きになったり、第二夫人に迎えたとしても、俺は構わない。そりゃあ嫉妬はするかもしれないが、俺は宰相閣下を既に愛してしまっているのだ。

 その時、ノックの音が響いた。

「失礼する」
「宰相閣下!?」

 なんと入ってきたのは、宰相閣下だった。

「イルゼで良いと、何度も言わせないでくれ」
「イルゼ……」

 宰相閣下の姿を見ると、自然と俺の両頬が持ち上がった。一方のレフェルは不機嫌そうだ。

「折角の従兄弟同士の会話の場に水を差しに来る恥知らずが、帰れ!」
「レフェルが昔のごとく考えすぎのネガティブな思想をリュクスに吹き込んでいたらと思うと不安で、つい足がこちらへ向かってしまったんだ」

 宰相閣下はそう言いながら、俺が座る長椅子に一緒に座った。俺は卓上のボトルから、葡萄酒を注ぐ。それを宰相閣下に差し出すと、宰相閣下が微笑した。するとレフェルが目を見開いた。

「イルゼラード!? お前の笑顔を、俺は初めて見たぞ!?」
「好きな相手を目にしたら、自然と顔も緩むだろう」
「――暗に俺が嫌いだと?」
「俺はリュクス以外を愛する予定は無い。当然お前を好く可能性はゼロだ」

 レフェルに対して、宰相閣下が冷たい表情で言い放った。王宮でよく見かける表情ではあるが、俺にこの冷静な顔が向いた記憶は、今の所無い。冷血や冷徹というよりも、俺には冷静に思える眼差しだった。

「大方、俺が地盤を固める為に結婚を考えているといった戯言を口にしていたんだろう?」
「立ち聞きか?」
「聞かなくても容易に想像がつく。俺は、リュクスが侯爵家の人間であろうがなかろうが、愛し続ける自信しかない」

 宰相閣下はそう言うと、俺の肩に手を回した。近距離で感じる体温に、俺の心臓が騒ぎ始めた。

「そもそも、そうだとしても、自分がリュクスに相応しいと思うのか? お前は俺の一つ年上だぞ? 十三歳も年の差があるんだぞ?」
「……」

 レフェルの言葉に、宰相閣下が一瞬動きを止めた。それから俺を見た。

「確かにリュクスは若い。俺には勿体無いとは思う。だが、な。俺は欲しいものは貰うタイプだ。年の差なんていくらでも埋めてやる。そのくらい愛しているんだ」
「お前の口から、あ、愛!?」

 レフェルが驚愕している。俺は思わず照れてしまった。年の差というが、俺には宰相閣下は若々しく見えるし、大人の魅力が漂っているようにしか思えない。

「明日、開催予定の、レフェル――ミナリスタ公爵の歓迎の夜会には、婚約者としてリュクスを伴う。その場で正式に公表させてもらう」

 宰相閣下はそう言うと、葡萄酒を飲み干した。そして睨めつけるようにレフェルを見た。

「――それはそうと、ユースは現在、リュクスの部隊の副隊長だ」
「え? そ、そうなのか?」

 レフェルが驚いたように、俺と宰相閣下を交互に見た。

「お前こそ長い片思いに終止符を打つか、結婚したらどうだ?」

 何故なのか宰相閣下が勝ち誇ったように笑った。するとレフェルが真っ赤になった。
 こうしてよく分からない夜が過ぎていった。