2:契機


――一ヶ月前。



「僕、悪魔の治癒術師はちょっと……」

嗚呼。
今日も今日とて俺の笑顔は凍り付いた。俺は由緒正しい両親共に悪魔、悪魔中の悪魔、サン・カルミネラ治癒術学園でもっとも有名な”悪魔”だ。悪魔だから有名な訳じゃない。紙の試験は全て首席、実技も首席、俺は悪魔ながらにして、現在の第七学年の中ではもっとも回復量も効果も高いと自他共に認める(そこは認められている)から、有名なのだ。少なくとも治癒術の腕だけは、学生ながらに確かだと思う。

「ごめんなさい。コーガ君」

だが、俺は、”パートナー契約”にこぎ着けない。
俺が悪魔だと分かった瞬間に、それまで良い感じで話をしていても、掌を返される。
なぜならば治癒術は、”神”の力を借りて行うからだ。
種族によって信仰する神が違うわけで、俺の場合は”魔王様”という事になる。
魔王様の力を借りて回復すると後が怖い、と言うわけだ。
その上悪魔が治癒術師の場合、パートナーとの週一の盟約の儀が特殊になる。
だから普通、魔王様の力を借りる悪魔は、治癒術師ヒーラーではなく、前衛技師ポインターと呼ばれる技能を身につけて、最前線で戦うことが多い。悪魔だから、滅多なことでは死なないので、敵を引きつける役目を、パートナーと契約して引き受けることが多いのだ。俺の両親もそうだった。何度も血まみれになっているのを見た。だから俺は、治癒術師になることを決意したのだ。悪魔だからと言って怪我をして良いと言うことはない。だが、この最終試験で、無事にパートナーを見つけて、最後の実習を終えなければ一人前の治癒術師にはなれない。そして現在の俺は全戦全敗だ。

「悪魔が治癒術師とかちょっと気持ち悪いよね」

ヒソヒソボソボソ聞こえてくるが、明らかに俺に聞こえても良い音量で喋っている周囲。俺はやっかまれている。成績が良いからな! 血反吐を吐く努力をしてきたからな! しかし俺は自分の努力を知っているし、パートナーが見つからない現実に嘆くしかない。
万年次席(俺とは二百点以上紙のテストの点数には差があったがな)の、”天使”であるザイルなど、会場にたった瞬間、人混みが出来た。自分と組んで欲しいという希望者が殺到したのだ。天使が信仰するのは、人間が信仰している神と同じで、唯一神”アリアム”だ。そりゃあ頼りがいもあるだろうさ! 安心して身も心も回復も頼めるだろうな!
その上天使は恵まれている。前衛技師としても人気が高いのだ。
天使にしろ悪魔にしろ、パートナーとして組む相手は”人間”だと決まっている。
人間との間でパートナー協力するのだ。
大きな理由があって、このフィルナフィナ大陸には、古代の遺跡が散在しているのだが、何故なのか遺跡には、人間を伴っていないと入ることが出来ないのだ。ただし遺跡には危険がつきものだから、人間は、治癒術師や前衛技師を欲する。遺跡に入りたい悪魔や天使は人間のパートナーを探す。こうしてパートナー契約の歴史が生まれたのである。
遺跡は、アリアムにしろ魔王様にしろ、どちらかの遺跡だから、天使も悪魔も一族を挙げて探索に乗り気なのだ。
さて、実習で練習だから、今回の契約は、実習終了後に破棄する事も出来る。
だと言うのに、俺のパートナーは決まらない。
もうこの際、実力のあるなし、頭のできの善し悪しなど、なんにも関係なくどうでも良い。ギルドポイント10000以上の冒険者(できれば剣士)などという夢は捨てる。実力試験上位五位以内じゃなくても良い。とりあえず俺を卒業させて欲しい。
ぞくぞくとパートナー達ができあがっていく。治癒術師と人間もそうだし、ディルンデス前衛技師学院の天使や悪魔達も、契約していく。契約して――元のサイズに戻っていく。人間と契約することで、天使や悪魔は、本来の姿を取り戻すことが出来るのだ。以後は盟約の儀を行う事で維持される。本来の姿というのは、簡単に言うと”大人の姿”だ。現在の俺は、よく見積もって十歳前後の”子供の姿”なのだ。仮にもここには人間の世界なので、単独で存在するためには、力を制御しなければならないのである。
そこで本来の姿に戻るためには、盟約の儀や契約時に、人間が持つ潜在技術力を分けてもらって、大人の姿に戻るのだが、そのためには潜在技術力を数値化したギルドポイントが……俺の場合で、大体30000ポイントかかる。
少なくとも今日ここに来ている、人間――ギルド付属冒険者養成学院アルトバルン派実践技術課程の学生の中に、30000ポイント以上の持ち主がいるという話は聞いたことがないから、最初から完全な姿に戻ることは無理だとは分かっている。だが少しでも、27歳の俺の姿に近づきたい。27歳(人間換算外見年齢)が、10歳の体でちょこまか動く苦痛から解放されたい。ちなみに実年齢は、俺は306歳だ。人間の方は、下は七歳、上は八十二歳までいる。しかしこの場で最重要視されるのは外見年齢なので、俺は現在子供扱いを受けている。

