4:お招きされて振り返る
一ヶ月と少しが経った。
俺は未だに、エルが思いの外可愛かったことを思い出している。想定外の僥倖だ。
何せ≪閉鎖空間≫から出るまでの間はずっと一緒にいることになるのだから、相性が良いに越したことはない。それにこうして考えてみれば、流石に天使や悪魔は特別だが、人間にしてはエルはそこそこ綺麗な顔立ちをしている。睫が震えていたなと、瞬きをしながら俺は思い出した。
そうして洗濯物を干し終わってから、俺はいつもの通り噴水前へと出かけた。
するとルツに腕を引っ張られた。
「これを見てくれ! 昨日の遺跡から、他の組の家に行ける魔宝具が出たんだよ!」
「なんだって?」
「俺は真っ先にお前を招きたいと思っていたんだ!」
「そんなに俺に友情を感じてくれていたのか、流石は幼なじみだな」
「馬鹿野郎!! お前の暮らしがどんなに贅沢なのか確かめてやりたいんだよ!! 恥を承知で俺の家に呼ぶから、お前は自分の状況を冷静に確認しろ!」
なんだか複雑な心境になったが、俺は有難く招いて貰うことにした。
ルツの家は、もっともましな部類に入る家らしい。
これまで俺はルツの言葉は基本的に冗談だと思って半分聞き流していたのだが、家の正面に経ってまず言葉を失った。腕を組んでみる。
そこにあったのは、立派な、それはもう立派な、竪穴式住居だった。
入り口には扉がない。
藁で出来た屋根と壁が一体化している。
家の外には、川から引いているらしい小さな池があって、逆の隣には土の上に穴が掘ってあった。臭いからして、あ、トイレだなと分かる。分かるが……紙は? 水は流さないのか? くみ取りは? ちょっと古文書も真っ青になるだろうトイレだった。
腕を組みながら俺は中へと入ってみた。
床は土で、その上に草でおられた敷物がある。
部屋の中央にはたき火があって、頑張って言えば囲炉裏に見えた。
奥には木の幹があって、その上にすり鉢のような石と木の棒、まな板のようなものがある。
木で組まれた棚もあって、そこには森でとれたのだろう山菜と果物があった。
――自然のままの生活だ。
俺はこれが悪いとは思わない。人々の生活スタイルに比較など出来ないし、自然と一体になる生活も悪くはないだろう。
「良いか、これかかなり良い方なんだからな。分かってるか?」
「……そうなのか。俺をからかっているんじゃないだろうな?」
「からかえるもんならからかいたい! どうやって一軒家なんか建てて家電なんかあるのかそろそろ教えてくれよ、本当にあるんなら! むしろ俺を今度はそっちに招いてくれ!」
「エルが人を家に呼ばないで欲しいと言っていてな」
「呼ばないで欲しいって事は、呼ぶ魔宝具が存在するって事も知ってたわけだろ!」
「あ……!」
「何者なんだよお前のパートナーはッ!!」
俺が知りたい。
それはそうと俺は帰宅した。
そして二階建ての一軒家を眺めながら、改めて腕を組んだ。
ここにつれてこられたのは、パートナーになったその日のことだった。
「君のために家を用意したから、良かったら一緒に暮らさない?」
「パートナーだからな、一緒に生活するのは基本だろう」
自信満々に言ったが、逆にそうして貰わないと俺には、泊まる当てなど無かったので、みんなで集団野宿するのだろうと思っていたから、困るし助かったと思った。
そうしてつれてこられた家は、白い壁で、至る所に出窓があり、青い屋根の洋館だった。
カーテンの色も綺麗で、周囲の花壇には色とりどりの花が咲き乱れている。
「この家の中にあがる時には、馴染みがないと思うんだけど、靴を脱いでスリッパに履き替えて貰えるかな」
「わかった」
悪魔の家は土足が基本だが、人間の中には靴を脱ぐ文化を持つところもあると知っていたので、別にそこに気を咎めるほどではなかった。
間取りは、一応一階には、客間とリビングダイニングキッチン、お風呂と洗濯場、トイレ、物置があって、奥にエルの部屋がある。二階は、俺の部屋と物置と、後は空き部屋だ。客室なのだと思う。ベッドからあったから。
今思えばすんなりと俺はなじんだが、どう考えても、この大自然の森の中から建築するのは不可能な家である。そもそも電気はどうしているのだろうか?
