【一】同性婚を広めるために。



「悪いんだが、後宮に入ってくれ」

 ある日珍しく、父であるレナード・ファブラン侯爵に呼び出された僕は、意味が分からず首を傾げた。父と僕の色彩はそっくりで、お互い金色の髪と琥珀色の瞳をしている。身長も同じくらいで、高くもなく、低くもない。ただ父の方が、顔は怖い。

 それにしても――後宮?

 確かにこの国は一夫多妻制であるし、国王陛下や王弟殿下、王位継承権第一位のイスカレード・ルイズ・コーネリアス殿下等の王族は、当然のように後宮を持っている。しかしそこに住まうのは、基本的に女性だ。そして僕は、まごう事なき男である。

「父上、あの……?」

 ついに父も、ボケてしまったのだろうか。

 僕は今年で二十四歳。十五歳で結婚し、今年で二歳になる息子もいる。妻は、昨年亡くなってしまったから独り身だ。だが、繰り返すが、僕は男である。

「五年前に、法律が変わったのは知っているな?」
「毎月、何かしら変わっていますよね」
「――婚姻に関してだ」

 頷いてから、僕は首を傾げた。

 確か何でも、イスカレード様が、側妃の一人を同性にしたいと言って、最速で法律が変わったのだったか。発案から整備までに、二日だったと耳にした記憶がある。

 元々女性数が圧倒的に少ないこのコーネリアス王国では、男同士の同性愛者が多かったから、法が現状に追いついた形で批判は少なかったらしい――程度の事は、噂で僕も聞いた事がある。

「しかしまだまだ、制度としての男同士の婚姻は広まってはいない」

 それはそうだろう。平民では一般的であっても、貴族となると、話はまた別だ。許婚制度も残存しているし、政略結婚も多々ある。何せ、貴族は、家制度が根強く残っているのだ。僕と亡くなった妻も、元々は親同士が決めた許婚関係だった。

 僕は侯爵家の次男で、亡くなった妻は伯爵家の次女だった。だから僕は、侯爵である父から土地を分けてもらい、一部を伯爵領として暮らしてきた。名ばかりの伯爵――ユーリ・ファブランが僕の名前だ。

「そこで、第二王子殿下の後宮に、是非輿入れして欲しいのだ」
「第二王子って言うと、確かティセラード・ワイズ・コーネリアス殿下ですよね」
「そうだ。御年二十七歳。後宮をお持ちだが、昨年までそこにお住まいだった側妃のマリアーゼ様のご逝去後は、無人だ。ティセラード様には、正妃様はいらっしゃらない」
「大変申し上げにくいのですが、同性愛者なのですか?」
「いいや。ただお一人の側妃――マリアーゼ様は、女性だった。ご子息は、アーネスト殿下。御年五歳だ」
「父上のお話を伺っていると、いくら独り身とはいえ……ティセラード第二王子殿下は、女性がお好きなようですが?」

 女性好き、と言うと、奔放な意味合いに聞こえてしまうかも知れないが、そう言う意味合いでも無い。きっと、たった一人の、亡くなった側妃様に愛を注がれていたのだろう。あるいは今も、注いでおいでなのかもしれない。あくまでも空想だけど。

「ああ。だが、民衆や……率直に言って、特に貴族に、この制度を普及する為に、今回は王族自らが男性の側妃を持っていると、率先してアピールする事に決まったそうなのだ」
「要するに、第二王子殿下がそのアピール役ですか」
「その通り。そこで現在、側妃を探している。ユーリ、行ってくれ」
「無理です」

 嫌な事は、はっきりと断る。それが僕の信念だ。
 ……時には、断れない事もあるんだけどさ。
 貴族って大変だよね。しかし僕には、魔法の言葉がある。

「第一……僕には、ユースがいます」

 父も初孫だからなのか、ユースの名前を出すと、最近は僕に無理強いをしなくなった。昔は、僕に対して、無茶振りばっかりしていたのだが。

 ――知謀策略を意地の悪い笑顔で張り巡らせ、日夜宰相閣下と口舌戦を繰り広げている財務大臣。そんな父であっても、さすがに幼い孫には甘いのだろう。

「ユースはお前の長男だが、私の孫でもある。私が引き取る」
「え」
「名ばかり伯爵家の長男より、侯爵家の末子の方が、世間体も良いだろう。それに、お前も独り身、殿下も独り身、釣り合いも取れている」

 予想外の返答だった。甘すぎた! 僕の子供に、父は甘すぎた。誤算だ……!

