【六】俺、愛されてる?



 その日の夜は、再び勇者と同じ部屋で眠った。
 勇者の腕の中で……! 二度目の腕枕である。檻の恐怖のせいか、助けてもらった時に抱きしめられたからなのか、俺は勇者の低い体温が嫌いじゃなくなり始めていた(それと恋愛的に好意を持っているかは別の問題であるが)。

 優しく髪を撫でられると、ああ俺は怖かったんだなぁとしみじみ実感した。
 冷静に考えれば、買われた後にでも、たかだか一般の人間が相手、いくらでも逃げ出すことができただろうにパニックになってしまっていたのだ。

 目を覚ました翌日、朝食の席で。
 俺とヴァレンが食堂に降りると、王子と魔術師の姿がなかった。あの二人の方が朝が早そうだから意外だった。そう考えていると、二人が駆け込んできた。

 ホットショコラを飲んでいた俺は、何事だろうかと首を捻る。
 勇者は俺に必死そうに何事か話しかけながら笑っているのだが、俺は二人の様子に意識が向いた。

「大変だ、《環核迷宮》が現れたらしい」

 魔術師が、だんと机に手をついて言った。王子が続ける。

「王国騎士団では間に合いません。それにこの辺りには冒険者ギルドの支部もなければ、冒険者も滞在していないそうです」

 その言葉に俺は短く息を飲んだ。

 冒険者ギルドとは国境関係なしに、魔物や魔族、迷宮の対策のために人間が作った組織だったと思う。そこに所属している人間が冒険者だ。問題はそちらではない。

 《環核迷宮(かんかくめいきゅう)》だ。

 魔族側でもこの迷宮に対処しているから、俺も何度か魔族のみでの探索にならば参加したことがある。

 この迷宮は、魔力核によって生み出された”存在”が作り出す。魔力核は、通常は魔物の中にある。だから魔物を倒すと、その核が現れて中に消えて行く。キラキラしていて結構綺麗だ。だが、何がきっかけなのかはわからないが、それが、人間の死者の体に宿ることがあるのだ。するとその体を中心に、迷宮が生まれる。

 迷宮内には、その人間が魔術師だったら魔術系のトラップ、剣士だったら剣を持った魔物などなど、それぞれの人間の嗜好にそった障害物が現れる。

 ちなみにこれは魔族側の知識だ。

 人間たちは、この迷宮は魔王様が作り出していると思っている。中で魔族側の討伐隊と接触などしてしまったら、完全に障害物だと判断する。

 魔力核が宿った死者は、見た目が変わるから、確かにもう人間には見えないから仕方が無いのかもしれないし、同族が作っただとか、同族を殺すだとか考えるよりは、人間にとっても気が楽なのかもしれないけれど。

 なおこの迷宮は、SABCDのランクが存在する。

 魔力核が宿ったばかりの《環核迷宮》はDランクだ。しかし時間が経過すると、大抵Bランクまで強くなる。ごく稀にCランクダンジョンが出ると、それは高難易度のAやSランクとなる。Dランクであれば俺一人でも攻略可能だ(腐っても魔族だからな……それも戦うことに優れている……はず! の、俺!)。

 だが基本的に《迷宮(ダンジョン)》攻略は人間にしろ魔術師にしろ2人以上で行うものだ。ちなみにCランクであれば、本気で4人から6人、時には10人くらいで討伐に行く。B以上は、それらとは桁違いの強さになる。

 どの程度の時間経過でダンジョンが変化するかというと、大抵の場合ダンジョンの入り口に歪んだ時計が浮かんでいて、その長針が12を指した時だ。

「あと二十時間ほどで、Bランクになるはずです」

 王子の言葉に、勇者が顔を上げた。

「よし、二手にわかれよう」

 二手? 道順だろうかと俺が首をひねっていると、勇者が満面の笑みを浮かべた。

「Dランクの《環核迷宮》なら、お前たち一人でも余裕だろ。お前ら2人が攻略組。俺は、ソーダの希望通り、街で遊んでくる――ソーダ、どこに行きたい? あ、その、何か欲しいものはあるか?」

