【三】俺、手を繋ぐ!
「今日はエルラリダの森を抜けて隣街に到着したいな」
強制的に連行された宿の食堂で、ハニーカフェオレというものを俺は受け取った。
飲み物は人間も魔族もあまり変わらないらしいが、人間のとるものの方が美味しいと俺は知った。そこで、魔術師の言葉を静かに俺は聞いた。
エルラリダの森は魔界と隣接している。
魔物が多く生息していたはずだ。
人間から見ると魔物も魔族も変わらないらしいが、魔族から見ると大きく違う。
人間にとっての熊や虎みたいなものだろう。
魔物の駆除には、魔族も苦労しているのが実情だ。
「襲撃されるとしたら森ですよね」
王子が俺を一瞥しながら言った。カフェオレに口をつけながら、俺は考える。
クリムヒルト様だったら森の出口で、勇者御一行様を狙うと思うのだ。
魔物討伐で疲れたところを狙うのだ。
「ソーダは何も心配しなくていいからな! 別に情報提供を求める気もないし! ……だろ? 殿下、ワイズ」
俺に向かって必死で言ったあと、勇者が低い声でポツリとつけたした。
「「……」」
魔術師と王子は顔を見合わせている。二人とも若干顔が青い。
俺には彼らの反応がよくわからなかった。
それにしても――俺はこのメンバーに同行して何をすればいいのだ?
まさか魔王城まで単純に旅に付き合えばいいというわけでもないだろう。
だからと言って勇者のものになるだとかは、あり得ないが。
改めて考えてみると、チェンジされたからには何か目的が……そ、そうだろう、きっと!
魔王様は、俺に偵察係になれと暗に命じてくださったのかもしれない!(そう思う方が気が楽だ)――ということは、俺は勇者たちの行動をなんとかして先に仲間たちに伝えればいいということになる。だけど、どうやって?
考えろ、俺。ここで役にたてば、魔王様に名前くらいは覚えてもらえるかもしれない。
「とりあえず、森での野宿も覚悟して準備をするか」
魔術師の言葉に、王子が頷いている。
勇者は俺を見たままチーズトーストを食べていた。
そんなこんなで俺たちは出発することになった。
俺の前には現在、回復役の荷物らしきものがある。衣類や医薬品、他は毛布だとか軽食がある。俺は旅などしたことがないから、正直物珍しかった。
「ソーダは何も持たなくていいからな!」
手を伸ばそうとすると、それらの荷物を勇者が手にした。
俺が毒を盛るなどの危惧をされたのだろうか?
毒を持ち歩いているくらいだったらとっくに使っている。多分。
「ただ一緒にいてくれるだけでいいんだ……」
しかし……勇者の頬が桃色になった。ピンクに染まったのだ。
俺の予想外だった。
二人分の荷物を持った勇者は、ニコニコと笑っている。
なんだか見ているこちらの方が恥ずかしくなってきた。
「そりゃあ手を恋人つなぎしてくれたら、もう何も申し分はないけどな……ま、まだはやいよな?」
今度は視線を動かし、チラチラと勇者が俺を見る。
俺の背筋を冷や汗が伝って行った。これは、あれだ、恋人同士のように手をつなぐことを求められているのだよな……本気なのか?
何故だ?