「僕が女性ならそうかも知れませんが……いや、でも、その……」
「嫌なら伯爵領は返上してもらおう。ユースと共に、街で暮らすか? 乳母は連れて行かせないからな」
「無茶振りです」

 反射的に答えたが、父の眼光を見て背筋が寒くなった。

 ――この顔は、本気だ。

 父は僕を見ると、塵芥を眺めるように小首を傾げてから、溜息を吐いた。非常に冷たい眼差しをしている。

「お前が後添えを、いつまで経っても貰おうとしないから、こうなるんだ」
「いつまで経ってもって……リリアーナが亡くなってから、まだ一年とちょっとですよ?」

 いくら何でも、早すぎるだろう。すぐに気持ちを切り替えたりは出来無い。これから乳母がいるとはいえ、一人でユースを育てていくと考えていたから、僕だって精一杯だったのだ。

「良いか? 国王陛下からの直々のご要望なのだ。侯爵家の者として、断る事は出来無いし、このまま穀潰しを家に置いておくつもりも無い」

 ……確かに僕はこれでも、侯爵家の次男だ。
 そして今でこそ伯爵領の管理をしているが、それも侯爵家の持つ土地の中での事である。
 我ながら、すねかじりって奴だとは思う。

「兎に角これは決定事項だ。行ってきてくれ」
「嘘ですよね? 嫌です」
「一応三年間は、様子見だ。行ってみて嫌なら、三年後に、殿下と離縁すれば良い」
「三年ですか……」
「王家に仕えるは、五大侯爵家の責務。第二王子殿下にだけ、苦しみを味合わせるわけにはいかないのだ」
「苦しみ……苦しいんなら、そもそも後宮なんて開かなきゃ良いじゃないですか。御子息もいる事ですし」
「行けと言ったら行け。行ってくれ。頼むから!」

 父が唇を尖らせた。
 このようにして父に頼まれると、僕はちょっと弱い。

 飴と鞭が最高に上手いのが、僕の父だ。急に甘えた声になるのだ。

 イラッとするよね。断りにくくなっちゃうし、言葉に詰まってしまう。
 僕は、暫しの間沈黙した。思案してみるが、やっぱり言葉は見つからない。

「……承知しました。では、三年間だけ」

 結局僕は、押し切られる形で、後宮に輿入れする事になったのだった。父に逆らえば、本当に街に追放されていただろう……。



「お初にお目にかかります。ティセラード・ワイズ・コーネリアス第二王子殿下」

 僕は夜会に出る前に初めての結婚をしていたし、国の行事にも父か兄が出席していたから、ろくに第二王子殿下の顔を見た事が無い。名前しか覚えていなかったに等しい。

 だが――今まさに、見ようとしている。謁見だ。

 あっという間に僕の後宮入りは決まったわけだが……当初から、僕の意見なんか無かった態で、父はとうに準備を終わらせていたらしい。輿入れが決まってから、たったの二日で、僕は後宮へとやって来た。そうして現在、初の顔合わせの最中である。

 だが僕は、膝をついて、下を向いたままだ。許しがなければ、顔を上げる事は出来無い。
 早く顔を上げたいなぁと思いながら、僕は高級な床に敷かれた赤い絨毯を見据えていた。
 第二王子殿下がこの部屋にやってきてから、ずっとこの体勢だ。