 俺はぽかんとした。え?
 王子は笑顔のまま硬直している。すると魔術師が半眼でため息をついた。

「ヴァレンが行かないなら僕はいかないぞ。ダンジョンは何があるかわからないからな」

 そう、そうなのだ。油断してかかると、簡単に足元をすくわれる。
 Dランクだって侮ってはいけないのだ。相性が悪ければそこで終わる。

「……分かりました。俺が一人で行きます」

 うつむきがちに王子が言った。それは危険だ。俺も行く、と言いかけたのだが――……いや、不自然だよな? むしろ迷宮に誘い込む罠(=俺)に思われかねないなと考える。それに、俺は魔界内にできた迷宮しか攻略したことがないから足手まといになるかもしれない。と、考えているうちに王子は出かけて行った。

 冷たくなったショコラのカップを両手で持ちながら、俺は窓の外で小さくなって行く王子の背中を見据える。正直いくら勇者御一行様の人間でも一人で行くなんて無謀だと思う。心配だ……って、なんで俺は敵の心配をしているのだ……。

 俺がそんなことを考えていると、魔術師が勇者の隣に座った。

「そういうことなら僕は僕で遊んでくる。合流はこの宿でいいか?」

 魔術師の言葉に、勇者が頷いた。それを確認してからパンを噛み、魔術師が俺を見た。

「どこに行くんだ?」
「え?」
「そ、そうだった! ソーダは何をして遊びたい? は、はじめてのデートっ!」

 で、デート……!?
 それまで真剣に迷宮について考えていた俺の思考が引っ張り戻された。同時に、デートなんていう言葉に、なんだか気恥ずかしくなったら、頬が熱くなってしまった。

 自慢ではないが俺はそんなものをしたことがない。第一したことがあったとしても人間界の事情は絶対にわからないのは同じだろう。

「……まかせる」

 それしかないよな?
 俺が言うと、勇者がこくこくと何度も頷いた。そして瞳を輝かせて立ち上がった。

「完璧なデートを俺は演出して見せる!」

 ――こうして、俺はその日一日勇者にいろいろなところを連れ回された。服を買ってもらったり、食器を買ってもらったりと言った現実的なことから、人間の図書館に行ったり、昼でも空いているというカジノにいったり(魔界では夜しか空いていなかった。行ったことはないんだけどな)、動物園に行ったりした。

 思いの外楽しくて、俺はつい、迷宮のことを忘れた。

 そして宿に戻り、魔術師と合流して――夕食を食べながら時計を見る。
 もう王子が出発して十二時間が経過している。
 深夜の三時くらいがタイムリミットだろう。
 結局その日……王子は戻ってこなかった。

 日付が変わった部屋の中で、不安になって俺はシャワーから出てきた勇者を見た。

「なぁ」
「ん? は、はじめてソーダの側から話しかけてくれて、俺はどうしようもなく嬉しい!」

 果たしてそうだっただろうかと考えつつ、俺は聞いた。

「王子は大丈夫なのか?」

 すると勇者は笑顔なのだが――なんとなく怖い気配を放ち始めた。

「他の男の心配……! 嫉妬するなという方が無理だ!」
「え」
「ソーダの心の中に他の人間がいるなんて俺は耐えられそうにもない!」
「いや、あの」
「こうなったら迷宮ごと殿下を――」
「ちょっと待て! 何をするつもりだ!?」
「……べ、別に遠隔魔術で迷宮を破壊しようとしただけで、その……あ! いや、殿下のこともちゃんと考えてるぞ? 本当! 俺勇者だし!」
「そうか」

 なるほど、さすがは勇者。遠隔でも魔術が使えるのか。だから一人で行かせたのか。
 それに王子も瞬間転移を使えるらしいのだから問題はないのか。
 俺が納得していると、勇者はばつが悪そうに顔を背けた。

