【三】傷んだタルト








 翌日僕は、師匠のハーブ園に水をあげながら、昨日の師匠のお話を考えていた。

 ――もしも僕が王族だったら。

 こういう空想は、わくわくする。もしも本当にそうだったら、師匠にたくさん恩返しがしたい。美味しいものをいっぱい用意して、師匠がもうお仕事に行かなくて良いように、好きな植物の研究や魔術に打ち込めるように、僕はお手伝いをするのだ。

 師匠は冒険者のお仕事をしていると言うのだけれど、僕はいつも心配になる。

 というのも、街の他の冒険者と比べて見ると、師匠は危険な仕事をしている気がするからだ。師匠は、僕が言うのもなんだが――街で少し遠巻きにされている。

 以前誰かが、「殺し屋風情が」「冒険者の面汚し」と、師匠を罵ったことがある。

 僕にはその意味がよく分からなかったから、師匠に聞いてみた。そうしたら苦笑した師匠が、「誰もやりたがらない仕事なんだ」と、教えてくれた事がある。その時師匠は僕に、「俺のようになってはダメだ」と言った。だけど、僕の目標は師匠のようなすごい魔術師になる事だ。師匠は謙遜のしすぎだと思う。だから僕も、コロシヤになるのだ。

 そのためには、一生懸命文字を覚えて、魔術の勉強をしなければならない。
 僕は師匠に貸してもらった図鑑を片手に、ハーブをじっと見た。

 そうして午後になってから、今日はブルーベリーのタルトを作って、いつものように家を出た。街の入口で、師匠を待つのだ。




 蝉の声がする。最近では、蝉の声が大きい。もう、夏も終わりに近づいているからだと思う。僕は空を見上げた。今日も師匠は、遅い。何度も何度も街道を眺め、僕は師匠を待つ。昨日も遅くて、夜になってから帰ってきたけれど――……時計を見たら、もう夜の八時だった。普段は夕方に、師匠は帰ってくる。遅かった昨日だって、七時ちょっと過ぎには帰ってきた。昨日の事があるから、僕はいつもよりは平気だったが、それでも胸の中に不安が広がっていく。

 夜風は少し冷たくなってきていて、茂みと僕の髪を揺らしながら溶けていく。
 師匠は、まだ帰ってこないのだろうか……?

 再度時計を見る。もう、夜の八時半だ。僕は、九時近くまでお外にいた事なんて、二度しかない。その二度は、二度とも、師匠と入れ違いになってしまった時だった。僕が待っていると気づかずに、師匠が家へと帰ってしまったり、師匠が通り過ぎた事に僕が気付かなかったらしいことが、過去に二度だけあるのだ。そんなのは、本当に不思議だったし、稀なことだ。だけど、師匠がこんなに遅いはずがない。

 そうだ、きっと、家に帰っているんだ……家にいるのかもしれない!
 僕は一人頷いて、家を見に行く事にした。
 足早に歩いて戻る。しかし、家に明かりは点いていない。

 軋む扉を開けて中へと入る。机の上には、ただタルトだけがポツンとある。

「やっぱり帰ってない……師匠……」

 口に出して呟いたら、一気に心細くなって、僕の瞳には涙が浮かんだ。
 仕事が長引いているのだろうか?

 ――以前、入れ違いになった日、師匠に言われた言葉を僕は思い出した。

『もう入れ違いにならないように、そういう時は、家にいるんだよ』

 僕は床に膝を立てて座り、ギュッと握った両手を乗せた。早く、早く帰ってきてほしい。
 そう願いながら、ずっと扉を見ていた。





 ――そして、朝。

 冒険者の仕事がある時、いつも師匠が出かける時間になった。
 結局師匠は、昨夜は帰ってこなかったのだ。
 だけどもう朝だ。だから、そろそろ帰ってくるはずだ。

 僕は眠い目をこすって、家の外に出た。真っ直ぐに、街の入口へと向かう。
 だが――その日も一日、師匠は帰ってこなかった。

 僕はこの日、入口で待ちながら、日が暮れていくのを見守り、次にお日様が顔を出すまでそこにいた。翌日もまた、師匠は帰ってこなかったのである。

 僕は二日連続徹夜をして、眠気で朦朧とする頭で考えた。
 もしかしたら、今度こそ家に帰っているかもしれない。

 半ば願いながら、僕は家へと戻った。しかしそこには、痛んだブルーベリーのタルトがあるだけだった。ぼんやりとした頭で、僕は浴室へと向かう。そして髪を洗いながら、一人で泣いた。ここならばお水があるから、泣いても誰にもバレない。ひとしきり泣いて外に出てから、僕はタルトをポイとゴミ箱に捨てた。我ながらよくできたと思っていて、師匠に褒めてもらいたかったけれど――今は何故なのか、見ているのが辛かったのだ。

 もっと、美味しいものをたくさん作って帰りを待とう。
 きっと今日こそは帰ってくる。

 僕はそう考えて、新しいケーキを作る事にした。苦手だけど、普通の食事作りにも挑戦した。ポテトとゆで卵のサラダを作ったり、師匠が好きなお魚を焼いたりした。手がヌルヌルしたけど、必死に我慢して、僕は料理をした。なんとか完成したお料理は、焦げていた。それでも、僕なりには豪勢にできたと思う。

 こうして用意を整えて、僕は再び街の入口へと向かった。
 しかし――その日も師匠の姿が見える事は無かった。
 師匠は、帰ってこなかったのである。