「お前が、ファブラン侯爵家の次男か」

 テノールの声が響いてきた。耳触りの良い声音だった。

 靴音が優雅だったのと、チラリと視界の隅に入ったマントを見て、とても値が張りそうだという事は分かった。さすがは王族である。僕も侯爵家の人間だから、相応の服装を普段からしてはいるし、現在は(男なのに)嫁入りという一大行事なので普段より質の良い服に袖を通しているが、桁が違いそうだ。

「顔を上げろ。立て」
「はい」

 良かった、やっと首の痛みから解放される。
 そんな心境で、僕は第二王子殿下を見た。

 冷たい声音の持ち主は、切れ長の瞳を忌々しそうに歪めながら、こちらを向いている。
 鴉の濡れ羽色の髪に、エメラルドみたいな色の瞳をしていた。
 スッと通った鼻筋も端正だ。薄い唇の形も良い。ちょっと目を惹く美形だった。

 噂に寄れば、騎士団を総括するほど、剣の腕前が卓越しているそうだ。残念ながら、僕は剣が苦手なので、そう言われてもピンとこない。第二王子殿下は、じっと観察するように僕を見た後、鼻梁を傾げて失笑した。そして馬鹿にするように吐き捨てた。

「俺は、お前を愛する気はない」

 冷たい口調だった。冷徹な瞳よりも、声音の方が険しい。
 ――別に僕も、第二王子殿下を愛する気は無い。
 何言ってンだよコイツ、と、内心思ったほどだが……そこは僕も一応貴族。
 作り笑いには慣れている。だから僕は、微笑を保って、殿下を見ていた。

「王家に取り入ろうとする侯爵家の人間の浅ましさには、吐き気がする」

 それを聞いて、僕は小さく首を傾げた。

 別に取り入る予定も無い。僕は三年間だけ堪えれば良いのだし、そうしたら後宮からは出て行くつもりだ。それに父は、自分の力で大臣になるくらい、多分策略には長けている。現在、僕の父は王宮で絶大な権力を持っていると聞いている。

 寧ろ、そんな父の――そしてファブラン侯爵家の後ろ盾が無くなると、王家の方がマズイだろう。

「さっさと消えろ」

 それだけ言うと、第二王子殿下が踵を返した。乱暴な足取りで扉に向かっていく。

 背が高いなぁと見送りながら思った。まぁ……この対応ならば、殿下が僕を抱く事は無いだろう。輿入れに際して、僕はそれが一番不安だったのだ。僕は後ろの孔を死守できそうなので安堵した。ふぅ。それにしても、なんだか疲れたよ僕は。

 ただ……今日の日程は、まだ終わりでは無いのだ。
 これから、他の側妃の人々とも会わなければならない。面倒くさいなぁ。



 後宮は、マリアーゼ様がまだご存命だった頃から、後に他の側妃を迎える事を前提に建築されたものだそうで、部屋数が無駄に多かった。何でもマリアーゼ様は、貴族ではなかったらしく、本来は貴族を側妃として迎えるべく造られた部屋は、ほぼ未使用なのだという。

 今回側妃として召し上げられたのは、六人だ。
 この国では、六を尊ぶという風習がある。
 そして、一応この中から、初の男性正妃を選ぶ事になっているそうだ。

 六つの部屋には、それぞれ、王家から賜った花の意匠が与えられていて、扉にも施されている。花は種類によって、格調の高さが変わるらしい。

 僕に与えられたのは、百合だった。百合の間と呼ばれているそうだ。百合のマークが、扉に刻まれている。この王国の王家の紋章にも、百合が描かれている。ただそちらは単なる百合ではなく、鷹と月の模様も描かれている。

 ――恐らく本来は女性が入るため、花という可愛らしいものが選ばれたのだろう。

 ちなみに僕の部屋を入れて、六つの部屋にはそれぞれ、百合・薔薇・紫陽花・水仙・茉梨花・菫が刻まれているそうだ。そして各部屋には、侍従が二人ずつ配置されると決まっているそうだ。一人は元々王宮にいて派遣されてくる者、もう一人は実家から連れてくるように指定されていた者だ。僕の場合は、父の推薦で、マークという青年を連れてきた。

