【六】星巡りの詩






 その内に、三ヶ月が経過し、約束の三年目まで、残り三ヶ月となった。僕は春が近づいている庭を歩きながら、顔を出したフキノトウを見ていた。まだまだ蕾の状態だ。雪が残っている。

 マークもルクスも、ここの所、荷造りをしている。

 ルクスは元々この王宮で働いていたが、僕が帰るのにあわせて、僕の家に転職してもらう事にしたのだ。ルクスは、本当によく働いてくれている。

「本当に、邪眼の俺がお供しても良いのですか……?」

 不安そうにルクスが言ったのは、庭の散策を終えてからすぐの事だった。マークは紅茶を置いてから、再び荷造りに取り掛かった。三年も過ごしていたから、持ち物も少し増えた。それに持参した家具なども持ち帰らなければならないらしい。

「うん。ルクスがいてくれると、僕は安心できるから、是非一緒に来て欲しいんだ」

 僕の言葉に、ルクスが微苦笑しながら頷いた。
 僕は、マークとルクスがいなかったら、とっくに心が折れていた自信がある。
 その時――マークが僕を見た。

「所で――良いんですか?」
「何が?」

 ルクスを伴う事には、マークも賛成しているから、何の話だろうかと、僕は首を傾げた。

「――ティセラード殿下は、きっと、ユーリ様の事が好きですよ」
「まさか」

 僕は喉で笑った。何度か好きだとは言われたが、どう考えても閨での睦言の域を出ないし、本心だとは思えない。それに何より、殿下には、白雪さんがいるのだ。僕から見ても、彼は非の打ち所が無い。

「だって、この三年間で、手を出されたの、畏れ多くもユーリ様だけなんですよ?」

 マークが眉を顰めた。

 僕は、あり得ないだろうと思って首を振る。なにせ、僕の元には池の一件以来顔を出していないのだし、他の側妃の部屋には頻繁に通っているという話なのだから。あの麗しい白雪さんに手を出していないというのは考え難い。

 ティセラード殿下は、閨が好きだと僕は思うのだ。なにせ一時期は、散々僕の体を開発する事に夢中になっていたのだから。僕はちらりとチェストを見た。結局、貰った張り型を僕は一度も使った事は無い。だが――時折ティセラード殿下の体温を思い出しながら、僕は自慰に耽ってしまった。ただそれは、後宮にいる間だけ、自分に許した行為である。

 後宮から出たら、僕はティセラード殿下の事を忘れる決意をしているのだ。

「……俺も、好きだと思います」

 すると珍しくルクスが自発的に言葉を発した。

「二人の気のせいだよ。君達は、僕が主人だから、そんな風に買いかぶってくれるんだ」

 僕が答えると、二人は沈黙した。そしてそれ以上は、何も言わなかった。



 こうして――三年目の日は、すぐに訪れた。
 僕は男としては初めて、側妃の位から外れる。多分、それで良いのだろう。

 後宮の歴史の一幕を築く形となるが、同性婚を広めるという目的は、十分に果たしたと考えている。父とは手紙のやり取りをしているのだが、帰ってきて良いと言われた。父は、僕に対し、『自分の想う通りに、自分の気持ちに素直にするなら、どのような結論でも構わない』という内容の手紙を送ってきた。僕の気持ちは固まっている。僕は、後宮から出るのだ。ユースに会うのも楽しみである。

 僕が百合の間から出る事になったその日、誰も見送りには来なかった。
 荷物を運び出しているマークとルクスだけが、そばにいてくれる。

 まぁ当然だろう。僕は後宮において、何の人脈も築かなかったし、結局友達すら出来なかったのだから。

 その後、荷物整理を終えて、マークとルクスが馬車を呼びに行く事になった。
 僕は荷物番をする事にして、百合の意匠が刻まれている扉に、背中を預けて立っている。
 通りかかる人物も特にいないので、それから暫しの間、僕は俯いていた。

