【七】宮殿に出来た列
静かに眠り、朝が訪れた。僕は、ジュードが手配してくれた馬車に乗り込んだ。正面にも椅子があって、斜め向かいにジュードは座っている。丸い窓があって、外には綿雪が見えた。テーブル付きの馬車の上には、茶器が二つある。紅茶が揺れている。
王都までは、馬車で三日かかるらしい。
「師匠も、三日間旅をしたのかな?」
「馬なら、半日で着く」
「……人違いじゃないのかな?」
「友人の騎士から、ミセウス本人だと確認してるんだ。そいつは、元々は冒険者で、俺と旅をしていた事もある。確かな話なんだ」
僕は俯いた。ジュードの言葉に、今度は別の不安が広がっていく。もしも僕が、探されているという王太子様で無かったならば、オンシャは無いのだ。そうなったら、師匠は、死んでしまうのだろう。
「ねぇ、ジュード」
「なんだ?」
「僕は、王太子様のフリをする」
「それは不可能だ」
「だって、オンシャが――」
「魔法球は騙せない。王家に伝わる、古から伝わる宝玉だと聞く」
僕が唇を噛むと、ジュードが組んでいた腕を解いて、僕に片腕を差し出した。そしてテーブル越しに頬に触れる。気づくと、泣いていた僕は、涙を拭われた。
「安心しろ。もしもミセウスが無事でも――仮に命を助けられなかった場合であっても、これからは、俺がそばにいてやる。お前を守ってやる。ずっと、な」
その言葉に、僕は息を呑んだ。ジュードの優しさが、不意に怖くなる。師匠も僕に優しかった。けれど優しいものは、無くなってしまうのだ。いつか、ジュードもいなくなってしまうのだろうか?
「本当に、ずっと一緒にいてくれるの?」
「ああ。約束する」
「――師匠もそう言った」
「俺はミセウスじゃない。一度守ると決めたものは、生涯守りぬく」
ジュードはそう言うと、優しい笑顔を浮かべた。
「俺の仕事は、護衛専門だからな」
「ゴエイ?」
「殺し屋の反対だ」
「コロシヤの反対……それは、冒険者とは、また違うの?」
「頻繁に近衛騎士から引き抜きが来るほどの腕前だからな。一介の冒険者よりは格上を自負しているぞ」
冗談めかしてジュードはそう口にすると、その後、喉で笑った。
「俺の仕事は、守る事だ。命に代えても、依頼主を守る。依頼主の命を守る。依頼が無くても、俺は決めた相手を守りぬく。それが俺の信念だ」
このようにして、馬車の中では、ジュードと、沢山のお話をした。沢山、沢山、冒険のお仕事のお話を聞いた。僕は、冒険者というものを、少しだけ理解したと思う。そうして話していると、馬車での三日間は、あっという間に過ぎ去った。
――王都の宮殿に到着すると、裏門から中へと案内された。そこには長蛇の列が出来ていた。皆、自分が王太子だと名乗り出ているらしい。その列の先には、重々しい扉がある。
「俺が聞いている情報だと」
「うん」
「ミセウスは、あの扉の奥の、さらに奥――そこに拘束されている。そこで、一人ずつ顔を見て、王太子殿下か否かを判別するよう指示されているそうだ。ミセウスの証言と、魔法球の両方で確認するらしい。魔法球のみじゃダメなのか否かは知らないが」
「師匠がここにいるの!?」
「らしい。それまでには、酷い尋問も受けたらしい」
「尋問?」
「拷問に近かったようだな――ただ、あいつは、最後に一目、養い子だった王太子殿下に会いたいと願い、居場所を告げなかったらしい。最後の最後で、自首したくせに、お前に会いたがるんだから、あいつも強情だ」
ジュードが苦笑している。僕は、師匠に会えるかもしれないという期待と緊張で、一気に身を強ばらせた。長い列は、時間をかけて進んでいく。刻一刻と、僕の番が近づいてくる。
「七百二十二番、レム」
こうして僕の番が訪れた。付き添いとして、ジュードもついてくる。部屋の中には、銀の甲冑をまとった近衛騎士の人々が並んでいた。奥には、黒い鉄柵付きの丸窓がある。
「師匠!」
思わず僕は叫んだ。丸い窓の向こうに、ずっと見たかった顔があったからだ。僕の声に、近衛騎士達が、少しざわついた。師匠は、鉄の柵の向こうで吹き出している。顔しか見えないが、苦笑している。見間違えるはずもない。唇の両端を持ち上げて、師匠が優しい瞳で僕を見た。僕は駆け寄ろうとし、近衛騎士に止められた。
「魔法球にお触れ下さい。それ以外の行為は、許されません」
「っ、は、はい!」