 百合の間に通された僕は、特に自分で手にしてきた荷物は無いので、適当に唯一持ってきた鞄を置いた。嫁入り道具(?)は既に運び込まれていて、壁際に積んである。全て父が手配したものだから、侯爵家からの持参品なのだが、どれも僕には馴染みが無い。

 僕は寝台に横になって、ぼけっと室内を見回す。

 本当に……いたる所に白い百合の意匠と生の百合の花がある。誰が花瓶の水を入れ替えるのだろう。僕が連れてきた侍従のマークは、僕同様面倒な事はしない主義らしいので、花瓶は放置しそうだ。これでは、すぐに枯れてしまうだろう。

 現在こそ、テキパキと僕の新しい衣類をクローゼットにしまい始めたが、彼は話すのも面倒くさそうだ。実際、あまり話した事も無い。父の専属の侍従だったから、顔こそ知ってはいたが、絡んだ事は全然無いのだ。マークは、ジャガイモみたいな髪の色をしていて、目は猫みたいだ。翡翠色の瞳だ。

 その時、トントンとノックの音がした。控えめなノックだった。

「はい」

 気怠そうにマークが返事をし、扉の前に立つ。マークには、やる気があまり感じられない。僕同様、後宮に来るのが嫌だったみたいだ。僕は上半身を起こした。

『本日より、ユーリ様の侍従の任を拝命した、ルクス・ビオラです』
「どうぞ」

 答えながら、マークが扉を開けた。僕はその直前でソファへと移動した。

 寝っ転がっている姿を見られる前に、ソファに座り直して、笑顔を取り繕う。人前でグウタラとくつろいでいる姿を見せる前に、侯爵家の次男っぽく行動するのが、僕の特技だ。マークの前では別だが。マークはもう、何も言わなくなった。

「……」

 入ってきた青年は、銀髪に赤い瞳をしていた。この国では、赤い瞳は邪眼とされて、忌み嫌われている。綺麗な色だと思うから、僕は別に嫌いじゃないんだけどなぁ。ルクスは無表情だったが、どこか寂しそうな瞳をしている。

「お初にお目にかかります、僕はユーリ・ファブラン。ファブラン侯爵家の次男です」

 久しぶりにきちんと気合いを入れて名乗ったような気がした。無論、殿下の前でも名乗ったが、あの時はさらりと、暗記しているままに挨拶混じりに名を述べたのだったと思う。侯爵家で叩き込まれた挨拶だったはずだ。

 ……ついさっき会ったはずなのだが、殿下の事はあまり覚えていない。基本的に僕は、どうでも良い事は忘れてしまうのだ。僕の中で、殿下の印象は薄い。それよりも、今後三年間共に過ごす事になるルクスの方が、僕の中では、しっかりと名乗って親睦を深めるべき相手だという認識だ。だから丁寧に僕は続けた。

「これから、よろしくお願いします」
「……はい」

 淡々とルクスが答えた。なんだか間があった。寡黙な人なのだろうか。花瓶の水、取り換えてくれるかなぁ。百合が枯れる所は、あまり見たいとは思わない。ルクスが良い人である事を僕は祈った。

 それにしても疲れた。

 が――確か僕の日程としては、本日は僕より先に後宮に輿入れした、薔薇の間の側妃や菫の間の側妃と、会わなければならない。水仙の間と紫陽花と茉梨花の間の人は、まだ来ていないそうだ。

 男同士で茶会とか、一体何をするんだろう。この国で茶会は、上流階級の女性が開くものだ。男限定の茶会など、聞いた事も無い。まぁ良いか。行ってみれば分かるだろう。

「ユーリ様、そろそろ茶会のお時間です」

 その時、マークに言われた。時計がもうすぐ午後の三時を指す所だった。この王国では、六が二個で十二、その十二が二個で二十四として、二十四時間の区切りが存在する。午前中と午後がある。茶会はその中で、午後の三時に行われる事が多いという知識は僕にもあった。