そして誠に遺憾な話なのだが、俺以外の悪魔の治癒術師でも、すでにパートナーが決まっているモノが半数くらいいるのだ。どういうことだ。これはもう、俺が悪魔だから、と言う理由では説明がつかなくなってしまうぞ。俺が一体何をした。性格が悪いのか? 知っている! なお、外見は良い。天使のような麗しさの悪魔の子だ。
そんな事を考えていた時だった。


『――≪CODE:6e9d0e0≫不死鳥が発動しました。1024の遺跡が開放されるまで、この世界は閉鎖されます』


急にその場に機械的な音声が響き渡った。
何が起こったのだ?
ざわついていた周囲の喧騒がぴたりと止んだ。俺達は今、≪不死鳥フェニックスの絡繰遺跡≫という場所の真正面で、パートナー契約をしあっていた(俺はしていないが)。そして、絡繰遺跡を踏破して、実習終了となるのである。確かにこの絡繰遺跡について書かれた古文書には、『1024の遺跡が続いている模様』という記述はあったが(きっとそこまで勉強しているのは俺くらいのものだろうな)、あくまでも古文書は、『古代の噂話まとめ』だ。大体一つの標準的な遺跡につき、三日から三ヶ月は攻略にかかると言われているのに、1024等という数は馬鹿げている。

『繰り返します――≪CODE:6e9d0e0≫不死鳥が発動しました。1024の遺跡が開放されるまで、この世界は閉鎖されます』

繰り返された。だが事態が不明であるし、意味がいまいち分からない。コードとはなんだろう。何かの暗号か。俺は背中についている、今では形ばかりの小さな黒い羽をぱたぱたと揺らしてみた。
とりあえず、後三十分ほどでパートナー契約の場は終わる。そうすれば先生方が迎えに着てくれるはずだ。そう思って時計を見て、俺は絶句した。ぐるぐるとすごい勢いで針が逆回転している。凝視していたら、ぴたりとそれは止まった。時計が壊れてしまった……。反射的に、遺跡前の噴水の所にある大きな時計を見ると、そちらは正確だった。
しかし周囲からも、悲鳴が上がり始めた。皆口々に「時計が!」と言っている。
嫌な予感がした。

――≪閉鎖世界の古文書≫という書物がある。
それによると、神々(アリアムと魔王様)の遺跡が、起動した時、日は巡るのに時は進まない世界に閉じこめられるという逸話があるのだ。≪閉鎖世界≫と呼ばれる場所だ。その場所に閉じこめられると、時計が狂うという話だった。