「おい」

 その時、誰かの声がした気がした。だが、誰も見送りになんか来ないはずなのだから、幻聴だと思って、僕はそのまま下を向いていた。ティセラード殿下の声に聞こえたが、一番来ないだろう人物なのだから、気のせいで間違いないだろう。殿下は僕に、興味などないはずだ。僕が出ていく事すら知らないだろうし、知っていても関心を持つ事は無いだろう。

「おい」

 しかし続いて響いたテノールの声音に、思わず顔を上げた。
 僕が好きな、耳触りの良い声音だった。聞き間違えるはずもない。
 顔を上げた僕は、そこにいるティセラード殿下を見て、目を見開いた。

 殿下は、僕のもとに、つかつかと歩み寄ってくる。

 そうして――不意にティセラード殿下が、僕の両手を取った。力強く両方の手首を握られる。殿下の体温が愛おしすぎて、僕は硬直した。やっぱり、大好きだ。しかし、何故殿下はここにいるのだろう。そしてどうして、僕の手を取ったのだろう?

「殿下……?」
「出て行くのか」
「ええ。三年が経ちましたし」
「……その間に、やはり俺は、お前に愛されなかったのか」
「え?」

 首を傾げるしかない。だって僕は……もう、殿下のことが好きなのだから。
 だからこそ早く、ここから出るべきだ。
 殿下にはもう、寵愛している人がいる。

 そして僕は、それを見聞きする事に耐えられないのだから。

「どうしても、正妃になってはくれないのか?」
「だって、陛下には、スノー・ブランシェ子爵子息もいるし……」
「アイツとは何もない。押して駄目なら退いてみろなんて、あいつが言うから、俺はお前の部屋に来ないようにしていたんだ。つまりは、恋愛相談をしていただけだ」
「恋愛相談?」
「どうすれば――お前の愛を、心からの愛情を、手に入れられるのかと」

 何を言ってるんだコイツは、と思った。そんな相談を本気でしていたのなら、相談をする暇があったのならば、僕のもとへ来てくれれば良かったのに。恨めしく思ってしまう。いいや、どうせただ嘯いているだけだ。出ていく側妃に、最後に優しい言葉をかけに来ただけだろう。

「好きだ。正妃じゃなくても良い。せめて、せめて後宮にいてくれ」
「……」

 僕は何を告げればいいのか分からず、無言になった。僕は、ティセラード殿下の言葉を、何も信用できない。出会いからして最低最悪だったし、その後だってずっと冷たかった。優しかったのは、ほんの一時期だけだ。その時だって、寝台の上では意地悪だった。

「愛しているんだ」
「……お気持ちは嬉しいのですが……」

 ただ――仮にこれが嘘だとしても、そう言ってもらえただけで僕は幸せだ。そう感じるほどに、僕は冷たかろうが最低だろうが最悪だろうが、もう今では殿下の事が好きでならないのだ。だからこそ、出て行くのだ。僕はもう、自分の感情に押しつぶされそうで、耐えられないのだから。僕はゆっくりと瞬きをした。長い間目を伏せ、それからしっかりと目を開けて、殿下を見た。

「子供にも早く会いたいですし――」
「引き取って良い」

 僕が言いかけた言葉を、殿下が遮った。

「俺は、お前が俺のもとを離れて、他の誰かと添い遂げるなんて許せない」
「……殿下」

 それなら、それが本心なら、どうして今まで会いに来てくれなかったんだろう?
 絶対に、こんなの嘘だ。恋愛相談をしていたなんて信じられない。
 どうせ僕に興味が無かっただけのはずだ。

「愛してるんだ、お前の事を。ユーリの事を」
「どうして……本当に、僕を?」

 そうは思うのに、僕はつい、聞いてしまった。殿下の言葉が本心である事を、どこかで祈っていた。殿下に愛していると言われた瞬間、涙腺が緩んでしまいそうになった。僕は必死で涙を堪える。

「最初は一目惚れだった。今は、性格も何もかもが好きで、恋いこがれている」

 そう続けた殿下に、不意に抱きしめられた。
 僕は、この温度が好きだ。力強い腕の感触も大好きだ。

 こんな風にされたら、離れがたくなってしまう。だが、僕は後宮を出る――だから、そうしたら……ああ、もう二度とこの温かい腕で、僕は抱きしめられる事は、永遠に無くなるのだなと思った。そう考えると、寂しい。無性に寂しかった。

