【四】俺、瞬間転移してみる!


 それから俺達は、エルラリダの森へとたどり着いた。
 その間ずっと手をつないでいた。魔族はあまり汗をかかないのだが、俺は変な汗をかきそうになってしまい焦ったものである。

 手を離されたのは、森の中ほどに到達したときのことである。
 開けた場所で、大木のそばに勇者が荷物を置いた。何事かとおもっていると、魔術師と王子も荷物を降ろした。

 ――ここで野宿でもするのだろうか?

 そんなことを考えながら見守っていると、勇者が剣の柄に手をかけた。

「ソーダはさがっていてくれ」

 そういって俺の一歩前へと出た勇者は、鋭い視線をすばやく走らせたようだった。
 魔術師は後ろで呪文を唱え始めているし、すでに王子は弓矢を放っている。
 俺はやっと気付いた。
 前方から、魔物の群れが、こちらを囲むようにしてやってきているのだ。

 しっかりと注意してみれば、一軒家くらいの大きさの、狼に金色の角をつけたような魔物――ガンダウルフが勢いよく走ってくるところだった。

 木々がなぎ倒されたとき、俺は言われたとおり後ろに跳んで下がった。

 もしも倒せといわれたならば、これでも俺は一応勇者襲撃に選ばれる程度には戦闘能力があるから不可能ではないとはおもう(おもいたい)。

 だが、戦うか逃げるかの二択ならば、迷わず逃げるべき魔物だ。

 そう考えながら、俺が眺める前で、勇者がいっきに魔力を剣に込めた。
 衝撃で生まれた風がこちらにまでやってくる。
 さすがは勇者だ……一振りで、五体も倒した。

 同時に俺は気付いた。

 勇者は今、前方の魔物に意識を取られている。魔術師と王子も同様だ。
 逃げるならばいまだ。いや、今といわずとも、彼らが戦っている間に逃げればいいのだ。

 冷静に考えれば、もう少し機会を見て怪しまれないように相手が油断したときに逃げるべきだ。
 理性はそう言っていた。

 だが――俺の体は動いていた。
 一歩、二歩と後ずさり、勇者達と距離をとったところで、踵を返して全力疾走した。
 草を踏むたびに、その葉の音が妙に大きく響いてきた気がした。


 とにかく必死で走り、俺は魔術師と王子が維持していたギフト封じの結界から抜けると同時に、瞬間転移した。

 もちろん魔王城に逃げ帰るわけにも行かない。
 そうした場合、俺にどういう処分が下るか不明だからだ。

 そのため、転移する先は、最寄の人間の街にした。要するに、森を抜けた先にある街だ。
 すぐにここから移動しなければ、勇者達も目的地は同じだから再遭遇してしまうかもしれない。

 とりあえず、俺は街の雑踏にまぎれた。
 するとビシビシと人のまなざしが飛んできたため、やはり魔族だとばれているのだろうと、思わず唇をかむ。

 基本的には、外見はそれほど変わりがないのだが……どうして皆俺のほうを見ているんだろう。それとも、俺の意識のしすぎだろうか?

 そんなことを考えながら足早に歩いていると、声をかけられた。

「美人のおにいさん! ちょっとちょっとちょっと!」

 美人……? と思いつつも、明らかに俺の前に立ち道をさえぎってきた相手に対して、俺は顔を上げた。

「この街の治安はお世辞にも良くないから、せめて顔を隠したほうがいいんじゃない?」

 その言葉にはっとした。
 人間の国の治安など知ったことではないし、その辺の乱暴者程度、せいぜい平均的な人間であれば俺には問題にはならない。

 が、顔を隠すというのは良い案だ。勇者達も、俺の外見が分からなければ、追ってこられないと思う。

 何せ俺の魔力は平凡中の平凡だから、魔力から探し出したりできないだろう。大陸中の魔力に、俺程度の魔力はまぎれる。

「そこでこれだよ! このローブ!」

 正面に現れた人物はどうやら商人だったらしい。頭に布を巻いた褐色の肌の青年は、高々と白い布を掲げた。

「光の加護つきの純白のローブだ! 今なら5000ゴールドのところを2980ゴールドに!」
「……」
「魔族に対して効果絶大!」

 そんなのはデマである。何せ光属性の魔族もいるし、光の加護は魔族の事も等しく守ってくれる結界魔術だ。しかしそこは良いのだ。問題は、お金だ。人間の通貨であるゴールドなど俺は持っていない。

 どころか現在では、戦闘に出たままの形で勇者パーティに連れてこられた以上、魔界の通貨であるシルバーもない。

「とりあえず着てみてよ!」

 手渡された布を、金策に悩みながら俺は着てみた。ローブのフードをかぶると丁度目元まで隠れる。髪と目が隠れれば、一番の魔族らしい俺の色合いが隠れてくれる。ただ人間には絶対に生まれない色というわけでもないから、ものめずらしいくらいのものであるとは思うのだが……。

「……似合いすぎて怖い。勧めておいてなんだけど……あ、いや、お世辞じゃないよ?」

 お世辞だな。俺は商人の青年をじっと見据えた。なんとか無料でこれを譲ってくれないものだろうか?