 そんなこんなで、僕は招かれた茶会の場へと向かった。
 何でも、側妃には一人一庭園が設けられているらしい。

 僕は薔薇の間の主に与えられたという東第二庭園へと向かった。僕に与えられた庭園は、東第一庭園らしい。第二王子殿下の後宮は、王宮の東の敷地にある。庭園は後宮の建物の周囲に広がっているのだ。

 白いテーブルクロスのかかった丸いテーブルを見据えた。テーブルの上には、特に何も載っていない。そもそも僕は、外にテーブルがあるのを始めて見た。雨が降ったらどうするのだろうかと首を傾げる。都度用意しているのだろうか? 茶会には、本当に馴染みが無いのだ。

「貴方が、ユーリ様ですか」

 僕が着席するやいなや、赤い薔薇の意匠をマントの右胸の模様として着飾っている青年が声をかけてきた。後ろには十人くらいの侍従がいる。最低限二人は後宮で規定されているのだが――他にも好きなように侍従の数を増やせるんだったかな。忘れた。僕はとりあえず、マークとルクスがいればそれで良い。二人は現在、テーブルから離れた場所で、こちらを見守りながら待機している。僕はまず、挨拶する事にした。

「はい。ユーリ・ファブランと申します。何かと不慣れでご迷惑をおかけするとは存じますが、よろしくお導き下さい」

 実際には、特別よろしくして欲しいわけではない。最終的に僕は後宮から出ていく予定だし、挨拶が終わってしまえば、もう顔を合わせる機会もあまりないと思うのだ。ただ、一応礼儀としてそう告げた。

 薔薇の間の主は、確かアルレット伯爵家の三男で……アスク・アルレットという名だった気がする。一応輿入れ前に、他の側妃の事は、父から覚えさせられたのだ。

「百合の間を与えられたからと言って、調子に乗るなよ」

 その時――攻撃的な言葉が返ってきた。僕が予想していたような、貴族らしい挨拶は無かった。

「王家の家紋である百合を与えられたからと言って、侯爵家の人間だからと言って、調子に乗るな。俺は負けるつもりはない。殿下の寵愛は、俺が貰います。薔薇の間の俺が。薔薇の間は第二位の部屋だ。いつでも貴方を蹴落とせる」

 そしてアルレット伯爵子息は、ニヤリと笑った。この人……同性愛者なのかな?
 小首を傾げて一瞥してみる。

 白い肌に、金色の瞳。僕より九歳年下だった気がする。まだ幼さの残る表情は、愛らしい。子犬みたいだ。

「何言ってんだよ、殿下の寵愛を受けるのは俺だ」

 すると今度は、菫マークの首飾りをした青年が言った。菫の間の側妃だろう。
 ……僕も百合系統の何かを身につけた方が良いのかな?
 確かに見れば一発で、どこの誰かが分かって良いかもしれない。

「俺は菫の間の、ジーク・リッチモンド伯爵子息だ。よろしくな」

 確か僕と同じで、次男だ。こちらは紫色の瞳に、よく日に焼けた肌をしている。が、別に褐色の肌というわけではない。こちらは六歳年下だっけ。僕より少し背が低い。こちらは五人の侍従を連れている。

「まぁ行かず後家の貴方に負けるとは思わないけどな」
「同感だ。百合の間の側妃といえど、薔薇の間の俺よりも条件が劣っているからな。爵位は兎も角、本人の条件が」

 二人は僕を嘲笑しながら見た。確かに父に貰った資料によると、僕が最年長で、唯一の二十代、それも二十代半ばにさしかかる所だ。他は皆、十代らしく初婚らしい。当然子供もいないそうだ。

 うん。行かず後家というか、僕はバツイチ子持ちである。
 それにしても……喉が渇いたなぁ。
 お茶会なのに、お茶が出てこないってどういう事だろう。

 僕は周囲を見渡したが、大勢侍従がいるのに、誰も用意をする気配も無い。

 その後、よく分からないイヤミ(?)を二時間ほど聞かせられた僕は、やっと解放された時には疲れきっていた。部屋へと戻ると気が抜けて、無性に眠くなった。その欲求に従い、僕はすぐに寝た。


「起きて下さい、ユーリ様、ユーリ様!」

 マークの声がしたと思った直後、僕は毛布を強制的に剥ぎ取られた。

「ん……」

 まだ眠い。僕は、緩慢に瞼を開けた。朝なのかと思ったが、窓の外はまだ真っ暗だった。ゆっくりと上半身を起こして時計を見ると、夜の九時だった。

「何?」
「殿下のお渡りがあります。準備をしなければなりません」

 思わず僕の顔は引きつってしまった。
 ――お渡り? え?