「お前のためなら、継承権も捨て、何もかも放棄しても良い。俺が侯爵家へとついていっても良い。そのくらい、俺はお前の事が好きなんだ」
「っ」
「本当に、愛しているんだ」

 そう言うと殿下が僕に顔を近づけた。直後、唇に柔らかな感触がした。殿下の舌が、僕の口腔を犯す。

「んぁ」

 苦しくなって吐息すると、更に角度を変えて、キスをされた。久方ぶりの口づけは、とても甘美で、僕は夢中になった。

 そして僕は――漸く唇が離された時、真剣な殿下の瞳を見てしまった。

「頼むから、俺の側にいてくれ。何処にも行かないでくれ」
「――それは、ご命令ですか?」

 僕が尋ねると、思案するように瞳を揺らした後、殿下が頷いた。

「ああ」

 それを聞いて、僕は――……気づくと無意識に頷いていた。
 このようにして、僕の引っ越しは取りやめになった。
 そうして僕は、後宮に残る事になったのだ。



「折角荷造りをしてもらったのにゴメン。そ、その……殿下のご命令だから、逆らうわけにもいかないし」

 僕が言い訳がましくそう言うと、マークとルクスは、最初苦笑した。だがその後、二人はそれぞれ穏やかに笑った。

「引き止めに来るなんて、愛ですよ! 愛!」
「やっぱり、殿下はユーリ様を愛していると……思います」

 二人は荷物を部屋に戻しながら、口々にそう言った。

 その後――残った僕は、何故なのか、他の側妃を束ねる立場になった。ある日、白雪さんが、大勢の側妃を連れてきて、僕に茶会を開くようにと言ったのだ。連れられて来た側妃達にも促されて茶会の席を設けたら、それまで白雪さんの派閥だとされていた大勢が、その日以来なぜなのか、『白百合派』を名乗りだしたのである。その中には、ギルもいた。

 だから例えば他の側妃――ファスカー辺境伯のもとからカカオを輸入してみたり、少しずつ仕事もするようになった。後宮から、もう三年経つのだし、正妃がいない以上、少しずつ妃業務を手伝って欲しいと打診された事も大きい。

 それに限らず、そもそも僕は、王宮において魔術で第二王子殿下が害されないように、お護りするために側妃になった一面もあるのだった。所謂、後宮内での護衛だ。その事はすっかり忘れていたのだが、残ると手紙で父に知らせた時に、『しっかりとお守りするように』という言葉が返ってきて思い出した。輿入れした日すら、僕は忘れていたと気づいた。

 そうして僕は――息子のユースも呼び寄せた。するとユースと、第二王子殿下のご子息であるアーネスト・ワイズ・コーネリアス殿下が仲良くなった。遊ぶ二人を、僕は度々庭で見守っている。

 このように――それまでとは一転して、僕は中々に充実した日々を送るようになった。



 そして――結局、正妃となった。

 ティセラード殿下が、それを望んだからだ。僕は、断る事を止めた。もう、自分の気持ちに正直になる事に決めたのだ。愛する人の望みは、叶えられる事ならば、叶えたいと思った。

 結婚式で指輪の交換をした時、男同士なのになぁと思ったりもしたが、コレはコレで幸せだから、良いのかも知れない。

 その後、僕達はお伽噺のその後のように、温かい日々を送った。
 それが一つの結末だった。
 だが――近距離にいるようになったのに時折、ティセラード殿下を遠く感じる。

 そんな風に感じる度、僕は心配になってくる。自分の弱さが。
 僕は庭園で、白い百合を見ていた。

「忘れられちゃったらどうしよう」

 最初はそれでも良かったはずで、むしろそれを望んでいたはずなのに、今ではもう、殿下の不在には、耐えられそうに無いのだ。一緒にいすぎたからなのかもしれない。結婚後は、毎夜殿下が、再び僕の部屋へと訪れるようになった。

 一人ポツリと呟いた僕は、もしも忘れられたらどうするべきかと考えた。
 仮にそんな日が来たとしても不思議じゃない。これまでの事を考える限り。
 ――だけどその時、僕はどうするのかな。

 泣いてすがってみる?
 無い無い。
 手紙を書いてみる?

