【9】
一週間が経った頃から、ライスはベッドの上で、経営財団機関の仕事をするようになった。書類を広げている。付き人達は魔力があるから中には入れないので、自由に調整できるバイルが運んだ。
素顔のままのライスにも、バイルは慣れてきた。壮絶な美人であるが、三日もすればなれるという言葉は適切だったと判断している。
「先生」
「ん?」
「そろそろ、魔力を抑える点滴を取りやめてもらえませんか?」
「まだ無理だな」
「――それを点滴してる限り、俺はこのベッドから身動きできないんですけど」
「そうなるな。周囲には接触すると問題ある魔力が溢れている」
当然のことなのでバイルが頷くと、ライスが引きつった顔をした。
「では、点滴をしたままで良いので、外に出られませんか?」
「何故だ?」
「――俺本人の採択が必要な会議が、今日の午後あるんです」
「それはどうしてもお前でなければならないのか?」
「ええ」
頷いたライスを見て、バイルが腕を組んだ。そして、少し考えるようにしてから、歩み寄った。
「場所は?」
「上の俺の部屋です。院長室です」
「そうか。午後って何時からだ? もう十二時半だけど」
「十四時です」
「分かった」
「では、点滴を外して頂けますか?」
「それは無理だ」
「……バイル先生」
「お前をその時間に院長室には連れて行ってやるから」
バイルの言葉に、まぁそういう事ならばと、小さくライスは頷いた。魔導車椅子などを想像しながら、自分の知らない医療用具について考える。資料を見ながら、時間を待ちつつ、ライスはバイルの横顔を時々見た。
気になる。別に気になるようになったのは、体を綺麗にしてもらうようになってからではない。むしろ気になっていたから、触られたら反応してしまったのだ。最初からイケメンだとは思っていた。だが、別段意識していたというわけではない。意識するようになったのは、お祭りの夜だ。楽しかった。あれ以来、時々花火を思い出して、そして一緒にバイルの事も考えるようになったのだ。
「よし、時間だな」
十四時少し前に、バイルがライスに近づいた。そして点滴を移動式のものに移すと、ライスを見た。
「捕まってくれ」
「――え? ええ」
ライスは頷きつつ周囲を見回した。車椅子等はどこにもない。首を傾げつつ、体に手を回して抱き起こされたので、そのままバイルの首に腕を回す。横に抱き上げられた時、魔導具だったらしく点滴台が自動的に動いて隣に立った。
「行くか」
「あの? 行くって、どうやって?」
「何が?」
バイルは腕に抱いているライスを覗き込んだ。ライスが困惑している。
「俺には、バイル先生が俺を抱き上げているように感じるんですが」
「そうだな。俺以外、今、お前は接触すると体の魔力が反発するから、移動するには俺が連れて行くしかない。お前の体が俺以外に触れないようにして――とすると、つまり、俺がお前を連れて行くしかないだろう」
「!」
ポカンとしたライスを横抱きにしたまま、バイルが歩き始めた。落ちるかと思って、慌ててライスはバイルにしがみついた。
「え、先生。まさか俺をお姫様抱っこして、院長室に行くつもりじゃ!?」
「そうなる」
「な――……離してください、下ろしてください!」
「行かなくて良いのか?」
「良くないですが、この状態で魔術医療塔内を歩いて行くなんて絶対に嫌です」
「どうして?」
「どうしてって、恥ずかしいからに決まって――……ああ、もう……」
ライスは涙ぐみそうになった。既に病室を出たため、声を上げれば上げるほど視線が集まるからだ。患者達もスタッフ達もみんな自分達を見ている気がして、ライスは俯いた。真っ赤である。バイルは別に気にしていない。彼は、我が道を行くタイプだ。
こうしてその日の採決は、バイルの腕の中で、非常に弱々しい声で真っ赤になったライスが話す形で終了した。
「本当に、信じられません……」
「俺はお前が信じられない。点滴を外せなんて言い出したからな」