 なんだと……来るのか、あの人。僕は第二王子殿下の顔を必死で思い出した。忘れかけていた。ただ明確に覚えている事として――僕の事を気に食わなかったらしいのに……本当に来るのかな?

 ああ、なるほど。そうか、一応礼儀として顔を出すのか。

「湯浴みをして下さい」
「うん」

 マークに促され、僕はお風呂に入る事になった。白い浴槽にも、百合の意匠が刻まれている。お湯が出る部分には、グリフォンの彫刻があった。香油入りのお湯らしく、甘ったるい匂いがする。初めてなので、この香りには慣れない。だが、お風呂は好きだ。その後体を洗ってから、再び湯船につかり、長々と入っていると、マークが顔を出した。

「そろそろ上がって下さい。もう少しで、第二王子殿下がいらっしゃるお時間です」

 本当に嫌だなぁと思いながら、僕は、入浴を終えた。そして、薄い生地で出来た服を纏い、それを無言で差し出してくれたルクスを見た。

「これさぁ……」
「ご不満ですか?」

 ルクスが俯きがちに僕の服を見る。百合の紋章が入った、薄い夜着だった。着心地は良いのだが、なんか、恥ずかしい。ペラペラなのだ。前で合わせて腰元を紐でとめる形なのだが、すぐに脱げてしまいそうな服なのだ。あれ、それより、下着は?

「いや、そんな事はないんだけど……所で下着は?」
「おつけになるんですか?」

 するとルクスが驚愕したように瞬いた。呆気にとられているように見えた。普通下着って身につけるよね? なんでそこで驚くんだろう?

「え? はいちゃ、駄目?」
「いえ……」
「なんか風邪ひきそうだから、出来れば上着も欲しいな。ゴメンね、初日にこき使っちゃって」

 申し訳なく思って頭を下げると、驚いたようにルクスがこちらを見た。ただ今回の驚きは、信じられないものを見るような眼差しで、先ほどの驚きとは質が違っていた。どこか狼狽えたような顔をしている。

「頭を……その、お上げ下さい。すぐにお持ちします」

 その後ルクスは、何度も頷いた。

 ルクスは良い人みたいだ。花瓶の水もかえてくれるような気がする。寧ろ頼んでみようかな。とても素直で優しい人物に思えた。

「よろしく」

 僕がそう告げると、ルクスが早足で取りに向かった。それからすぐに、僕はルクスが持ってきてくれたガウンを羽織った。そして居室に戻ると、マークがハーブ入りの水をくれた。マークは、飲み物を作るのが、本当に最高に上手い。紅茶を何度か淹れてもらって、僕はそう確信している。

「所でさ、殿下は一体何をしに来るの?」

 ソファに座り僕が尋ねると、ルクスが息を呑んだ。マークは呆れたように溜息をつく。

「そりゃあ、ヤりにくるんじゃないですか?」
「ぶ」

 思わず僕は水を吹き出しそうになった。後ろの孔の危機じゃないか……!
 その時、ノックの音がした。僕は一気に緊張した。

「はい」

 マークが少々大きな声で返事をし、扉をゆっくりと開けた。

 見ればそこには、マントを纏った怖い顔の青年――ティセラード・ワイズ・コーネリアス第二王子殿下が立っていた。マークとルクスが、隣の部屋へと消えていく。侍従の控え室だ。ティセラード殿下は、後ろ手に扉を閉めて、歩み寄ってきた。何この怖い顔。慌てて立ち上がった僕は、テーブルの横に膝を突いた。

