【8】☆
装置が無事に稼働し、魔術医療塔の敷地に、人々が帰還した時――それを見ていたモニターの前で、バイルはびっしりと冷や汗をかいていた。ギリギリだった。それも、聞いた事のない集団転移の魔術のおかげで、何人も生還した。だが、もしそれが発動していなかったら……? 全身が硬直した。そもそもの話、直前になってライスが何を思ったのか封印をかけ直し始めた時に、まず声を失った。次に、肩を抉られたのを見た瞬間、目が釘付けになった。そして最後、転移先が地面であり、装置のそばで無かった時にはあっけにとられ――なんとか無事に戻ってきた現在の光景に、やっとバイルは息をするという概念を思い出した。悪くすれば、死んでいた。いいや、生還した事こそが、奇跡である。
「行ってきたら?」
グレンがバイルの肩に触れた。それで我に返り、バイルは頷いて走った。
外へと出て、ライスを見る。ライスは、バイルに気づくでもなく、残指揮をしている。忙しそうに指示を飛ばし、封印状況をモニタリングしながら、被害状況を聞いている。生存者の確認をしながら、各国へ先に報告に向かう騎士達に声をかけ、と、いくつも並行して作業をしていた。
――声をかけるタイミングが無い。
肩の治療も、今回はきちんとされている。部下の誰かが行ったらしい。
だからバイルは、少し離れた場所にある木の前に立ち、幹に背を預けた。煙草を銜える。本物の煙草だった。落ち着きたかった。煙草を吸うと落ち着くというのは誤った医学知識だと何度も聞いていたが、落ち着くものは落ち着くのだからとバイルは吸い込んだ。仕事中は吸わないと決めていたのだが、今は別だった。
ライスがバイルに気が付いたのは、空が夕日で染まる頃だった。既に一番星が輝いている。紫と橙の中間色の空の下、ライスがバイルに歩み寄った。目が合う。バイルはじっとライスを見た。生きている事を確認していた。するとライスが柔和に微笑した。
「終わりましたよ」
「……おう」
「疲れました」
「だろうな」
「癒して!」
「――良いぞ」
バイルが頷くと、ライスが微笑をそのままに抱きついた。久しぶりだ。抱きつかれるのは、久しぶりだった。だが、腕を回し変えしたのは、ほぼ初めてだった。腕に力を込めて、ライスがそこにいる事を、バイルは確認する。こうして抱きしめてみると、思ったよりも小さい。普段は、存在感が大きく見せているのかもしれない。
「先生、苦しいです」
「癒しとは苦しいものなんだろ」
「なんですか、それ」
苦笑したライスが――その時、咳き込んだ。手で口元を抑えたライスを、何気なくバイルが見る。そして……目を見開いた。赤い血が溢れたからだ。
「お前、それ」
「――なんか、ちょっと……集団転移魔術を使ってから、あんまり体調が優れなくて」
「すぐに着いて来い!」
バイルはライスの手首を掴んだ。
すぐにバイルの手で、ライスは全身を検査された。肩の再治療も行われたが、先程までそれが一番酷いはずだったのに、今ではついで扱いだ。
――魔力過剰症だった。
集団転移魔術は、防御魔力と攻撃魔力を使う。攻撃魔術の一種で、範囲を確定させて、その指定部分を全てに防御魔力を流して転移させたらしい。今回は広範囲だったため、攻撃魔力も防御魔力も限界まで開放したライスの体の中で――普段その魔力を制御しているストッパーにあたる部分が壊れていた。開きすぎてネジが飛んでしまった状態だ。だから終始魔力が流れ出している。そのため、溢れ出した攻撃魔力で、ライスの全身が傷ついていた。吐血は、魔力が内臓を傷つけたためだ。
すぐにこの知らせは、帰還した合同騎士団にももたらされ、そのままライスは休暇という形で入院が決まった。検査中にライスは意識を落としたため、それを聞いたのは、三日後に目が覚めてからのことである。
「最後の最後で情けないですね」
苦笑したライスは、無魔力状態の寝台の上にいた。病室全体からも、魔力が除去されている。外部魔力と接触すると、魔力過剰症は悪化する。だが、安静にしていれば、自然とストッパーが機能を取り戻すから、回復はすぐだ。
「そうか? みんなお前を心配しつつ賛辞を送って、後を任せろと言いながら帰っていったぞ。それに第二王子殿下が臨時復帰して、各地の報告なんかは手伝ってくれてるらしいとグレンが言っていた」
「そうですか」
その知らせに、ほっとしたようにライスが微笑した。それから体を起こそうとして、失敗した。
「――体に力が入りません」
「ああ。今、点滴で、お前の体から一度魔力を抜いているからだ」
伝えながら、バイルが操作してベッドを起こす。ライスが頷きながら、左腕を見た。手の甲に四本足の器具があって、針が伸びている。
「どのくらいで治りますか?」
「まぁ二週間は見ておけ」
「よろしくお願いします」
こうしてその日から、ライスは大人しくベッドの上にいるようになった。他の仕事もしつつだが、バイルが主治医となり、ほぼつきっきりである。これは、救命救急をこの際常設してはどうかという話があり、現在、一度解散したもののそちらの準備をしているため、元々の回復魔術科の仕事からも救急の仕事からも解放されて、少しだけ暇だというのも理由の一つだ。本人認識ではそうだったが、周囲としては、最優秀魔術医療師のバイルを、魔術医療塔最高権力者の主治医とするのは当然だとか、もっとよく知る者としては仲良しだから、などと考えていた。
三日程してから、ライスが朝、入ってきたバイルに嘆いた。