人間の街では風力発電が行われているが、ここには電線がない。
他にも気になることはある。
当然下水もないのだが、トイレの水は一体どこに流れていくというのか。
そして俺はゴミを出したことがない。
ゴミの処理は全てエルがしている。だが、家の周囲に埋めているとは思えない。どうやっているんだろうか。そもそも食料は、何故冷蔵庫に補填されるのだ。考えてみれば分からないことづくしである。
これは、聞いてみるしかないだろう。
俺は、昼食の時間になったので、それとなくエルの様子をうかがった。
「おい、エル」
「ああ、お昼ご飯?」
「そうだ。ところで、カニにしようかと思うんだけどな」
「うん」
「からはどこに処分すればいい?」
「とりあえずお皿の上に置いて、後で僕が処理するよ」
「どうやって処理するんだ?」
うまいだろう。俺はそれとなく聞いてやった。してやったりという気分だ。
「どうやってって、他の家と同じだと思うよ」
「――え?」
「それよりカニなんて食べるの久しぶりで、お腹がすいて来ちゃったよ」
他の家と同じ……他の家でもカニは食べているのだろうか。
もしかしたらカニはこの周辺でもとることが出来るのだろうか。
冷蔵庫の中身は実は、エルが全て狩猟採取してきたものなのか。
いやそんなばかな。包装されたソーセージとか、冷蔵庫に入っているしな。
しかし俺もお腹が減っていたので、その日の昼は、とりあえずカニを食べることにした。
――美味かった。
食べ終わってから、俺は食後の茶を入れつつ、ふと考えた。
もしかしてエルも、俺同様、他の人々の生活を知らないのではないのか……?
だからこれが普通だと思っているのではないだろうか。
「なぁエル、ルツの家に行ってきたんだ」
「そうなんだ。ルツ君ていうのは、確か幼なじみだよね?」
「ああ。それが竪穴式住居だったんだ」
「そうなの?」
「一軒家は普通建てられないと言っていたんだ」
「魔術を使うことになるからね」
なんでもないことのようにエルが言う。さらっと魔術と言ったが、果たして魔術でどうにかなるものなのだろうか。嫌、なるとしか考えられない。現在我が家がここに存在している以上は。
まぁいいか。俺は言わなければならないことがもう一つある。
「お前、人を家に呼ぶ魔宝具が存在することを知っていたのか?」
「古文書に載っているからね」
「……そもそも、その古文書もどこから持ってきてるんだ?」
みんな記憶の箱をひっくり返して内容を思い出しているというのに、エルの部屋にはびっしりと古文書がある。俺は既読のモノが多かったし内容を覚えているから今のところはあまり手を出していないが、もしであったのがもう少し早ければ、それだけで俺はエルにときめいていたのではないかというくらいの数の古文書がある。魔窟だ。もう少し長く部屋に入れてもらえたら、もしかしたら見たことのない古文書を見つけることも出来るかもしれない。そしてこの古文書だって、全体に公開すれば良いだろうに、エルは「静かに読みたいんだ」としか言わない。情報を秘匿する気なのかとも思ったが、そう言うわけでもないようだ。”閉鎖世界の古文書”などは、すでに全体に公開している。未知の遺跡が出現して、その古文書があったら渡すとも言っていた。だがどの古文書をエルが持っているのか不明なのだから意味が無いとも思う。
「収納魔術だよ」
「収納魔術って確か掃除に使うんだろう?」
「昔読んだ端から、収納しておいたんだ」
これは濁されているのだろうか。
それとも人間の掃除とはそう言うモノなのだろうか。そんなわけはないか。
「――本当は、遺跡で魔宝具をみつけたから言ったんじゃないのか?」
「まぁ見つけたこともあるけど、どうして?」
「見つけたのか!? やっぱり遺跡に行ってるのか! というか、本当、何しに行ってるんだ!」
「そんなに深い理由はないよ」
「深い理由もなしに二度と怪我をして帰ってくるな」
「あはは」
笑い事ではないのだが、結局その後ものらりくらりとかわされて、俺は肝心なことは何一つ聞けないままだった。