 面倒くさい――が、これは皆もしているそうだし、殿下にも求められた事がある。
 だが……面倒だし、泣くような真似は恥ずかしくて出来無いというのは本心だ。

「――これじゃあ忘れられても仕方が無いかなぁ」

 そんな独り言を口にした時だった。

「何の話だ?」

 不意にかかった声に、僕は目を見開いた。
 一人で庭園にいた僕の真後ろに、振り返ると殿下がいた。

「ど、どうしてこちらに……?」
「やっと少しの間、休息する時間が取れたんだ。会いたかった」

 そう言った殿下に僕は抱きしめられた。探しに来てくれたみたいだ。
 ――僕は幸せだ。
 ここにいる限り、会えるのだから。

 静かに二人で花を眺め、談笑する。
 こんな時間がどうしようもなく、嬉しい。
 春も夏も秋も冬も、ずっと一緒にいたい。

「もしも先ほどの話が俺の事なら、俺がユーリを忘れることなんてありえないからな」

 そう言うと、殿下が僕にキスをした。僕達の新たなる日常は、まだ始まったばかりである。だから一つの結末を迎えはしたものの――ハッピーエンドはまだ先だ。これからである。あの日、殿下が引き止めてくれて、本当に良かったと僕は思っている。

「ねぇ、ティセラード殿下」
「なんだ?」
「僕はその――……きちんと殿下を好きになりました」
「知っている」
「え?」
「俺は命令をした。どうしてもお前に、そばにいて欲しかったから。だが、残ってくれたお前を見ていたら、愛を感じる事が増えた」

 僕は気恥ずかしくなって俯いた。すると殿下が僕の顎を持ち上げて、まじまじと覗き込んできた。

「もう一度、ちゃんと言ってくれ。正妃に迎える際に、大々的に結婚式までしたというのに、お前から好きだと言われたのは、今が初めてだぞ?」
「……好きです」

 そう言えば、僕は自分の気持ちをずっと押し殺してばかりで、殿下に告げた事は無かったのだった。それこそ閨の睦言ですら。

「愛しています」

 僕が意を決してそう述べると、殿下が僕を両腕で抱きしめた。
 この日から――僕は、きちんと愛の言葉を殿下に述べるようになった。



 ――夜。

 僕は寝そべって、殿下の首に腕を回している。
 そんな僕を貫きながら、殿下が荒々しく吐息した。
 獰猛な色を瞳に宿した殿下は、僕の感じる場所を責め立てる。

「あ、あ……ぁ……ァ……」

 両方の太ももを持ち上げられて、僕は深々と貫かれていた。殿下の巨大な楔が律動する度に、僕は快楽から涙を零す。

「ん、ン……あ、ハ……ああ、ッ……んぅ……」
「ユーリは、本当にここが好きだな」
「あ、ああ!」
「っく、締め過ぎだ」
「だって、あ、あ、ああ! あ!! 殿下、あ、もっと、あ」
「煽るな。抑制が効かなくなる」
「ン――!! あ、ア……っ、ぁ……ああ!」

 緩急をつけて、殿下が動く。その度に、僕の口からは嬌声が漏れた。体が、ドロドロに熔けてしまいそうなほど熱い。汗ばんだ僕の肌に、髪が張り付いている。じっくりと昂められていくと、僕の全身は炙られたようになり、全身が解放を求め始めた。

