【十】兄に後宮を持つように進言したら、冷戦になる未来。
――十六歳の冬が来た。
無事に二次性徴も終わった俺は、目線と同じ高さになった窓に手を添えて、遠くに見える医療塔を見た。幸い、この年、医療塔の取り壊しはなかった。最初は俺がいるからかと思ったのだが――なんでも、ユーリスが議会で、薬草の有効性を唱えたため、取り壊し案がなくなったらしかった。さらにユーリスの生家であるアルバース子爵家が輸入した苗で、大流行していた食中毒がピタリと止まったため、その栽培をしている医療塔への注目度は高まっている。
取り壊しがなかった事の他に、この件により、俺の記憶よりも早いが、アルバース子爵家は、伯爵位を賜っていた。アルバース伯爵家となったのである。また、ユーリスを次期宰相にと推す声が出始めているというのも、噂で聞いていた。まぁ、俺は国政には関わらないのだから、どうでも良いが。
どうでもよくないのは――兄に、後宮を勧める件である……。
どのように切り出せば良いのか、いまだに俺は逡巡している。
この日も悩みながら、溜息をついた。窓が少し曇った。
「どうかなさったんですか?」
するとお茶を手にやってきたユーリスが首を傾げた。
振り返り、俺は腕を組んだ。
考えてみると、腹黒いユーリスは、非常に頭が回る。なのだから、こういう時の良い案を何か持っているかもしれない。
「兄上に後宮を持つように進言することになっているんだ」
「なるほど、ウィズ殿下も適齢期ですからね。しかしまぁ、言い出しにくいでしょうね」
「なぜだ?」
どうして言い出しにくいと知っているのだろうかと、俺は驚いた。
まさか今後の展開を俺が知っていると、悟られたわけではないだろう。
「あれだけ溺愛されていたら、迂闊に言えないでしょう」
「……」
「ちょっと度を越えてますからね、ウィズ殿下の愛は。麗しき兄弟愛というにはちょっとなぁ――あ、申し訳ございません、つい本音が」
「兄上は俺に良くしてくださる」
俺は適当に濁した。確かにあのブラコンっぷりは、傍目から見てもやばかろうとは思う。当事者の俺自身でも引くほどなのだから、見ている周囲だって引いているだろう。
「それはそうと、兄上に結婚するように伝える、何か良い言葉はないか?」
「――そうですね、言葉というか……」
「何か案があるのか?」
「ほら、フェル殿下も結婚してしまえば良いのではないかと」
「なに?」
「弟殿下が結婚したとなれば、もちろん第一王子殿下だって結婚を意識するかなと」
納得してしまった。言われてみれば、その通りだ。
「参考になった」
これは良い案かもしれない。
さらに俺は、婿入りについて考えた。そして、結婚先で、悠々自適な生活を送るのだ。最高ではないか! 軌道修正も図ることが可能だ! 俺の最終目標はスローライフなのだ。
「誰かいい結婚相手はいるか?」
「まぁ俺としては、今後の国交を考えて、隣国の高位貴族か皇族が望ましいと思いますが」
「それは無理だ」
俺は首を振った。隣の帝国は、人間同士の戦争まで込みで、どう考えてもこの国よりも忙しいから、却下である。確かにハロルドの伝手で、婚姻相手を見つける事は可能だろうが、忙しいところに望んで行く気などない。
「ご希望とかはあります?」
「薬草学に秀でている、自然と触れ合う環境の家の、適度な爵位の貴族が良い。俺の体調面の事もあるからな」
「フェル殿下、それは俺へのプロポーズですか?」
続いた声に、俺は咽た。お茶が変なところに入った。
た、確かにユーリスの家は、この条件にぴったりだった……!
「馬鹿な事を言うな。それだけはあり得ない!」
「失礼しました」
「もういい、下がれ!」
「では、また明日」
吹き出すように笑って、ユーリスは帰っていった。俺は思わず溜息をついた。
さて、翌日。
そろそろ言わないと、本当に父上に怒られると思い、俺は兄上を呼び出した。
「兄上、お話があります」
「ああ、医療塔の件か?」
「え?」
「ユーリスが熱心に、お前のためには医療塔が必要だと言っていたから、俺も取り壊し反対に賛成したんだ」
「……俺のため?」
「ああ。良い配下を持ったな、俺達は。ユーリスが宰相になってくれたら、この国は安泰だ。ユーリスは、お前が毎年流行る冬の病の特効薬になり得る薬草を見つけたと言っていたぞ」
「え」
兄上がそう言って、俺に見せたカゴには、父上を救う薬を作るための薬草の類縁種が入っていた。確かに今年、俺はこの株の栽培に成功したのだ。来年には、必要な薬草に近づける事が出来るはずで、そのためには医療塔の取り壊しや移転は困るのである。魔力を含んだ土が必要だからだ。だが――偶然だろうか? この薬草をピンポイントでユーリスが挙げたのだとすると、少し気になった。
だが、今の用件は、これではない。俺は、改めて兄を見た。
「兄上、そうではなく、もっと別のお話です」
「なんだ? フェルの頼みならなんでも聞こう!」
――あ、言質が来た。そう思ってしまった。
「ならば、大至急後宮を持って下さい!」
「え」
「ご結婚を!」
俺の言葉に、兄がポカンとした。呆気にとられたように口を開けている。
さらに念押ししようと、俺は身を乗り出した。
「兄上は、この国を治めるお方です! 一刻も早くお世継ぎを!」
「な」
「俺も結婚するので!」
「――へ?」
俺が続けると、兄が硬直した。そして、上から下まで、二度ほど俺を見た。
「結婚? 結婚だと? お前が?」
「はい!」
「どこの誰とだ!? 許さないからな!! 絶対に許さない!!」
叫ぶようにそう言うと、兄が立ち上がった。
そして激怒した様子で、出て行った。出て行く直前に俺を見た時の瞳の色を、俺は忘れる事が出来なかった。前世でも、あの怒りに燃える瞳は見た事がある。え……?
嫌な予感がした。
結果――それは、当たってしまった……。
その日から、兄は俺を見ると、無言で睨みつけるようになったのである。一言も口を開かず、さっといなくなるのだが、いつも同じ空間にいると、俺を睨むようになった。なんという事だ……! 冷戦が発生してしまったのである。やはり、後宮を勧めるべきではなかったのだ……。ブラコン鬱陶しいとは思っていたが、この険悪なムードとどちらが良いかと言われたら……まぁ正直その点は悩むところではある。問題は、恨みを買って処刑されたら困るという点である。兄がまとわりついてくることに関してではない。だからいないならいないで問題はない。ただ、なぜなのか辛そうな顔も見かけるため、ちょっと心苦しい。兄は悪い人ではないと俺は思うのだ。今世に限っては。
さて、その次の春、俺は衝撃的な知らせを聞いた。
兄の発案で、ユーリスの完璧な根回しの結果、この国の結婚制度に法改正があったのである。なんと――王族も男同士で結婚できるようになったそうなのだ。民衆の反応は意外にも好意的だった。さらにこの手腕から、ユーリスが次期宰相に内定したという話も聞いた。これは俺の記憶より、ずっと早い。
こういう予想外の変化もあるんだなぁと、俺は漠然と思ったものである。