「お風呂に入りたいです」
「――ああ、そうだろうな」
ライスはいつも、戦地においてなどは特に、魔術で体を清潔にしていた。だが、今はその魔術が使えない。魔導具も体に反応が出るため使えない。よって、自然の入浴しかない。そう思って嘆いたのだが、考えてみると、体に力が入らなかった。上半身をかろうじて起こせるようになったばかりである。手を持ち上げるのもやっとだ。まともに自分意思で動かせる部分など、手しかない。
「拭いてやる」
「え」
バイルはそう言うと歩み寄った。扉に鍵をかけてからだ。傍らの銀の台の上を一瞥し、バイルが透明な小瓶を手に取る。
「これは、魔力が一切含まれていない洗料で、直接肌に塗ると、風呂に入ったのと同じ効果になる。脱がせるから、おとなしくしてろ」
「えっ」
ライスが驚いている間に、するするとバイルは患者服を脱がせた。腕の紐を解いて点滴を器用にどける。続いて下衣にバイルが手をかけた時、慌てたようにライスがその手を掴んだ。
「あ、あの」
「ん?」
「大丈夫です、やっぱり」
「何が?」
「え」
「今日か明日には、俺から言おうと思ってたんだ」
と、こうしてバイルが服を脱がせ終えた時、ライスが複雑そうな顔をした。下着まで全部だ。人前で全裸というのは、気分が良いものではない。
「少し冷たい」
「はぁ……申し訳ないです、お手数を」
「いや。お前はそれだけ頑張った」
そんなやりとりをして、バイルは指先にとった透明な洗料を、ライスの肌に塗った。
「先生」
「ん?」
「手袋とかは……」
「魔力がこもってるからな、つけるとお前が辛いと思うぞ。俺の素手だと、俺は回復魔力を調整しながらやれるから、お前には一切被害はない。試してみるか?」
「え?」
「――少し、魔力量を変える」
「!」
瞬間、触られている腕に激痛が走ったものだから、ビクンとライスが震えた。
「な? 痛いだろ?」
「え、ええ……先生は、すごいですね……回復魔力は、俺、範囲外だからなぁ」
「お前の範囲外というより、俺の専門領域だ」
ニッと笑って、バイルが指で再び液体を塗り込め始める。腕、怪我をしていない方の肩、背中――と、きて、脇腹を綺麗にしてもらった時、ライスが息を詰めた。医療行為だと分かっているのだが、バイルの指先に体が跳ねたのだ。バイルは気付かなかった。気づいていない様子に、ライスは安堵する。
それから今度は、つま先、くるぶし、膝、太ももと洗料を塗り込められた。
感触はぬるりとした冷たいオイルだ。
「っ」
あからさまに息を飲んだのは、胸をなぞられた時だ。たまたま乳頭にオイルが触れた時、その掠めた指先の刺激が甘すぎた。
「ん?」
そこでやっとバイルも気づいた。若干ライスの顔が赤い事に。
「……」
考えてみると――何だか、愛撫のようだとバイルは思った。だが、医療行為中に不埒な事を考えるものではない。自分に言い聞かせ、別に確認するつもりでもなかったのだが、再度ライスの胸を指でなぞった。
「ッ」
露骨に乳首を弾かれたように感じて、ライスが唇を噛んだ。思わずバイルを見る。その反応に驚いてバイルもライスを見た。目が合う。ライスのこぼれ落ちそうな瞳が、少し潤んでいた。羞恥からだ。
「あ……悪い」
「いえ……」
「――あー、そういえばー、お前ってさ、魔獣討伐中とか、どうしてたんだ?」
バイルなりに話を変えたつもりだった。
「何をですか?」
「抜くのとか」
「は?」
それを聞いてライスが――瞬間的に真っ赤になった。
「忙しくてそんな暇もなければ、思い出す余裕すらありませんでしたよ」
「あ、そうなの?」
「ええ、そうです。ご心配なく」
ライスが少し怒ったような顔で言った。真っ赤のその頬を見て、バイルは自分の会話が不適切だったと判断した。何だか気まずい。気まずいとバイルは、言葉を重ねてしまう事がある。
「抜いてやろうか?」
「は……?」
「だってお前、春から今まで抜いてないって、不健康だろ。どうせ、そこも綺麗にするし」
「え」
バイルはそう言って、手をライスの陰茎に伸ばした。抵抗しようとしたライスは――この時になって改めて体に力が入らない事を思い出した。
「え、え、あ、あの……バイル先生、あの」
「ん?」
「ひっ」
ぬめる手で握りこまれた時、ライスは思わず声を飲み込んだ。その手を上下されてすぐ――あっさりと勃起した。実際、溜まっていたのである。常に人がいる環境だったから、本当に抜く暇が無かった。元々淡白な方だったから、そう問題は感じていなかったが、与えられた刺激にすぐに反応する程度には溜まっていたのだ。
それもあったし――人に触られたのが、実は初めてだった。
「ぁ……ッ……」
「声、出しても良いぞ?」
バイルが親切心で告げると、キッとライスが睨んだ。それが――無性に可愛く思えて、バイルは顔を背けた。優しくバイルがライスの陰茎を撫でる。洗料を少し増やして、ぬるぬるとした手で撫でていると、次第にライスが息を詰め始めた。
「……っ、……ッッ……、……っん」
必死にライスが声をこらえているのが分かる。小さく震えている。そしてついに我慢しきれなかったように声を漏らしたのを聞いて、バイルは限界なのだろうと判断した。
「出して良い」
「ぁ、ああっ」
手の動きを早めて、射精を促すと、ライスがあっさりと放った。それから肩で何度も息をしている。こうして、体を綺麗にする作業は終わった。
――翌日からも、毎朝行われる事となる。