僕は、部屋の中央にあった、天鵞絨張りの赤い台座を見た。その上には、不思議な色彩の宝玉があった。掌と同じくらいの丸い宝石は、透明なのに、中が虹色に煌いて見える。僕は、早く師匠に駆け寄りたい一心で、魔法球に触れた。
すると室内に光が溢れた。
「これは」
「まごう事なき王家のお力」
「ミセウス、間違いないのだな?」
師匠に向かって、近衛騎士の一人が言った。師匠は僕を優しい顔で見ながら、大きく頷いている。それを見て、僕は今度こそ駆け寄った。
「師匠!」
「……レム、痩せたね」
「師匠が帰ってこないから悪いんだ。師匠、師匠! 師匠……」
「ジュードか。彼なら、気づいてくれると考えていたんだ」
僕の後ろから、ゆっくりと歩み寄ってきたジュードは、それを聞くと、呆れたように言った。
「最後の最後で、命が惜しくなったのかと思ったぞ」
「そうだなぁ……レムにどうしても会いたくなってしまったんだ」
「僕も会いたかった」
そんなやりとりをしていると、近衛騎士の一人が咳払いした。
「レミリィアス殿下、こちらへ」
「え?」
肩を叩かれて振り返ると、他の近衛騎士達は恭しく膝を床についていた。
「今後、正式に次期国王陛下として、ご即位されるまでの間、我々がお守り致します」
「? エンゼルフォードの街に来るの?」
「いいえ。貴方様が、この宮殿でお暮らしになるのです」
「どうして? 僕は、僕は、師匠と一緒に帰るんだよ! オンシャだよ?」
不思議に思って、僕は首を捻る。するとジュードがそっと僕の背中に触れた。
「ミセウスは帰る事が可能だろう。お前の恩赦で。それがレムの――レミリィアス殿下の望みだろう?」
「う、うん」
「――だが、お前は……貴方様は、お帰りにはなれません。殿下」
「どうして?」
「この国を次に治めるのが、レミリィアス殿下だからです」
敬語に変わったジュードを、僕は見上げた。すると鉄柵の向こうで、師匠が再び苦笑した気配がした。
「恩赦は必要ないよ。俺は、レムに、最後にこうして一目会えただけで、幸せなんだ」
「オンシャは必要だよ! 師匠と一緒に帰るんだ!」
「なりません」
一人だけ立っていた近衛騎士が、僕の腕を掴んだ。ジュードは頷いて、その騎士に言う。
「元冒険者の好で、頼んだぞ。アスティ」
「ジュード? 頼むって何? ジュードもずっと一緒にいてくれるんでしょう?」
不安になって僕が涙ぐむと、ジュードが息を呑んだ。それから難しい顔に変わる。一度俯いた彼は、それから顔を上げると、僕を見て笑顔を浮かべた。
「ああ、そうだなぁ。近衛騎士から引き抜きの打診が絶えなかったしな。一生、お前の事は、俺が守ってやるよ」
こうしてこの日から――僕は、王宮で暮らす事になった。
王宮には、師匠の姿は無い。
けれど、対面した国王陛下が、僕に言った。
「ミセウスは、お前の望み通り、エンゼルフォードの街へ返した。護衛もつけた。心配は無い。私も、もう長くは無いが――最後に、一番上の、大切な孫に会えて嬉しくてならない。その望み、一つくらいは叶えて逝こう」
僕の祖父だという国王陛下は、シワが沢山ある目元を柔和にしながら、僕に告げた。病床で、上半身を起こしながらの面会だった。
初めての面会を終えて部屋を出ると、僕づきの近衛騎士だという人物が、歩み寄ってきた。甲冑で顔が見えない。知らない人だと思って不安を感じていると――青年が兜を取った。
「ジュード!」
「おう」
「どうして近衛騎士の格好をしているの? 師匠のゴエイはジュードじゃなかったの?」
「ミセウスの護衛は、俺よりも強い第一騎士団の団長がついた。何せ事が事だからな。途中での襲撃も危惧される」
「本当? 良かった……」
「俺がこの格好をしているのは、勿論、約束したからだ。俺は、約束は守る男だからな」
それを聞いて、僕は目を見開いた。
「一生涯をかけて、お前を守る。レムだけが、俺の主人だ。これからは、な」
ジュードはそう口にして笑ってから、床に片膝を立てて座り、頭をたれた。
「レミリィアス王太子殿下、私目に、その御身をお護りするお役目、お任せ下さい」
「ジュード……」
「――なんて、な。ずっと、街の入口で待ってるお前を見てると、昔から守ってやりたくなってはいたんだ。庇護欲だ。まさか本当に、王太子殿下だったとはなぁ」
立ち上がりながら、ジュードが吹き出した。その表情に安堵しながらも、僕は師匠が無事に街へついたかばかり、気になっていた。
――無事に到着したと分かったのは、数日後に、師匠から手紙が届いた時の事である。
全身から力が抜けた事を、よく覚えている。