「俺がどうしてここへ来たか分かるか?」

 僕は後ろの孔について考え、怖くなって沈黙した。多分、顔が引きつってしまっていたと思う。だが、続いた言葉は予想外のものだった。

「――俺は、お前を愛する気は無いと言わなかったか?」
「仰いました」
「では何故本日、正妃気取りで、他の者を呼びつけ、茶会を開いた?」
「え?」

 茶会に呼ばれたのは僕だ。このやる気の欠落した僕が、茶会なんて面倒そうなものを率先して自分から開くわけがないし、未だに何故あの雑談(イヤミ)の場が、茶会と呼ばれているのかも知らない――だって、最後までお茶は出てこなかったのだし。

「お前にこの百合の間をあてがったのは、ただ出自と爵位が、一番上だったからだ」
「はぁ」

 頷いてみたが、僕は別に部屋にこだわりはない。

「弁える事だな。それだけだ」

 吐き捨てるようにそう言うと、殿下は出て行った。
 よく分からないが、後ろの孔が無事で、僕は安堵する。
 乱暴に扉が閉まり、殿下の姿が見えなくなったので、天井を見てからソファに座った。

「……ユーリ様」

 そこへマークが顔を出した。ルクスもその後ろから顔を覗かせた。

「ん? どうかした?」
「こう……もうちょっと引き留めるとか、反論するとか、何かした方が……」
「え。僕、苦手な相手との会話は、即刻打ち切りたいんだけど、駄目だった?」

 僕はマークにそう返してから、続いてルクスを見た。

「……」

 ルクスは無言だ。しかし何か言いたそうではある。ルクスは王宮から派遣されているのだし、お渡りにも詳しいかもしれない。そこで僕は尋ねる事にした。

「ルクス。これまでの王宮では、お渡りは、どんな感じだったの?」
「俺は……邪眼の持ち主なので、たらい回しにされてきました。なので、詳しくは知りません」

 ポツリとルクスが言う。とても寂しそうな声音だった。

「ユーリ様もご不満なら、俺を侍従から外して下さい」
「別に。ふぅん。大変だったんだ」
「っ」

 僕の言葉にルクスが息を呑んだ。なんだろう、この反応。そんなに冷たい対応を受けてきたのだろうか? 僕はルクスが可哀想になってしまった。

「俺がここに回されたのも、他の側妃の皆様の嫌がらせです」
「え、そうなの? どの辺が?」

 よく分からなかった。僕はルクスが侍従で満足している。
 しかしルクスは沈黙してしまった。
 とりあえず、さっさと寝ようと、僕は寝台に転がった。今度こそ、本格的に眠ろう。



 ――翌日は、茶会は無かった。

 代わりに、紫陽花の間と水仙の間と茉梨花の間に輿入れした三人が、わざわざこの百合の間まできて、挨拶してくれる事になったと聞いた。

 マークにお茶の用意をしてもらう。ソファに座って、僕は良い香りがする紅茶を味わっていた。

 その時ノックの音がした。
 確か最初に来るのは、紫陽花の間の側妃だったはずだ。

「どうぞ、お入り下さい」

 ルクスが答えて扉を開くと、赤髪の青年が入ってきた。目の色は紫色だ。
 背がものすごく低かった。愛らしい。

「お初にお目にかかります、白百合様。隣国ファネルの第二王子、カレット・ファネルです」

 白百合様……? 誰だそれ。え? 最初僕の頭は、理解を拒んだ。

 ファネルは、隣国にある小国だ。そもそもこの後宮には、人質を住まわせる意図もあると、父から聞いた気がする。その一つが、茉梨花の間に住むカレット王子だ。何で侯爵家の僕より、位が上の王子様の方が、順位が低い間に住むのだろう。話を聞いた限り、百合の間が正妃候補だとは言うが、人質とはいえ、カレット王子に百合を与えた方が良い気がする。なにせ、王子様だ。