「コーガ、ちょっと来てくれ」

その時ザイルに呼ばれた。足が小さいので、ちまちまと歩いていくと、そこには、ザイルと、ザイルがパートナーに選んだらしい人間などがいた。先ほど俺を断った人間だ。名前は、セノア。非公開者はのぞかれているが、ギルドポイントを公開している人間の学生の中では、暫定二位となっている10000ポイント超えの弓使いだ。
金髪碧眼のザイルは、青年姿になって背も伸びて、ちょっとイラッとするくらいの好青年風になっている。その隣で、ザイルの白い外套の袖を、小さな手でちょんとつかんでいるセノアは非常に愛らしい。ふわふわの緑色の髪と目をしている。人間の色彩は、天使や悪魔と違って、非常に豊かだ。他にいたのは、俺の幼なじみで、前衛技師の技能を学んでいる他校のルツと、そのパートナーで、剣士のミヌだった。ルツは俺と同じで黒髪だが、俺の方が魔力が高いので目は黒い。ルツは紫だ。悪魔は、魔力の強弱で瞳の色が変わる。黒、紫、赤、青の瞳の順で、上級の悪魔の中でも力量が変わる。それ以下は皆灰色の瞳だ。ミヌも10000ポイント超えで、暫定二位だ。暫定一位のリストの所にはずっと、『非公開(暫定一位)』と書いてある。冒険者ギルドが架空で設定した一位ではないかと言われていて、都市伝説とかしていて、誰も一位の学生を見た生徒はいないという。少なくとも剣士でも弓使いでもない。それぞれの一位はこの二人だ。他の魔術師や槍使いにだって一位はいるだろうから(まだ見ていないが)、よほどの器用貧乏か何かだと言うことになる。普通は一つの技術に全ポイントを注ぎ込んで血反吐を吐く努力をするのだが、人間の場合は天使や悪魔と違って複数の技術を学ぶことが出来るのだ。そのため、何度も学生になっている老人も多いわけであるし、在学しながら様々な技術を修めることも出来るのだという。
ルツは現在十六歳前後の姿になっていて、ミヌとは身長差が30cmくらいありそうだった。ルツは160cmくらいだ。
とりあえずこの二組は、双方に俺の知り合いの天使と悪魔がいるわけであるが、どちらも共にエリートだ。天使と悪魔には、天使ポイントと悪魔ポイントというものがあるから、それを人間の持つギルドポイントと合計したものが、その一組の総合ポイントと言うことになる。一位と二位だろう。どちらが一位かは知らないが。ちなみに俺は、俺単独で、21000悪魔ポイント持っている。単独だが、少なくともこうして公開されている中では、三位だろう(ちなみに俺は公開していないから、勝手に俺が公開済みのランキング表と俺を比べているだけだ)。悲しくないからな。
だが顔見知りだから呼ばれたのでも、ポイント数が三位だから呼ばれたのでもないだろう。

「”絡繰遺跡の古文書”と”閉鎖世界の古文書”の内容を覚えているか?」

ザイルに言われた。当然覚えている。そう、何を隠そう俺が紙のテストで一番成績が良い理由は、古文書マニアだからなのである。古文書の解読には様々な言語や絵図の理解、数学の理解、科学技術の理解、魔術の理解などが必要となってくるので、幼い頃から古文書にとりつかれて生きてきた俺は、必然的に学園で習うレベルの教養は大得意になってしまったのだ。

それから俺達は話し合った。
おそらく遺跡を攻略しないと、この世界からは出られないだろうという結論に至った。
俺達がそんなやりとりをしていた時、急に噴水前に大きな、ウィンドウが開いた。
呆然と皆で見上げる。
すると、なんと人間同士で組んだ数組が、遺跡の攻略に望んでいて、たった十五分で遺跡のボスまでたどり着いたようだった。遺跡には大抵魔物がひしめいていて、ボスがいる。ボスを倒して遺跡の宝物の箱を開けると、攻略となることが多い。一度に決められた人数しか遺跡の中には入ることが出来ないので、今回は五組が向かったようだった。パートナーがいるのはその内の三分の一だった。実習経過を見るために、戦闘風景は魔術で映し出されるようになっていたのである。……他の遺跡にも適用されるのだろうか? ボス戦以外でも、激しい戦いが始まる手前からは、基本的には放映されるという規則になっていた。

そしてボスは倒された。すると機械的な声が響き渡った。

『――遺跡攻略数1/1024』

やはり遺跡を攻略すると言うことなのだろう。だが、所詮はパートナー契約のために集まった烏合の衆なのだ。この場には三百人弱の学生がいるが、連携なんてとれないし、まとまりなんて無い。俺は壮絶な不安感に襲われた。俺はパートナーすら決まっていない。この状態で、≪閉鎖世界≫から抜け出せるのか?
「ちょっと話してくる」
ミヌが言って、俺以外の四人が、魔法陣で帰還したらしい攻略組達の方へと走っていった。俺はただ呆然と立っていた。


「あの」

そこへ声をかけられた。
なんだろうかと聞き覚えのない声に振り返ると、そこには一人の青年が立っていた。
二十代前半くらいの人間だった。
人間なのに、黒い髪に黒い目をしていた。
「なんだ?」
「まだ、パートナーを探しているんですか?」
「うるさい」
「ご、ごめんなさい」
俺の言葉に、青年の笑顔がこわばった。ひきつっている。気が弱いのだろうか。俺はうじうじした人間は嫌いだ。

「その……もし良かったら僕とパートナー契約してもらえませんか?」

しかし響いた声に、俺は動きを止めた。まじまじと青年を見る。
「大切にしますよ」
青年が満面の笑みになった。
……大切にする?
俺が求めているのはポイントか順位だが……大切にする?
まさかそんなことを言われる日が来るとは思わなくて、呆気にとられた。
おそらく俺が元の姿になれば、俺の方が背も高いし体格が良いだろうが、現在は見上げるしかないので、必死で青年の顔を見上げた。

