【十三】苦手な下ネタは自分から突っ込めば、こちら側には深入りされないかもしれない。


 俺は十八歳になった。飲酒が解禁された。  前世からの禁酒というわけではないが、今世で初めて飲んだ時は、開放感があった。  今も賢者――こと、ワイズと共に酒を飲んでいる。『いつもの店』だ。  現在では、確かにこの店が、いつもの場所になっている。  なんの変哲もない大衆酒場であり、カウンター席とテーブル席がある。  俺とワイズは、大抵入口脇のテーブル席に陣取っている。  意外とこの位置は、人目につかないのだ。  なお、昔と違って、夢を語り合う事はない。 「魔族の活性化が止まらないんだ」  最近は非常に現実的な話をする事が多い。ただ、今のこの話題に限っては、前世と同じだと判断出来た。前世でも、俺が十八の年に、確かにこの話題を聞いたのだ。 「僕がこの国に滞在している間だけでも、二十は国が無くなったみたいだよ」 「そんなにか?」 「まぁ防衛策を持たない小国が大半だし、魔族だけが原因とは限らないけどね」 「どういう意味だ?」 「例えば、混乱に乗じて帝国は国土を広げているし」  俺は静かに頷いた。ジョッキを傾ける。  ハロルドの即位はまだだ。記憶が正しければ、ハロルドの前の皇帝は、非常に残虐だったように思う。それをハロルドがクーデターを起こして倒したのではなかっただろうか。 「ところで、フェル」 「なんだ?」 「閨の講義は始まったの?」  思わず咽せた。実は、十八歳からは、婚姻に備えて、閨の講義があるのである。本来は、貴族の未亡人を相手にするのだが――少し前に法改正があった。そのため、男性との実践経験も持たなければならないと聞いた。正直俺はそれがやりたくないため、女性も含めて、講義をそれとなく拒否しているのだ。半分酔っ払っているワイズは、ニヤニヤしながら俺を見ている。溜息をついてから、俺は頬杖をついた。 「どうだっていいだろう?」 「えー、興味ある。フェルって肉食獣っぽいけど、案外ストイックな気もするから、どっちなのかなぁって」 「試してみるか?」  俺がそう言うと、ワイズが酒を吹いた。大きく咳き込んでいる。顔が赤いのは、酔いのせいではないだろう。 「なんで赤くなってるんだ。なにを想像したんだ?」 「え、いや」 「賢者様ともあろう人が、随分と初心だな」 「っ、げほ」  少しの間、俺はワイズをからかって遊んだ。とはいえ、俺も人のことは言えないだろう――実を言えば、下ネタはあまり得意ではないのだから。 「そ、そういえばさ」 「話を変えたな」 「……っ、あー、その、あれ! あれだよ、あれ!」 「なんだ? お前の初体験の話なんて、大昔過ぎるだろうから聞かなくていいからな」 「ち、違うから!」  だからこそ、自分から話を振るのだ。そうすれば、こちら側には深く突っ込まれない。 「――真面目な話だよ」 「それこそなんだ?」 「『巻き戻しワード』は、見つかった?」  その言葉に、俺は首を傾げた。初めて聞く言葉だった。 「どういう意味だ?」 「分からないならいいよ。見つかっていないということだから」 「待ってくれ、具体的に話してくれ。言葉ワード?」 「フェルは、ほら、二回目でしょう?」  なにが、とは聞かなかったし、俺はもう、ワイズが俺について知っていると考えている。  俺が生まれ直した事を、賢者は見抜いていると思うのだ。  そして、彼は今の俺とも友人でいてくれる事を、誇りに思っている。 「戻る契機になる言葉があるはずなんだ。特定他者の命懸けの言葉。それは未来かもしれないし過去かもしれないけれど、必ず耳にしているはずなんだ」 「そう言われてもな」 「最初と今回で、共通している誰かの言葉はない?」 「お前がさっき言った『魔族の活性化』という言葉を含め、多数ある」 「そ、そっかぁ……困ったなぁ」 「何が?」 「それを見つければ、最初と今回で変更可能な未来もあるんだ」 「! つまり、変更不可能な未来もあるのか?」 「これ以上は僕の口からは何も言えな――」  賢者がそう言った時だった。勢いよく、店の扉が開いた。 「聞いたか!? 隣国でクーデターだとさ!」  店内がざわついた。  ――今日だったのか。俺は漠然とそう思った。  目の前では、ワイズがジョッキを傾けている。 「こういうね、歴史の流れだとか、変わらないものはあるよね」 「なるほどな」 「帝国は代替わりがあると、即位式典が行われるから、忙しくなるなぁ――そうだ、この国にも招待状が届くだろうし、僕は必ず招かれるから、一緒に帝国に行こうか?」 