「……もう言いません。けど、早く点滴不要にして下さい」
病室に戻ると、ライスがやりきれないというように声を上げた。
何だかそれが可愛くて、頷きながらバイルは微笑した。
――可愛い。
ライスに対してこう感じるようになったのがいつだったのか、バイルは思い出せない。いつの間にか自然と、ライスを見るとそう感じるようになっていたからだ。春だったか、冬だったか、秋だったか、夏だったか。遡って考えてみるが、思い返すと過るどのライスの表情も可愛い。痘痕も靨とはよく言ったものだ。そう考えながらバイルは、ライスの頭を撫でてみる。
「なんですか……? 撫でるの止めて下さい」
「機嫌直せよ」
「……」
俯いたライスは、それから嘆息した。
「ええ……無理をお願いしたのは、こちらですしね」
「その通りだ」
「……寝ます。おやすみなさい」
こうしてライスは横になって布団をかぶった。それに苦笑して、バイルは部屋を出た。
二週間が経ち、そろそろ魔力を抑制する点滴や、魔力を抜く点滴を外して良いとバイルが告げた時、ライスが喜んだ。
「本当にありがとうございました」
「いや、あのな、まだ治療は終わってないからな?」
「ええ。ですが、動けるようになれば、全然違いますから」
腕から点滴を引き抜きながら、バイルも頷いた。
「そうだな。今後は、食事療法と、体力だな。二週間も寝ていたわけだから。点滴で補っていたから、食事もしてないしな」
「ありがとうございます。帰っても良いですか?」
「いいや、一ヶ月は入院だ。あと二週間くらい頑張ってくれ」
「……そうですか」
ライスが少し不満そうな表情ながらも頷いた。その日の午後には、ライスがベッドから降りる事が可能になったので、バイルが隣に立った。するとライスが視線を彷徨わせた。
「どうかしたのか?」
「あ、ええ。杖を――そういえば、だいぶ前に忙しくてどこかに忘れたままにしてしまって」
「あー、俺、それ、拾って研究室に置いてあるから、とってくる。待ってろ」
そう言ってバイルは杖を取りに行った。戻ってきて渡すと、ライスが驚いていた。
「どこにあったんですか?」
「自動販売機の所だ」
ライスがそれを聞いて苦笑した。いつ行った時に忘れたのか思い出せなかった。
左手に杖をつき、ライスが歩く。その後ろを歩きながら、バイルが首を傾げた。
「お前、足が悪いのか?」
「そういうわけじゃないんですが……昔ちょっと痛めてから、違和感があって」
「ふぅん。見せてみろ」
「わっ」
いきなり腕を掴まれて、ライスが転んだ。慌ててバイルが抱きとめる。予想以上にライスの体力が落ちていると思って、最初バイルは焦った。一度寝台に連れ戻してから、足に触れる。
「痛むか?」
「いえ……ちょっと違和感があるだけなので……」
ライスはといえば、煩い鼓動を抑える事に躍起になっていた。不可抗力とはいえ、抱きしめられる形になって、ドキドキしてしまったのである。
「――これは?」
「痛くないです」
「ここは?」
「平気です」
「……ライス。ちょっと立って、ジャンプ」
「え……ええ、分かりました」
言われた通りに、ライスはジャンプした。着地する時、思わず足を庇う。それを見て、バイルが目を細めた。
「お前、これさ、筋力が弱まってる。庇いすぎだ」
「え、ええと?」
「もう治ってるんだけど、お前がここを気にして使わないせいで、筋力が衰えてる。このままだと、本当に歩けなくなる。お前が持つべきものは杖ではなくて、手すりだ。普通に歩け」
「……分かりました」
話が一応まとまったので、二人で歩き始めた。手すりまでは、代わりにバイルの腕を掴んで歩いてみる。二分ほど歩き、ライスはよろめいた。転ぶと確信したので、バイルの腕を離して、手すりまで転移した。
「おい」
「俺には転移がありますので」
「転移も禁止だ。歩けと言っているだろうが! これから毎日三十分は原則的に歩け」
「えー……」
それからしばらく二人で廊下を歩き、病室へと戻った。