まぁ……こんな状況で、一人よりはな……。
いやしかし、こんな状況だからこそ早まっては、いけないかもしれない。

「名前は?」
「エルンストです」
「職は?」
「んー、魔術師?」
「……何で俺に聞くんだよ。大体俺は、治癒術師だぞ。前衛技師じゃないから魔術師なら用がないだろう、前に出ないんだし。悪魔だからって声をかけてきたのか?」
「まさか、違う。僕は、基本的には一人で活動することが多いから、前衛も自分でやるんだ。回復してくれるパートナーが欲しくて」
「それが本当なら遺跡の一つも攻略してみるんだな」
「遺跡……」

俺は相手をうかがいつつ言葉を交わした。その時遠くから、遺跡の宝箱からルビーの指輪が出てきたという話が響いてきた。他の遺跡へ通じる扉も出現したらしい。嗚呼、そっちが気になってきてしまった。

「次はソロボスだとさ!」

早速中に入ってきたらしい組が、複数人だったためはじかれたからなのか声を張り上げた。

「誰か行く奴いる!?」

ルツが叫んでいた。ルツはすっかり攻略組とうち解けたようだ。あの社交性を俺は非常に羨ましく思っている。

「行きます!」

だがそんな思考が、俺の真正面で手を挙げた、エルンストの声でかき消えた。
――今なんて言った?

「あいていたら譲ってください。遺跡を攻略しないと、パートナーになってもらえないので」
「え、ちょっ――」
「行ってきますね」

……ま、まぁいいだろう。
本当に遺跡を攻略できるのであればな。それも一人でボスを倒せる力量があるのであればな。俺は、内心大変なことになったと思いつつも、歩いていくエルンストを見守っていた。
するとすぐに、また噴水の上にウィンドウが開いた。
そこでは朗らかに微笑したままのエルンストが、くるくると杖を回していた。
ボスは一体。小さな部屋で、それのみらしい。
だがそこにいるボスは、流石はボスだけあって、学園の校舎くらい巨大だし、見ているだけでまがまがしい魔物だった。ドリルのようなものが下腹部で、ずっとくるくる回っている鉄骨兵のような魔物だった。

『≪消去≫』

ポツリとエルンストが笑顔のまま呟いて、杖を左上から右下に振り下ろした。
瞬間魔法陣が空間中に花のように散らばり、そこから闇が直線的に流れ出して、魔物の体を貫いた。四方八方から貫かれたのとほぼ同時に、魔物は破裂するように消滅した。
ポカンとして俺はそれを見ているしかなかった。
魔術師というのは大抵一番後ろで長い呪文を唱えてから攻撃するモノだから、まず呪文が短いことに驚いた。なるほど、魔法陣で詠唱時間を補っているのかもしれない。なんて冷静に考えている場合ではなかった。なかなかやるではないか。
感心していると魔法陣で移動してエルンストが戻ってきた。
手には宝箱から入手したとおぼしき――ダイヤの指輪がのっていた。

「僕のパートナーになって下さい」

悪戯っぽく笑われて言われて、思わず俺は頷いてしまった。吹き出してしまった。本当にやるとは思わなかった。その心意気を買おう。危機的状況でも、こういう奴が一人いると救われる。そう言う奴がたまにイラッとするのはまぁお愛嬌というものだ。

「いいだろう」

何故なのか周囲から歓声が上がった。
確かにちょっと演出が派手だよな。パートナー契約のために、単独遺跡に踏み込んで宝石を手に入れてくるなんて。
エルンストが屈んだ。パートナー契約は、キスしなければ成立しないのだ。この時、唇を通してギルドポイントをもらうから、それで相手の力量も分かる。俺の姿がどれだけ変わるかが問題だ。せめて二次性徴後になってほしいものである。
軽く触れるだけのキスをした。

瞬間、俺は目を見開いた。

視界が変わった。慌てて唇を手で押さえる。見れば、俺の頭一つ分下に、エルンストの顔があった。――完全に戻っている。全身を満たした魔力の感覚に、俺は久方ぶりに大きな黒い羽を広げた。おお、多分これならば、空中に飛べる。たぶんも何も絶対に飛ぶ事が出来る。っていやまて、どういう事だ? 俺が完全な姿に戻ったと言うことは、エルンストは30000ポイント以上のギルドポイントを持っていると言うことだぞ……!?
コイツ一体何者だ……?

俺が何か聞こうと口を開きかけた時、エルンストが微笑んだ。

「大切にしますね」

なんだかこれはこれでいい気がした。