「お金がないんだ」

 とりあえず率直に俺は言った。すると青年が腕を組んだ。

「いらないってことかい? いやいやいやもったいない! こんなに似合うのに!」
「欲しいんだ、ただ、本当にお金がなくて」
「いくらならある?」
「……さ、財布を落として……」

 苦しいだろうが俺は言い訳をひねり出した。必死で思考をめぐらせる。

「だから、何も着るものもなくて!」
「なんだって? え、じゃあおにいさんは、今、無一文? 宿は?」
「ないんだ」
「……危ない。うん、危ない。この街、本当に治安が悪いからね?」
「頼む、だから、その服を――」

 譲ってくれないか?



「買う。俺が払う」



 言いかけた俺は、後ろから首に腕を回され、グイッと引き寄せられた。
 瞬間的に俺は硬直した。
 恐る恐る振り返ると、そこには満面の笑みの勇者が立っていた。

「――え!? ゆ、勇者ヴァレン!?」

 商人がポカンとした顔をした。俺が呆然としている前で、勇者がお金を支払う。
 驚いていても、商人は仕事はきちんとしていて、白いローブを勇者に手渡していた。
 受け取った勇者は俺から腕を放すと、俺にそれを着せた。素直に俺は着たのだが……え。

「な、なんで……」

 俺は瞬間転移したのだ。勇者達は戦っていた上に徒歩のはずだ。
 なぜここにいる? どうしてこんなにも早く見つかった? なぜ、なぜだ!?
 するとため息をついた勇者に、今度は後ろから抱きしめられた。

「瞬間転移はちょっと難易度が高いな、俺には。ソーダの居場所は愛の力ですぐに分かったけどな」
「……」

 ああ……なぜ俺は、勇者には瞬間転移が使えないと思い込んでいたのか……。使えたのか……。

 それにしても驚きすぎて心臓が騒ぎ立てている俺は、勇者の力強い腕の中で、身動きが取れなくなった。

 大体愛の力って何だ。恐らく、俺程度の魔力であっても勇者には、探索(サーチ)できるのだ……。うあああ。逃げられないということを改めて俺は認識した。

「ところで、どこに行こうとしたんだ?」

 勇者が笑顔で言った。声も明るい。だが俺の背筋は冷えた。笑顔が逆に怖かった。

「……せ、戦闘の邪魔にならないようにしようと思って……先に街へ来てみました。そ、そして、ま、迷子になって……」
「なるほど! そんな、気を使ってくれなくて良かったんだぞ? 悪かったな、気を使わせてしまって!」
「……」

 納得したかのように勇者が声を上げた。俺の言い訳を信じてくれたのだろうか……まさかな。俺は一人震えそうになった。勇者が何を考えているのか良く分からなくなってきたからだ。

 なぜ俺を追いかけてきたのか……いや、それこそ勇者の言葉をそのまま信じるなら、俺のことが好きだからだろうが……それこそ、まさかな。

「だけどな、俺がちゃんとソーダのことは守るから、もう心配しなくていいからな!」
「あ、ああ」

 震える声で俺はうなずいた。勇者は優しい微笑を浮かべている。
 そんな俺たちを、商人はじっと見ていた。そして、息をのんでから手をたたいた。

「もしかして、勇者様の”コレ”ですか?」

 商人が小指を立てた。意味が分からないでいると、勇者が大きくうなずいた。
 小指を立てることに、人間は何らかの意味を見出しているのか? 
 手話だろうか? 残念ながら魔族にはない。

「でしたら、ここに、愛し合う二人のための指輪なんてありますけど、どうですかね?」
「買おう!」
「さすがは勇者様! これからも、俺、ワールバール商会主催のワーク・ワールバールをよろしくお願いします!」
「ああ!」

 勇者はそういうと、指輪を受け取った。
 紙に数字を書いて、ワークというらしい商人に手渡している。ゼロの数がすごくたくさんあったが、俺は見なかったことにした。

「その指輪は、勝手に持ち主のサイズになるので! それじゃあお幸せに! あ、宿の手配も、俺は承ってますからね!」

 ワークはそういうと帰っていった。
 見送っていた俺の手を取り、勇者が指輪をはめた……あんまりにも自然な流れだったため、俺はされるがままになっていた。

「この指輪に、永久探索魔術をかけたから、これでもうどこにソーダがいっても俺には分かるから! 安心してくれ! 迷子になっても大丈夫だから! あ、けど、ま、迷子にならないように手をつないで歩くのも良いよな……なんて、ははは」
「……」
「俺と手をつなぐのはいやか?」

 勇者がから笑いをした後、またしゅんとした顔つきになった。その子犬のようなまなざしに胸がざわついた俺は、あわてて首を振っていた。

「そ、そんなことはない」
「良かった」

 すると勇者がやっぱり心からの笑みだというように、ぱぁああっと明るく笑うのだ。この落差に、俺は胸を揺さぶられる。感情表現が豊か過ぎる。

 困惑したままの俺の手をぎゅっと握り、勇者は歩き始めた。俺もついていく(しかない)。

「……魔術師と王子はどうしたんだ?」
「さぁ? 森にいるんじゃないか? 明日には来るだろ」
「な」
「?」

 俺の質問に、勇者が首をひねった。
 ――回復役をあっさり差し出したときもそうだったが……勇者にとって仲間って何なんだろうな……?

「その……助けに行かなくていいのか?」
「ソーダが俺にとっては一番大切だから」
「え」
「俺はソーダのそばにずっといたいし、ほかの事は特に! ソーダだけだから!」

 いや、そういう問題ではないだろう。
 俺は気が遠くなりそうになったのだった。