「バージニアス王国のユーリ・ファブランです。ファブラン侯爵家の次男です。よろしくお願いします」
「温かいお言葉に感謝いたします。これは、ファネル教国から持参した装飾具です。宜しければ」
「お気遣い無く」

 本当、気を遣わないで欲しいのだが、彼はお土産をくれた。

 カレット王子の目の色そっくりの薄紫色のブレスレットだ。彼の目はもう少し濃く、紫闇色だ。少々たれ目だ。

「それでは、あまりお時間を頂戴するのも恐縮なので、ご挨拶までに」

 そう告げ、カレット王子は優雅に一礼すると帰って行った。
 扉を閉めながら、マークが眉を顰めている。

「良い人そうだね」

 僕は改めてカップを持ちながら、そう述べた。
 あの人ならば、暇な三年間の内に、お友達になれるかも知れない。

「人が良さそうですが、目が笑っていませんでしたね」

 だが、マークの評価は違っていた。

「早々に、ユーリ様に取り入ろうとする姿も、ちょっと気になるし」

 マークが続けた。

 僕は取り入られようとしていたのだろうか……?
 大体僕に取り入った所で、良い事なんか無いのに。
 そうしてお茶を飲んでいると、再びノックの音が響いた。
 出迎えると、そこには水仙の間に輿入れしたという、金髪の青年が立っていた。

「どーも。水仙の間の、ギルベルト・ファスカーです。ファスカー男爵家の長男ですわ」
「お初にお目にかかります。ユーリ・ファブランです」

 もう挨拶に疲れきっていた僕だが、なんだか気さくな感じのする青年だったので、ちょっとだけ肩から力が抜けた。それにしても長男が輿入れしてしまって良いのかな。

「ギルって呼んで下さい」
「じゃあ僕のことはユーリと」
「ユーリ様」

 正直、『様』とかイラナイ。が、侯爵家で生きてきた僕は、様付け不要と言うと、相手に困った顔をされる事が多かったので、小さく頷くにとどめた。

「わいの所は、名産がカカオなんですわ」

 この一人称の『わい』や語尾の『ですわ』は、南国訛りだ。聞いた事が無い家名だが、父がくれた資料に、カカオで最近裕福になってきたファスカー辺境伯という人がいたから、彼だろう。金髪はそれ程この国では珍しくないが、海色の瞳は珍しい気がする。よく日に焼けていて、朗らかに笑っていた。

「それで作ったチョコレート。良かったら食べて下さいなぁ。あ、毒とかは入ってないんで」

 ど、毒? 普通は毒入りなのだろうか……? 僕は、この後宮が恐ろしくなってきた。

「今度わいの部屋にも遊びに来て下さいなぁ」
「は、はい」

 僕が硬直していると、いつの間にかギルは出て行った。
 思わずマークを見ると、溜息をつかれた。

「ファスカー辺境伯が治める土地では、懐疑草という毒花もまた有名なんですよ」
「ああ、それであんな事を」
「気にくわないと、彼は笑顔で毒殺するそうです。お気を付け下さい」

 ……もう駄目だ、人間不信になりそうだよ僕。
 震えていると、またノックの音が響いた。
 扉が開き――今度は、見るからに上質な服を纏った少年が立っていた。

 最後という事は、多分茉梨花の間の側妃だ。十四歳くらいか。僕と十歳くらいは違った気がする。

「ふぅん、男妾か」

 吐き捨てるように、軽蔑するように言って、少年が僕を見た。

「アーガスト帝国皇帝が第五子たる僕が、何故こんな場所に」

 舌打ちが聞こえてきた。彼もまた、政略結婚で、人質としてここへ来たのだろう。

「ユーリ・ファブランです。よろしくお願いします」
「よろしくだと? そんな気は無い。礼儀として名乗るとすれば、僕はシアン・アーガストだ。名前で呼ぶことは許さない。分かったか? 僕に無礼を働けば、帝国はこの国を攻撃する。では、失礼する」

 すごい嫌そうにそう言ってから、少年は出て行った。
 これで僕の今日の日程は、終わりだ。
 何回挨拶したんだろう、僕。