【7】




 消滅したヴェスバルダ国の跡地で、魔獣が止めどなく溢れ出す大元の封印が発見されたのは、秋に差し掛かった頃の事だった。壊れた封印から次々と魔獣達が、時空間の歪みを通してこの大陸へと押し寄せてきていると判明した。その歪みの先がどこに繋がっているのかは不明だったが、それが古代の兵器である事は分かっている。

 ――封印の修繕に成功すれば、今後、これ以上魔獣が出現する事は無くなる。よって、再封印作戦が決行される事に決まった。これには大陸中の国々が正規の騎士を派遣する事になった。総指揮者は――ライス=レストハーミエル侯爵と決まった。現地からの最終避難先を魔術医療塔の庭として、大型転移装置の展開が決定された。

 魔獣討伐と並行して、再封印のための魔法陣術式が検討され、封印用魔導具の準備が進んでいく。エグワールドール国の魔術医療塔の庭に作戦本部が出来たのは、ヴェスバルダの現地にもっとも近いからだ。夏までは、さらに最寄りの国もあったが――既に魔獣により滅亡している。近隣各国に生存者が押し寄せていて、臨時国家も出来ている。魔獣は有害だった。存在だけでも驚異だが、巻き起こす異常気象や、大地を毒に変えてしまう生態も大層危険だ。元々小型の魔獣は原生していたが、規模が違う。

 準備には半年がかかり、決行は次の春――雪が消えてからとなった。
 それまでの間、ライスは本部があることも手伝い、以前よりも頻繁に魔術医療塔に姿を見せた。そして、バイルに抱きついた。

「先生っ! 寒いですね」
「おう」

 こうしてバイルが首にライスをくっつけている光景は、再び日常茶飯事となった。
 グレンと第二王子殿下の結婚式も無事に終わり、これを期に、第二王子殿下は騎士団の指揮を退いた。グレンは働いているが、帰宅時間が少し早くなった。

「あいつも昔はここに寝泊まりしてたんだけどなぁ」

 庭で、白くなる吐息を眺めながら、バイルが言った。グレンの忘れ物を届けに来た第二王子殿下が見えたからだ。すると首に抱きついていたライスが頷いた。

「不健康極まりないですね」
「まぁなぁ。そう思うんなら、休暇を増やしてくれ。経営者、お前だろ?」
「そのためには、魔術医療師を増やさなければならないんですが、回復魔力の持ち主はそう多くないのが現実です」
「怪我人と病人が減れば良い」
「そればっかりは、俺にはどうにも」
「そんな事は無い。予防を徹底すれば良いんだ」

 バイルの声に、ライスが目を丸くしてから、微笑した。

「良い考えですね。魔獣討伐が終わったら、本格的に検討しましょう」

 そんなやりとりをし、春を迎えた。
 ――死傷者が爆増した。壊れた封印に近づくにつれ、凶暴で巨大な魔獣が増えていく。しかし近づかなければ、再封印は出来ない。魔術医療塔は、命を救うだけの場所ではなくなりつつあった。死臭が溢れた。搬送されてきた時には、それは遺体であったり、人体の一部であったりと、生々しい酷な現実を見せ付けられる。

 いつ、初夏が来たのかも分からなかった。バイルはその日、久しぶりに二階の研究室の窓を開け、庭の木々を眺めながら――ライスの事を思い出していた。もう、出会って一年なんだなと思ったのは、無駄に良い記憶力が、黄緑色の小鳥を目にした時、最初に会った日も鳥を見たと教えてくれたからだった。少し前に見つけた誰かの忘れ物の杖が、壁にかかっている。

 煙草を吸い込み、カロリーを摂取する。

「バイル、封印に成功した!」

 その時、勢いよく扉が開いた。音を立てた戸口を見れば、グレンが走ってきた所だった。目を見開き、再び走り出したグレンの後を追う。二人で救命救急の部屋のモニター前に立った時、レイスを始め、計画を知る医師達が何人も集まっていた。