「ああッ!」

 その時、一際激しく打ち付けられて、僕は放った。同時に殿下も中に出した。僕の内側から、殿下の白液が溢れている。もう何度もお互いに達していた。

 明日は休暇だからと、その夜は長い間交わっていた。
 僕は泣きたいほどに、幸せでならなかった。



――数日後。

 夜、良い香りのする珈琲の入ったカップを、僕は手に取った。

 本当は夜にはあまり飲まない方が良いらしいんだけど、僕は仕事(?)が一段落した後に、この褐色の液体を飲むのが好きなのだ。これもギルが王宮にもたらした品だ。

 正妃の執務は地味に忙しい。

 今日も隣国の建国祭へ出席する前に片付けなければならない、国内の雑務の整理に追われていた。

 もう日付が変わってしまっている。

 僕が休まないと、侍従のマークとルクスも休めないから、早く百合の間へ行かなければならないのはよく分かっている。執務机の前で、カップを置き僕は漸く立ち上がる決意をした。

 一人きりの正妃用の執務室で、ホッとするなんて言う貴重な時間は、それでもかけがえがないし、これもまた幸せだと思う。

 望んで正妃になった訳ではないけれど、今では、本当は望んでいた部分もあったのかななんていう風に思う時もある。理由は、いつか白雪さんに言われたけれど……本当は、ティセラード殿下を独占したかったのかもしれない。

 つまり殿下と一緒にいられる頻度が増えるからだ。
 僕は本当に恋をしているのだと思う。
 そう思えば勝手に両頬が持ち上がった。

 ただ、正妃は一人の時間なんてほぼ無い。この、今の、夜の仕事終わりが唯一だ。
 仕事に集中したいからと言って、二人にも隣室で待機してもらっているのだ。

 正直二人だって、この部屋で立っているより、座って休んでいた方が良いと思うんだよね。

 それから僕はマークとルクスに声をかけ、回廊を歩く事にした。百合の間へと戻るためだ。

 他に人気はない。壁中が硝子で出来ているから、星空がよく見える。瞬く星は日々巡り、何かを囁くような、歌っているような、そんな煌めく表情を見せている。

 うん、今日の僕は詩人だな。

 そんな事を思って笑った。実はユースに詩を考えて欲しいと頼まれていたので、最近必死に風景を見ていたりする。息子の頼みは可愛い。

 こうして百合の間へと戻った。そして、息を呑んだ。

「遅かったな」

 僕は硬直し、目を見開いた。

 そこには気配などまるでなく、ティセラード殿下――要するに僕の配偶者がいたのである。それもお一人だ。部屋の外にも近衛の姿も何も無かった。マークとルクスは、慌てたように一礼して、控え室へと下がっていく。

「で、殿下? こちらで、何を……」
「ユーリ、お前を待っていた意外に何があると言うんだ?」
「あ、えっと」
「随分と待たせてくれたものだな」
「申し訳ありません」
「まさかどこかの誰かと密会してきた訳じゃないだろうな?」
「え?」
「――冗談だ。最近、働き過ぎ何じゃないのか?」

 殿下はそう言うと、僕に歩み寄ってきて、唐突に腕を引いた。
 殿下の胸の中に倒れ込んだ僕は、そのまま抱きしめられた。

「会いたかった」
「あ……」
「仕事に嫉妬しそうになる」
「へ?」
「仕事と俺のどちらが大切なんだ?」
「そんなの仕事に決ま……」
「……なんだって?」
「いえ?」
「……今日は寝られると思うな」