「悪くないな」  俺は頷いた。なにせ帝国は、亡命先の有力候補でもある。  一度くらいは実際にこの目で見ておきたい。  それに、久しぶりにハロルドにも会いたかった。  ――さて、俺と賢者がともに帝国へと旅立ったのは、それから半年後の事だった。  賢者の予想通り、即位式典に招かれたのである。  交友関係があったからだろうが、俺が呼ばれた。  ……有力国であるから、本来は、王位継承者が招かれる。ここで王位継承権争いが起きたらどうしようかと悩んだが、その日程が、王妃様の生誕祭と重なったため、招待状が俺宛てでなかったとしても、兄ではなく俺が行く事になっていただろうから、安堵した。宮廷では、帝国皇帝が事前に、次期王位継承者の母である王妃様に配慮したのだとして、感動の声があがっていたものである。  馬車で十日かけて、その後水路を二日行き、再び馬車に一日半ほど乗って、やっと帝国の宮殿へと到着した。帝都ワイゼルブルクである。巨大な宮殿は、俺の国のものとは違って、屋根が丸い。建築様式が違うのだ。帝国の方が、少し新しいのである。歴史の長さは、俺の国の方が優っているのだが。なにせ、最初に大陸に入って国を作った人間である始祖王の末裔が、俺達なのである。だからなのか、武勇伝的な神話しか聞かずに育ったので、以前聞いた恐ろしい伝承は予想外だった。 「久しぶりだな、フェル」  王宮に着くと、すぐにハロルドにそう言われた。  俺は、玉座の間で、ハロルドと再会した。俺の右側にはラクラス、賢者は左側にいる。一歩後ろには、外交官役も兼ねているユーリスと護衛のライネルがいる。  ハロルドは、俺が来るのを待っていたらしい。満面の笑みだ。  温かく迎えられると、こちらも気分が良い。 「ああ、久しぶりだな。皇帝就任おめでとう」 「不可抗力だけどな。俺は皇帝というガラじゃない。ただ、まぁ――頑張ろうとは思ってる」 「応援してる」  本音である。より良い国を作り、俺が亡命した際には、過ごしやすい環境にしておいて欲しいと願った。俺も笑顔を浮かべていると、玉座から立ち上がって、ハロルドが階段を下りてきた。見守っていると、俺の正面で立ち止まり、少し屈んだ。骨ばった指先が、俺の頬に触れた。なんだろう? そう思っていると、覗き込まれた。唇が触れそうなほどに近い。 「――すごく会いたかったみたいだ」 「?」 「なんだろうな。用件も無いのに、誰かに会いたいと思ったのは初めてかもしれない。いいや、まぁ、用件が無くはないんだけどな」 「ハロルド?」  あんまりにも距離が近くて、俺は狼狽えた。ドキッとしてしまう。  真剣な瞳に、目が釘付けになった。何を言われているのか、うまく飲み込めない。  すると――右側から腕を引かれた。ラクラスが俺を引っ張ったのである。  俺を抱きすくめながら、ラクラスが目を細めた。 「フェルに近づくな」 「ここは俺の宮殿だ。召喚獣に命令される覚えはない」 「黙れ」  ハロルドがスっと目を細めた。ラクラスの方は、明らかに睨んでいる。  どういう状況なのかよく分からず、俺は困惑するしかない。  一応主人としては、ラクラスを止めるべきなのだが、ラクラスは俺に不都合になるような行動はしないと思うから、これには何か意味があるのかもしれない。ならば止めてはいけないようにも思うが、ハロルドの宮殿であるのは間違いない。ぐるぐるとそんなことを考えた。すると、左側で吹き出す気配がした。 「まぁまぁ、フェルが困ってるよ。奪い合いは、謁見時には相応しくないんじゃないかな」  賢者の言葉に、ハロルドがバツが悪そうに顔を背けた。  ラクラスは、俺を離さず、ワイズを一瞥した。 「人間の決めた規則なんぞ知らん。俺には無関係だ」 「けど、召喚獣を召喚しているのは、人間の決めた規則通りの魔法円だよ」  笑顔の賢者の言葉に、ラクラスが黙った。そして珍しいことに溜息をつくと、俺から手を離した。俺は腕を組んで、ワイズを見た。 「賢者様は、やり手ですね」  後ろでそんな事を言ってユーリスが笑っていたから、なんとなく脱力してしまった。  ユーリスとワイズは、直感的に気が合いそうだなと感じた。  その日の夜は、ハロルドに、二人で飲みたいと言われた。俺にあてがわれた迎賓館の部屋に、夜会後にハロルドがやってきたのである。さてこの部屋であるが――召喚獣は立ち入れないようになっていた。理由は、召喚獣専用の迎賓館が隣接していて、帝国のもてなしの形式として、召喚獣は全てそちらの部屋を一つずつあてがわれるからだった。これはラクラスだからではなく、全てにおいてであるらしい。  