【八】忠誠






 僕のお祖父ちゃんが亡くなったのは、僕が十七歳になった年の事だった。それまでの間、お祖父ちゃんは、僕にテイオウガクを叩き込んだ。覚える事ばかりで必死だった僕には、弟が出来た。二つ年下の弟は、ロスフェルドという名前で、みんなにロスと呼ばれている。

「兄上も、そう呼んでくれると嬉しい」

 ロスは、初対面の時に、僕にこう言った。以来、先にテイオウガクを学んでいたロスは、僕に様々な事を補足で教えてくれた。例えばテイオウガクは、帝王学と書くのだと、僕はロスから教わった。

「ずっと兄上に会いたかったんだ。陛下はおられたが――俺にとってはたった一人の兄弟だからな」

 度々ロスはこう言って、僕に笑いかけてくれた。僕は、師匠以外の『家族』という存在を初めて得たから、最初は戸惑ってばかりだったものである。

「兄弟、仲良く、健やかに。レムよ、困ったらロスに頼るが良い。ロスもまた、兄である次期――国王を頼んだぞ」

 これが、お祖父ちゃんの、最後の言葉だった。僕は、三年間だけ一緒に過ごした国王陛下の死に、涙を零した。そんな僕の後ろに控えていたジュードは、二人きりになった時、僕に向かって口を開いた。

「そう、気を落とすな。レム殿下。いいや――陛下、か」

 二人きりの時は、相変わらず気さくな口調で、ジュードは僕と話をしてくれる。
 その後、すぐに戴冠式が行われて、僕は即位した。
 だが、国王になったという自覚は、あまりない。

「師匠、元気かなぁ」

 多忙だった即位式の後、僕は自室でそう呟いた。すると壁際に控えていたジュードが苦笑した。

「手紙、毎週やり取りしてるだろ?」
「うん。僕は、沢山字を覚えたよ」
「――そうか」

 ジュードは僕を見ると、どこか懐かしむように微苦笑した。

「陛下も、大人になったな。背もだいぶ伸びた」
「ジュードは、今年で二十二歳?」
「正解だ。もうすぐ誕生日だ」
「何か欲しいものはある?」

 僕は何気なく聞いた。するとジュードが、一度俯いてから、顔を上げた。そこには、いつもの笑みではなく、いつかエンゼルフォードの街で見たような、真剣な瞳があった。

「お前が欲しい」
「え?」
「ずっと……街にいた頃から、健気なレムを見ていると、抑制が効かなくなりそうだったんだ。俺も、しお時かもしれないな」
「どういう意味?」
「――陛下。お役目を、やっぱり辞退させて欲しいんだ」

 その言葉に、僕は目を見開いた。

「ずっと一緒にいてくれるって――」
「これ以上一緒にいたら、お前をいつか、押し倒さない自信がない」
「押し倒す……?」
「子をもうけ、王位を継承していかなければならないレムを、俺はそう理解しているのに独占したくなるんだ」

 ジュードは歩み寄ってくると、昔と同じように、力強い腕で僕を抱きしめた。けれど昔とは異なり――僕の唇に、唇を当てた。掠め取るようにキスをされた僕は、目を丸くするしかない。

「護衛、失格だろう?」
「そ、そんな事……」
「お前に忠誠を誓ったのに、な。お前を生涯護ろうと決意していたのに――今は、醜い欲望ばかりが浮かんでくるんだ。無垢なままのお前を、この手で抱きたい」

 呆然とした僕は、ここまでの間に学んだ、閨の儀についての座学を必死で思い出した。それは愛を交わす行為の事で、キスもその過程の一つだ。そう気づいて、僕は息を呑んだ。

「ジュードは……僕の事が好きなの?」
「ああ。愛している」

 真剣な眼差しのままで、そう述べたジュードは、再び腕に力を込めた。覗き込まれた僕は、思わず赤面してしまう。ずっとそばにいてくれたジュードを、僕は喪いたくないと感じている。けれどそれ以上に、何故なのか胸が高鳴った。僕は、ジュードの腕の感触と体温が、すごく好きなのだ。

 考えてみれば、ジュードは僕が、一人、エンゼルフォードの街の入口で待っていた頃から、ずっと声をかけてくれていた。師匠が帰ってこない間も、僕を見ると抱きしめてくれた。僕のそばにいてくれた。王宮に来てからも、ずっと。約束を破らず、僕を護ってくれている。ゴエイ――護衛として、近衛騎士になってくれた。

 僕は師匠が大切だ。けれど。それとは異なる意味で、日増しに僕の中で、ジュードの存在感が大きくなっていく。だが、以前のように、師匠との記憶が塗りつぶされるような、嫌な感覚はしない。ジュードとの想い出が、新しく僕の人生の中に加わった形だ。

 決定的に違うのは、ジュードを見る時、僕は心臓がドクンと啼きわめく時がある事だろう。心拍数が上がり、意識してしまい、見惚れ、真っ赤になってしまう事が多々ある。

 今度、閨の儀の実技練習があると聞いた。僕はその時、真っ先に、先生がジュードだったら良いのにと考えたものである。

 こうした一連の記憶や感情に、名前をつけるならば。

 ――それは、愛。そうじゃないのだろうか?

 僕は自分で下した結論に、もっと赤くなってしまった。

「陛下?」
「僕も、ジュードの事を愛していると思う」
「っ」
「だからずっと、僕のそばにいて。今までみたいに。そしてこれからも」

 僕が必死で気持ちを伝えると、ジュードがまじまじと僕を見た。

「もう俺は、忠誠心だけじゃないんだ。止まらないぞ? そんな事を言われたら」
「止めないで」

 頷いた僕の顎に長い指先を添え、ジュードが上を向かせた。そして今度は、貪るように深々と、僕の口を奪う。歯列をなぞられ、舌を絡めとられた時、僕の背筋を、ゾクリとした未知の感覚が走り抜けた。こんな感覚は知らない。師匠にも教わっていないし、お祖父様からもロスからも、誰からも教えられていない。初めての感覚だ。だけど。一つだけ分かる事がある。

「ジュード」
「なんだ?」
「もっと」

 僕は、ジュードが欲しかった。

「――ああ、俺らしくなかったな。俺は決めたら、絶対に守るんだった。お前の事を護ると決めたんだから、永劫、おそばに。レミリィアス国王陛下」