第一、俺にとっては手をつなぐことの方が、キスをすることよりはハードルが低い気がするのだが……。
そんなことを考えていたら、背中の服を王子に引っ張られた。
「繋いであげてください……」
そして小声で言われた。え。
首だけで振り返っている俺は、遠い目をしている王子に対して、どう反応して良いのかわからない。
「そうしないと、今日は一日中手を繋ぎたいアピールを俺たちは聞き続けることになると思います」
王子は肩を落としながら俺を見ている。そ、そんなことを言われても……。
「手ぐらいいいでしょう? まさかこれまでにこういう経験がゼロというわけでもないんじゃないですか? 余裕でしょう?」
口早に王子が言う。
「あ、ああ、ああ、べ、別に手をつなぐくらい余裕だ!」
反射的に俺は答えていた。
何故ならば……そんな経験などないのだが、経験がないと知られるのが恥ずかしかったのだ。そうだよな……手をつなぐくらい……。
そうさ、どうせ俺は、手なんてつないだことは本当はないのだ。い、いいよな、手くらい? ああ、考えすぎてわけがわからなくなってきた。
その時手を取られた。
見ればこちらを見守っていた勇者が、キラキラした瞳で俺の手を握りしめていた。
「ありがとう! 嬉しい……今日は一日幸せな気分で過ごせそうだ!」
指と指の間に、勇者の指が入り込んでくる。
そして何度もぎゅっと力を込められた。その低い温度に、少しだけドキリとしてしまった。別に恋心が云々のドキリではない。初めてこんな手のつなぎ方をしたことに対するドキドキだ。
それから率先して勇者が歩き出したため、ひきづられるようにして俺も進んだ。その後を王子と魔術師が着いてくる。
勇者の歩幅は俺よりも広い。勇者は足が長い(別に俺が短いわけではないよな……)。
もちろん魔族の俺は人間よりは体力があるから疲れるわけではないのだが、俺は基本的に長距離を歩いたりしないから、すぐに足が痛くなった。歩くって結構辛いな。そう考えていると、勇者が俺を見て息を飲んだ。
「わ、悪い、歩くの早かったよな?」
「……」
真実なので否定はできない。返す言葉を思案していると、今度は目に見えて勇者はゆっくりと歩き始めた。今度は遅すぎるくらいだった。
なんだかその気遣いに、いたたまれなくなってくる。
いくら気を遣ってもらっても、俺は何も返せないからな……。
つい俺はそう考えて俯いてしまった。すると、手に力がこもった。
「もっとなんでも、率直に言って欲しいんだ! あ、そ、その、いきなりは難しいかもしれないけどな」
「……ああ、ありがとう」
「そ、そうだ! もっとソーダのことを知りたいから、いろいろ聞かせてくれないか?」
「色々……例えば何が知りたいんだ?」
「好みのタイプとか! 俺、ソーダの好みに近づくからな!」
「好み?」
そんなの決まっている。思わずため息を押し殺しながら、半ばやけになって俺は言った。
「魔王様だ」
瞬間――その場の空気が凍りついた。
え?
別に普通の雑談風だったし、問題ないよな? そう思って首を傾げた時、真顔で勇者が小さく一度頷いた。
「要するに世界征服すればいいんだな?」
「え?」
「そして人間を奴隷化する!」
「な」
「そうすればソーダ好みになれるんだな??」
俺はポカンとするしかなかった。
確かに魔王様の最終目標は世界征服というか、大陸の国々の統一と、魔族と人間の和解かつ魔族の人権を認めさせることではあるのだが……勇者の言葉には色々と語弊がある。近いようですごく遠い理解だ。
って、待て、そうじゃない。今何を言った、この勇者……?
「か、考え直してください、勇者様」
「おい魔族、すぐに今の言葉を撤回しろ!」
じっくりと考え込んでいる顔をした勇者の前で、俺は慌てて魔術師に対して頷いてから口を開いた。
「じょ、冗談だから……!」
何と無く勇者が言うと、本気に聞こえるのだ。
「じゃあソーダの好みは……?」
勇者が雨の中捨てられた子犬のような顔で俺を見た。罪悪感で胸がえぐられた。罪悪感など感じた理由はわからないが。
「……魔族は、自分より魔力が多い相手を魅力的に思うんだ。一般的に! だ、だから……その、それで、あ、あれだ、あれです、好きになった人が好みのタイプ!」
必死で俺がいうと、勇者が吐息に笑みをのせた。
「そっか。じゃあ俺は、ソーダに好きになってもらえるように頑張るからな!」
そう言って再び手に力を込めた勇者から俺は顔を背けた。