【6】
残暑が厳しい季節がやって来た。魔獣との戦いは再開したらしかったが、ここの所は搬送が少ない。というのも、人々が戦い方に慣れてきたかららしかった。良い事だとそれを聞いて、魔術医療塔の人々は考えていた。
その日――警報器が鳴らなかったのに、転移装置が作動したのは、昼下がりの事だった。入ってきたライスと、彼が腕に抱えている第二王子殿下を見て、バイルは目を見開き、グレンは青ざめた。
「何があった?」
「――持病の発作だと思いますが、急に」
短くやり取りをした後、診察が開始された。担当したのはバイルだ。終了するまで、グレンは外に出された。震えていたのもあったし、他のスタッフが、持病について詳しく聞き出してバイルに伝えるという流れもあった。ライスも一緒にそちらにいた。
診察が終わってから、グレンは眠る第二王子殿下のそばの椅子に座った。
そちらへの話よりも先に、バイルはライスに説明を迫られた。
「――魔力欠乏症が重なって、元々持病があった心臓に負担がかかってる」
「助かりますか?」
「助けられると考えてる」
「根本的な治療は?」
「それは――……それこそ移植以外は無い」
バイルは俯いた。溜息が出る。今後としては、魔導具の心臓補助器具を身につけて生活し、なるべく安静にしている――というのが、出来る事だ。
「では、すぐに移植の準備を」
「――へ?」
だから響いた言葉に、非常に驚いた。臓器移植は、魔力により不適応反応が出る。双子でも無理だ。可能となるのは、臓器が放つ魔力色が揃っている場合のみとなる。揃えるためには、人為的に魔導具で臓器を生成する必要があるのだが、人臓器の生成は、法律で禁止されている。一昔前の戦時中は、重要人物の臓器は、提供用人物を出生時に生み出して育てておいたらしいが。
「――王家には、同一魔力色臓器ドナーの宛があるのか?」
「ええ。王家の分家は、基本的に提供用に存在しています。第二王子殿下への提供者として、俺も生まれました」
「……?」
「だから同じ歳なんです」
そう言って朗らかにライスが笑ったから、意味が分からずバイルが首を捻った。
「それは、お前の心臓を第二王子殿下に移植するという意味か?」
「ええ」
「……? お前はどうするんだ? 魔導具の人工心臓の当てでもあるのか? 発掘されたという話は聞いた事がないが」
理論的にも、人工心臓は不可能だというのが定説だった。すると、今度はライスが首を傾げた。
「? ドナーは、廃棄処分と決まっています。あ、もしかして、他の臓器も不安が将来的に……? それならば、臓器保存用の魔導具の手配が必要ですね」
「は?」
「え?」
「それは何か? お前は、元気なお前の心臓を、第二王子殿下に差し上げて、お前は死にますと、そういうことを言ってるのか?」
バイルが改めて聞いた。するとライスが頷いた。
「そうですね」
「何言ってるんだ?」
「何って……そういう決まりですので」
「どこに決まりがあるんだ?」
「法律で決まっています。王族法で」
呆然とするしかなかった。バイルは目を見開いた。
「そんな事が認められるか!」
怒鳴ったバイルに、ライスが驚いた顔をした。何故怒鳴られたのか、全く分かっていない顔だ。ライスにとっては、それくらい当然の帰結だったのである。
「バイル先生には、移植手術が出来ないという事ですか?」
「当たり前だ。そんな旧法は違法だ。俺は不法な移植に手を染めるつもりはない」
「そうですか。では、他の先生に頼みます」
ライスはそう言うと立ち上がった。溜息をついている。
歩き出したライスを忌々しそうな顔で見た後、バイルはレイスに連絡した。
「――王家の分家的にこれは、真面目に、普通なのか?」
「普通なわけがないだろう!」
「俺、最近お前がまともな人間に思えてきた。お前がいなければ、レストハーミエル家は頭がおかしいと信じただろうな」
「だから最初にも話した通り、兄上は頭がおかしいんだ」
その後二人で、魔術医療塔の医師達に、心臓移植を依頼されても無視せよとそれとなく伝えた。目を覚ました第二王子殿下にも、バイルは率直に告げた。すると殿下は真っ青になって、王家に連絡して、廃止要求をした。見守っていたグレンも止めない。
そんな彼らの動きは知らず、歩きながら、何度かけても居留守の医師達に、ライスはイライラしていた。だが一番苛立ったのは、バイルに対してである。主治医失格に思えたのだ。
「いくら天才でも」
立ち止まり、ポツリと呟く。
「いくら腕があっても、やれないのであれば、それは腕がないのと同じだ」
その声はとても冷たくて、後ろに居た側近達も息を飲んだ。いつもの明るい笑顔も眼差しも、どこにもない。こちらがライス本来の表情だと付き人達は知っていたが、それでもゾクリとさせられる。
「やれないのとできないのは、同じだ」
それを聞いた時――側近のひとりが言った。
「ライス様」
「何?」
「――我々も反対です」
「っ……では、第二王子殿下が亡くなっても良いと?」
「そうではありません。貴方を失う事も良くないという事です」
その言葉に、ライスがポカンとした。言われた意味が分からなかったのだ。
だから意味を考えながら帰宅して、レイスに激怒された時には――唖然とした。
「レイス? けど、俺は王家の分家の当主として当然の――」
「当然だと? そんなはずがあるか!」
ライスは、困惑した。こう……『さすがは兄上!』『第二殿下のために!』と、感動されることは、あるかもしれないと思っていた。だから、何故こんなに怒られているのかが分からなかった。だがそれは、魔獣討伐の時のガムテープの一件でもそうだった。あの時だって、『倒した兄上は格好良い!』と言われる可能性は考えたが、何故なのか怒られて終わった。レイスは不機嫌になった。弟の気持ちが分からない……。
翌日になって、ライスは再び魔術医療塔へと向かった。電話に医師達が出ないので、直談判するつもりだったのだ。すると――第二王子殿下に呼ばれた。元々見舞いに顔を出す予定だったので、すぐに向かう。
「聞いたよ、ライス。何を考えてるだ」
そして泣かれて、既に王族法は改正方向だと聞かされた。
――どう受け止めれば良いのか分からなくて、不思議な気持ちでライスは屋上へと向かった。フェンスに両腕を預けて、街並みを見る。すると靴の音がしたから、振り返った。そこには、風で白衣をはためかせたバイルの姿があった。
「バイル先生……」
「なんだ?」
「……どうして、先生は昨日、俺を怒鳴ったんですか?」
「あ?」
「レイスも怒ったので、聞いてみたいと思って。レイスには聞ける空気じゃなくて……」
「何でって……そりゃ、お前が心配だからだ」
「――え?」
「お前が第二王子殿下を心配しているのと同じように、俺達はお前を心配したからだよ」
隣に並んだバイルの声に、ライスが大きく瞬いた。
「どうして……?」
「何が?」
「どうして、俺の心配を?」
「心配だからだ。心配に理由は無い。心配なんだ。それだけだ」
納得はできなかったが――ライスは、何故なのか少しだけ、胸の奥が暖かくなった。細く息をつく。
「それに俺を信用して任せろ。グレンだっているし。無理な魔獣討伐なんかしなきゃ寿命以上に第二王子殿下は長生きする。保証する」
そう言って、ポンとバイルがライスの頭を撫でるように叩いた。
その感触に――少し元気が出た。だから気を取り直して、久しぶりにライスはバイルに抱きついた。
「先生は、イケメンです!」
「だろ?」
バイルはライスを抱き止め、ニッと笑った。