「嫉妬対象を抹殺しようだなんてちょっとしか思わなかったからな……」

 俺は何も聞かなかったことにした。

 勇者のことがどんどんわからなくなって行く。一体こいつは何を考えているんだ?
 それに迷宮に関しては、人間・魔族ともに、大陸に生きる人格あるものにとっては共通の脅威なのだ。勇者なのだから放っておくべきじゃないと思う。だって……

「魔王様も今頃、人間が失敗した時に備えて討伐隊を組んでいらっしゃるだろうな」

 迷宮は、早急に攻略しないと、入り口以外も顕在化して、周辺の土地を飲み込み迷宮にしてしまうのだ。現在この大陸の三割は、すでに迷宮化している。時間内に攻略すれば、入り口だけが宙に残って終わりだ。

「魔王?」

 その時勇者の低い声がした。俺がなんとはなしに視線を向けると、勇者は――笑っていなかった……思わず背筋がヒヤリとした。

「ソーダ……お前は、その」
「な、なんだ?」

 聞き返す俺の声が震えてしまった。

「……魔王のことが好きなのか……?」

 胸にぐさっときた。抉られた気分だ。勇者はいつもとは違い真顔で俺を見ている。そして俺は魔王様が好きだ。しかしそれを口にしてはいけないような気がした。背筋を悪寒が走り上がる。しかし嘘を付くのもためらわれる。俺は、どうすればいい? 思わず唾液を飲み込むと、妙に大きな音がした。

「あ、あの、俺は、その」

 とりあえず勇者のことも嫌いじゃない、と言おうとした。
 その時だった。
 大きな音を立てて扉が開き、ボロボロの姿の王子が、魔術師と商人に支えられて入ってきた。

「ヴァレン、回復を!」
「いや、いまちょっと本当に大事な話をしてるから待ってくれ。で? ソーダ、その、なんだ? 教えてくれ」
「は? ふざけんな」

 意識が朦朧としている様子の王子の隣で、魔術師が呆れたように叫んでいる。
 しかし勇者は俺を見たままだ。
 そこへ商人の声が響いた。

「ここにあるのは止血魔術のかかった包帯! 今なら三万九千八百ゴールド!」
「買う! ヴァレンから後でもらえ!」
「いや、今お願いしますよワイズ様。それにまだ殿下を迷宮に案内した代金も、送ってきた代金ももらってませんよ!」
「わかった、こうしよう、僕のこのピアスは二百万する。ヴァレンから代金を受け取るまでの担保にしろ」
「喜んで!」

 そこへ勇者の冷たい声が響いた。

「お前らうるさい」

 俺は射抜かれるような視線に、心臓がぎゅうううっとなった。

「そ、その、だ、だから……ヴァレンの事が」

 嫌いではないと言わなければ!

「好きだ!」

 そういうことだよな、と、一人頷いた後、ん? と思った。

「ソーダ! 愛してる!!」
「いや、違っ、ちょっと待て、だからそのこれは、人としてで、だから、待って! 本当待って!」

 正面から勇者に抱きしめられて、俺は息苦しさと混乱で思わず声を上げた。
 すると、ソファに王子を横たえながら商人がこちらを見た。
 魔術師は包帯を巻いている。
 それにしても、さすがは勇者御一行様にいるだけあって王子はすごいんだな……。
 一人で攻略してきたらしい。

「痴話喧嘩は、すればするほど仲が良いと言いますがっ、ここにあるのは、喧嘩した数だけ二人に幸福をもたらしてくれるかもしれないピアス!」
「買った!」
「――ちょっと待て、おかしいだろ! それは僕のピアスでそんな効果はない! 断じてないぞ! 確かに担保とはいったがそれじゃあこっちが大損だ! ヴァレンも買うな!」

 そのようにして、勇者は笑顔に戻った。だが俺の心臓はまだばくばく言っている。
 ああ、怖かった……のか?
 勇者に抱きしめられたままで俺は考える。

 もしかして俺は……勇者に愛されているのだろうか?
 本当に?

 だとすればーーその愛がちょっと重いかもしれないと思った夜だった。