 そんなやりとりをしてから顔を見合わせ、触れ合うだけのキスをした。
 この感触と温度に僕はもう慣れた。
 大好きになった。

 たまに怖くなる。こんなに幸せで良いのだろうかと。穏やかすぎる幸せが怖い。安定している幸せが怖い。幸せすぎて怖くなるんだ。

 贅沢すぎるだろうそうした悩みを噛みしめていたら、その場で服の首元を緩められた。
冷たい外気に肌が触れた時、鎖骨の少し上、首筋を強く吸われる。

「ン」

 チクリと鈍く痛み、痕をつけられたことが分かる。

 殿下は僕に痕をつけるのが好きだ。消えないようにと、何度も何度も会う度に、同じ場所にキスをする。自分の物だという証らしいんだけど、僕は僕の物なんだけどな……。

 そして僕は自分の意志で、きちんとちゃんと正妃を今ではしているから、どこかに行ったりしないんだけど、信用がないのかな。ちょっと悲しいかも知れない。

「ふ、ァ」
「考え事とは余裕だな」
「で、殿下……ぁ……」

 するりと下衣の中に手を入れられて、直接的に陰茎を掌で覆われて僕は震えた。
 ゆるゆるとその手を動かされるとすぐに、反応してしまう。

「ぁぁ、あァ、やっ……で、殿下、待って」

 立っているのが辛くなってきて、思わず舌を出して荒い吐息を吐いた。
 すると耳の中に舌を差し込まれ、すぐに全身の力が抜けた。

「っ、フ」

 絨毯の上に座り込みそうになった所を片手で抱き留められる。
 そのまま寝台まで引きずるように連れて行かれて、衣を剥かれた。
 天井との間にある殿下の端正な顔を見て、エメラルド色の瞳をまじまじと眺める。

 ――星よりも、ずっと澄んでいるように見える。

 中へと殿下の陰茎が入ってきたのは、それからすぐの事だった。

「ぅ、ぁ……は、ァ……あああ!!」
「キツイ、少し力を抜いてくれ」
「ひァ、あ、できなッ……や、まだ、無理、あ」

 腰が引けそうになった僕を逃がさないというように、しっかりと殿下の骨張った手で引き寄せられた。より深々と繋がる形になり、もう覚えさせられてしまった快楽から涙がこみ上げてくる。挿入の衝撃からじゃない。僕は確かにもう、殿下の体に馴染ませられている。殿下の楔に穿たれるだけで気持ち良くなってしまい、僕は快楽から涙するのだ。

「無理? 無理じゃないだろう?」
「あ、ハ……殿下、う」

 動きを止めた殿下が、意地の悪い顔で僕を見た。
 そして僕の手首を握ると、無理矢理僕の体を起こして体勢を変えた。
 繋がったままで、今度は上に乗せられる。

「あああン」

 内部で動いた巨大な質量に、体の奥がジンと熱くなった。
 その上深々と貫かれる形になって腰が震えてしまう。

「動いてみろ、たまには自分で」
「や、ぁ……」
「俺はこのままの状態で朝まで繋がっていても構わないぞ。嫌、明日の夜までであってもな」
「ひッ、ンあ、あああっ、殿下、そんな……フぁ!!」

 軽く緩く一度だけ突き上げられて、僕はボロボロと涙を零した。

 動き方なんて忘れてしまっていたので、どうしたら良いのか分からないでいると、次第にもどかしさがこみ上げてきた。

「あ……ぁ……ァ……ッッッ」
「動け、ユーリ」
「は、はい……ンん」

 僕はおずおずと両手を殿下の方に乗せ、腰を揺らした。
 すると背骨を走りあがるように快楽が広がった。
 気が遠くなりそうな快楽。僕は悦楽に浸る。

「殿下、ぁ……」
「なんだ?」
「その……気持ち良いですか……?」
「!」

 僕だけ気持ち良くたってダメだと思って聞いた瞬間だった。息を呑んだ直後、吹き出すように笑った殿下に、再び体勢を変えるように押し倒された。

「ああああ!!」
「決まっているだろう?」

 それまでとは異なり激しく抽挿され、僕の視界は白くチカチカと染まった。
 そのまま乱暴に突き上げられ、気づくと僕は快楽の内に意識を失っていたのだった。
 目が覚めると、殿下が僕を腕枕していた。

 なんだか全身を気怠さが襲っていたから、素直にその腕に収まって、額を殿下に押しつけてみる。

「起きたのか? もう少し寝ていたらどうだ?」
「殿下こそ起きていたんですか?」
「いつまでもお前の寝顔を見ていたくてな」

 最近の殿下は出会った当初とは違って、本当に照れてしまうようなことばかりを言う。
そんな殿下の事も、僕は大好きだ。

 こうして今夜も、星の瞬きの元、僕らは共に眠る。
 やっぱりそこにある空気感の名前は、幸せだと僕は思うのだった。




      【完】