【四】目眩
――師匠は、前に何度も、ずっと一緒にいてくれると僕に言った。
けれど。
師匠が帰ってこなく――いなくなってしまってから、合計で二週間が経過した。
だけど僕は師匠の言葉を、約束を信じて待っている。
朝、僕のお仕事は、昨日作ったお料理をゴミ箱に入れることから始まるようになった。そして新しく作り直し、それからお風呂に入る。師匠がいないから、一人で入る時に目をつぶると怖くなってしまい、明るい朝に体を洗う事にしたのだ。
その後僕は、街の入口へと向かう。
青い空、時には曇り、雨の空を、雲が動いていくのを、僕は木の幹に背を預けて見ている。師匠の足音が響くのを待ちながら。だけど、一日が過ぎても師匠は戻ってこない。だから僕は、月が山の上まで登ったら、一度家に帰って、師匠と入れ違いになっていないか確認している。現在までに、師匠が帰ってきた気配は一度も無い……。
独りきりのベッドで、僕は泣きながら毛布を握り締める。
前はいつも師匠と一緒だったから、こんなにも寝台が寂しく冷たく固いものだなんて、僕は全然気付かなかった。僕は窓の外に師匠が見えるのを待ちながら、朝が近くなったら微睡む。いつ帰ってくるか分からないから、なるべくなるべく起きていたい。それで朦朧としてしまい、毎朝目覚まし時計に起こされる。そしてまた、料理をゴミ箱に入れるのだ。
二週間と二日目、朝。
今日も僕は、街の入口へと向かった。出かけていく冒険者達が見える。
最近では、何故なのか、僕の方をチラチラと眺めていく人が多い。
目の下をこすって眠気をなんとか振り払いながら、僕は小さくあくびをした。
「レム」
声をかけられたのは、そんな時だった。顔を上げると、そこにはジュードが立っていた。黒い髪を見上げたら、同時に強い日差しが目に入り、眠っていない僕には辛い。
「おはよう、ジュード」
「……おう。おはよう」
僕が挨拶をすると、彼は複雑そうな、奇妙な表情をした。時々彼には挨拶をするのだが、このような顔は見た事が無かった。
「レム、ちゃんと眠っているのか? ふらついてるぞ」
「大丈夫」
実際僕は、ウトウトしていた。眩しいお日様の光は、容赦なく僕の体力を奪う。まだ残暑が厳しいから、木陰にいてもクラクラしてくるのだ。その中でのウトウトだ。眠い。だけど寝てしまったら、師匠が帰ってきても気づく事ができない。
「最近、一日中ここにいるな。一体何をしてるんだ?」
「……師匠を待ってるんだよ」
「ミセウスを?」
僕の言葉に、小さくジュードが息を飲んだ。そして大きく瞬きをしてから、まじまじと僕を見た。
「待ってるのか?」
「うん」
「――そういう事だったのか、それでここに」
「?」
「もう止めておけ、家に帰って眠れ。どうせ帰っては来ない」
「どうして? どうしてそんな事を言うの? 師匠は帰ってくるよ!」
僕は思わず大きく声を上げた。ひやりと胸が冷たくなった。
――帰ってこない。
それは、実を言えば、何度か僕も考えた言葉だ。だけど、僕は師匠を信じている。師匠が僕を置いていなくなってしまうなんていう事は、絶対にないと僕は思う。僕は涙ぐみながら、ジュードの胸を叩いた。意地悪を言われたからだ――と、思う事にしたが、自分でも八つ当たりだと分かっている。
「レム、とにかく今日はもう帰って休め。顔色が悪すぎる」
ジュードはそう口にすると、僕の背中に腕を回した。距離が縮まったから、もう胸をポカポカ叩くことはできない。俯いた僕は、唇を噛んだ。
「……師匠が帰ってくるかも知れないから、僕はここで待ってる」
「レム」
僕はジュードから体を離して、一人頷いた。
――目眩がして、視界がぐにゃりと歪んだのはその時の事だった。
「レム!」
気づくと太陽が、僕の正面にあった。同じように、ジュードの顔もある。
僕は、倒れたらしかった。だけど彼が抱きとめてくれたおかげで、頭を土にぶつけることは回避されたらしい。何が起こったのか分からなくて、怖くて、僕は気づくと泣いていた。貧血みたいにクラクラしてきて、すごく胸が気持ち悪い。それに眠い。お腹も減っているのに、なのに食欲はない。気づいてみたら、僕はもうしばらくきちんと食べていない。いつも試食だけだ。
「レム、もう止めろ。ここで待つのは、止めにしろ」
「だけど、家にいたら、師匠が帰ってきた時、一番に気づけないよ……」
「違う。だから――ッ、あいつは、もう帰ってこないんだ」
「え?」
その言葉に、僕は目を見開いた。何度か考えた事はあったが、僕は気づくと首を振っていた。信じられない。
「どうしてそんな事を言うの?」
「お前が倒れたら、ミセウスも悲しむ」
「帰ってくる、帰ってくるよ! どうして帰ってこないなんて分かるの? 帰ってこないなんて嘘だよ」
僕はボロボロと泣いた。するとジュードが、僕の体を抱きしめた。
「新聞、見てないんだな」
「新聞?」
そういえば、師匠が帰ってこないから、ずっと新聞はポストに溜まっている。僕は取るのを忘れていた。きっと師匠に怒られるだろう。
「帰ってすぐに見てみろ。そうすれば――ミセウスの事が分かる」
どこか辛そうな瞳をしたジュードを見て、僕は頷いた。そして立ち上がろうとした瞬間、さらに強い目眩がして、意識が暗転したのだった。