寝台のとなりのソファに座り、俺とハロルドは夜更けまで酒を飲んだ。  ――そして俺は酔っ払ったらしい。 「ン……」  目が覚めると、朝の光が差し込んでいた。  瞬きをして、それから目をこすろうとして、体が動かない事に気づいた。  気づけば俺は、ギュッと抱きしめられていた。  ベッドの上で、シーツをかぶっている。隣で俺を抱きしめて眠っているのは、上半身の服を脱ぎ捨てている、ハロルドだった。絨毯を一瞥すれば、ハロルドのシャツが落ちている。その隣には、俺の下着が落ちている。俺は焦った。必死に記憶をたどる。昨日、昨日――ダメだ、途中から記憶が全くない。まさかこれは世に言う朝チュン!? と、狼狽えた時、さらにギュッと抱きしめられた。肌と肌が密着する。俺も裸だった。硬直した俺は、真っ赤になった自信がある。思わずきつく目を閉じた。心臓の音が聞こえるのだが、それがどちらのものなのかわからない。 「……ん? ああ、起きたのか」 「……」 「おはよう、フェル」 「お、お、おはよう――え、あの、俺達……昨日、あの……」 「ああ」 「ヤ、ヤったのか? まさか、ヤ、ヤってないだろうな?」  俺は率直に尋ねる事にした。するとハロルドが少し黙った。  じっと俺を見ている。そして、ふっと笑った。穏やかな笑みだ。 「確かめてみるか?」 「え」 「今からヤって」 「な」  そう言うと、俺を抱きしめ直してから、ハロルドが俺の上に乗った。え、え!? 「ま、待て。待ってくれ――っ」  そして首筋に口づけられた。動揺して、俺は涙ぐんだ。  すると、そんな俺にハッとしたようにハロルドが息を呑み、そして苦笑してから体を離してくれた。 「冗談だ。いつ『本当』にしてもいいけどな」 「……」 「ヤってない。潔白だ。俺は酔った相手を襲うほど、人間を捨ててない。好きな相手なんだから、きちんと同意をとった上で、押し倒すくらいの度量はあるつもりだ」 「……」 「ということで、押し倒していいか?」 「ふざけるな!」  俺が叫んで押し返すと、冗談めかしてハロルドが笑った。  一気に体の力が抜けた。ホッとしてしまった。  ハロルドがベッドから降りたので、俺はシーツにくるまった。  全く、心臓に悪い。 「なんで俺達は裸なんだ?」 「フェルが裸なのは、俺が背中の不可視魔法円の確認をさせてもらったからで、俺が裸なのは、その時にお前が酔っ払ってグラスの中身を俺にかけたからだな」 「不可視魔法円?」 「人体に刻む形態の、召喚魔法円だ。ラクラスの出現方法が気になっていたから見せてもらったんだ。俺のエクエスの場合も、不可視魔法円が俺の体に現れたから、フェルはどうなのかと思ってな。害はない。契約時に自然と据付されるらしい」 「そうなのか……それで、どうして同じベッドに?」 「俺の腕を掴んでお前が寝たからだ。放してくれないから、俺も一緒に寝た」 「……」 「責任転嫁じゃなく、事実だ。なんならエクエスの記録魔術映像を見せるか?」 「いや、いい、信じる。そうか、それは悪かったな」 「まったくだ。心臓に悪かった」  シャツを着ながらそう言って笑い、ハロルドはこちらを見た。 「また来いよ、いつでも」 「ありがとう」 「寧ろずっといてくれても構わない」  俺はハッとした。なんと、亡命OKフラグが、向こうからやってきたのである!  しかし、続いて響いた声に、目を瞠った。 「始祖王から身を守るにもその方がいいかもしれないしな」 「始祖王?」 「――不死の始祖王を殺した者は、呪われるというからな」 「どういう意味だ? 不死なのに殺す?」 「ラクラスに訊いてみろ」  ハロルドは、それ以上は何も言わなかった。  その後朝食だったので、ハロルドとは別れた。ハロルドが先に出たのだ。  俺は着替えてから部屋の外に出た。 「お楽しみだったみたいですね」 「!」  すると、背後から気配なく、ユーリスに声をかけられた。 「な、ち、違!」 「真っ赤ですよ」 「違うって言ってるだろうが!」  俺が声を上げると、ユーリスが吹き出していた。  ――何とも言えない気分である。思いっきり動揺してしまった自分が情けない。  その日の午後、俺は帰路についた。  賢者はしばらく、帝国に滞在するとの事で、ここで別れた。  ――なお、俺はラクラスに話を訊きたかったのだが、人目がある移動中は避けた。  結果……国に戻ったのだが、その途端に、ラクラスは姿を消してしまった。  ずっと一緒にいると言っていたのだが、元が気まぐれなのだからと、俺は気にしない事にした。  こうして、俺の十八の年は過ぎていった。