 巨大な封印石が、崖に埋め込まれている。今、時空間の歪みが収束しようとしているところらしく、禍々しい魔力が石の周囲に集まっていた。

「残り三時間もしない内に、石の下に全部消えるって」
「そうか」
「魔力が強すぎるから、現地からは、まだ転移装置が起動できないらしいんだ。だから帰還も三時間後らしいよ」

 グレンの声に、バイルが頷く。モニターには、ライスが映っている。真剣な表情だ。笑顔ではないが、この方が既に画面越しには自然になっている。見た所、怪我は無い。それに安堵しながら、時間が経つのを待つ。

 もうすぐ帰ってくる。早く帰って来い。そう思いながら、何度かバイルは時計を見た。声が上がったのは――二時間半が経過した頃の事だった。




「封印石が持たない」

 ライスは、現地で振動している巨石を一瞥しながら呟いた。

「俺は今から、転移して直接封印をかけ直すから、撤収準備を進めておいてくれ」
「――ライス様、ですが、封印自体は、あと三十分もしない内に、周囲の残り全てを巻き込んで収束します。至近距離にいれば、巻き込まれます」
「俺には転移がある。封印をかけ直して、俺は装置前に転移する。お前達が転移する瞬間に、そこに行く。そうすれば、そのまま装置に乗れる」
「万全を期するためには、いくつかの騎士団で残って、再封印をすべきでは?」
「――だが、そうすれば、残った者は、皆巻き込まれる。時空間の歪みの先は、どこにつながっているか不明だ」
「ライス様お一人が巻き込まれる必要はありません」
「だから俺は転移が……――それに、直接封印は人数がいれば良いというわけでもないし」
「では、ライス様が失敗したら?」
「他にも直接封印が可能な者がおります」
「――……確かに、その通りだ。でも……――これは、総指揮官としての、命令だ。全員転移装置側で待機だ」

 断言したライスの声に、息を飲んだ者が多かった。ここまで来て死にたくないと思っている者よりも、ここまで来たら、死んでも封印を成功させると考えている人間の方が多かった。逆にだからこそ、ライスは止めたのかもしれない。

 直接封印の準備をしながら、ライスは思い出していた。
 ――予防をしろ。と、バイルが言っていた。死なない予防だ。
 ちらりと人々を見る。撤退準備を素直に始めている。自分は、予防に成功したのだろうか?

 そう考えた五分後には、封印石の前に転移した。強い魔力が渦を巻いていて、呼吸をするのも苦しい。魔獣が撒き散らしていた瘴気が空気を怪我していて、防御魔術が無ければ吸った瞬間に即死する。魔術印を手で刻み、宙に直接封印用の魔法陣を展開しながら、ライスは目を細めた。もうすぐ終わる。

 ――最後の魔獣が出現したのは、その時の事だった。

「っ」

 突然の事に息を飲んだが、今更封印作業をやめるわけには行かない。
 この時になって初めて、こんな事ならば、素直に他の人間も連れてきて、自分が死んだ後も万全を期するべきだったとライスは思った。だが、仕方がない。肩を抉られたが無視して封印をかけ直した時、誰かの攻撃魔術が魔獣に炸裂した。一瞥すると、先程ライスに声をかけた幾人かが攻撃に出ていた。

 辺りに閃光が溢れる。
 ――強い吸引が急速に巻き起こり、あたりの木々、どころか、大地が持ち上がった。全てを封印石が引き込もうとしている。ライスは時計を見た。あと数分で、封印は完了だ。大型転移装置を見る。魔力もまた消失を始めたから、装置が稼働を始めた。そこに転移して、逃げれば終わりだ。だが――……自分は、転移可能だ。しかし、最後の魔獣を倒して、自分を助けてくれた人々は、転移が出来ない。転移は、防御魔力の最高値を必要とするが、それをこの場で所持しているのは、ライスだけだった。

「ライス様、早く装置へ」
「転移を」

 人々の言葉に、ライスは地面に着地しながら、思案した。
 一人だけ逃げるなんて事は、出来ない。総指揮者であるというのもあったし――ライスの中で、それは何故なのかありえない事だった。

「――集団転移魔術を試す。失敗したら、まぁ、時空間の歪みの向こうを見学してこよう」

 こうして――転移装置が起動した瞬間、幸いにして、ライスの広範囲魔術は成功した。