6:意識する



 目を覚ますとグレイルは既にいなかったため、キースは重い体を引きずるようにして起き上がった。シーツの上で、しばらくぼんやりとする。恐る恐る下を見れば、情事の後を色濃く告げる鬱血痕があった。

 カッと頬が熱くなると同時に、サッと顔色が青くなる。
 ――ヤってしまった。
 そう考えるとキースの心臓は、激しく騒ぎ立てた。何度も一人で目を閉じ首を振る。これ、は、国王の王室業務の一環なのだから……意識してはダメだろう。

 静かに頷いてから、キースはクローゼットの前に立ち、本日の服に着替えた。
 毎日違う王衣が用意されているのである。

 豪華な朝食を食べる――ここでは、いつも通り一人だった。
 周囲の壁際に使用人やシェフは立っているのだが。


「するするとお済みのようで」

 その後、玉座の間に向かうと、宰相閣下が歩み寄ってきた。いつもと変わらないどこか白けたような顔をしているのだが、腕を組んでいる彼はじっとキースを見ていた。キースは、人に情事を知られているのが恥ずかしくて、俯いた。頬が熱い。

 キースのそんな様子を見て、宰相のルイド閣下は、冷や汗が浮かんでくるのを感じた。
 ――色っぽい。
 何といえば良いのか……艶が、昨日までとは格段に違うのだ。確かにキースは元々美しかったのだが――外見に似合わず、どこか子供じみているなと、ルイド閣下は常々思っていた。それが……今は、どうだ。潤んでいる青い瞳が気怠げで、薄い桃色の唇が悩ましい吐息をするたびに、目が惹きつけられる。

 なおこれは、ルイドの個人的な感想ではなく、その玉座の間にいた多くの共通した思いだった。そんな周囲の様子を一瞥し、だからこそルイド閣下は冷や汗をかいたのである。多くのものが、ギラギラした瞳を、キースに向けているのだ。キースは元々無防備な所があるから――これでは、いつ取って食べられるかも分からない。

 性交渉をすると色気が増す人間はいるが、これ程とは……ルイドはそう考えていた。
 ともかく放置するのは、危険すぎる。


 宰相閣下のそんな内心など全く知らないキースは、深々と溜息をついた。本人にすれば溜息なのだが、周囲にはそれが悩ましげに思えるのである。

「――グレイル元帥を呼んで来い」

 ルイドは小声で、後ろに控えていた自分の補佐官の一人に命じた。
 キースは聞いていない。俯いたまま、鈍く痛む腰について考えていた。

「キース陛下」
「は、はい?」
「今日から護衛を増やすから、決して一人にならないように」

 それだけ言うと、ルイド閣下は、玉座の前の階段から降りて入口へと向かった。
 外へと出て、壁に背を預けて腕を組む。綺麗な長めの金髪が揺れている。

 グレイルがやってきたのは、それから十分も経たない内だった。

「宰相閣下、お呼びですか?」
「――お前の本来の職場は、こちらだ。いい加減、自分の執務室から出て来い」
「……」
「今日からは、つきっきりでキース陛下の護衛を頼む。その左手には、お前の執務席もあるのだからな」
「伴侶の業務に、護衛なんていう規定はありませんけど」
「見れば分かる」

 目を細めてそう口にして、ルイドは中へと入った。グレイルはといえば、どんな顔をして合えば良いかわからないため、少し嫌そうな顔をしてから、一歩後ろに続く。だから朝も、先に帰ったのである。本当は起きるまで一緒にいたかったのだが、寝顔を見ているだけでも、自分を抑えきれそうになかったのだ。

「陛下、本日からはグレイル元帥が、貴方の護衛につきます」

 宰相閣下が事務的な声で言った。それを聞いて、慌ててキースが顔を上げる。
 そしてグレイルを視界に入れた瞬間――真っ赤になった。大きな瞳をさらに大きく開いて、プルプルと震え始める。唇が何か言おうとするように、小さく開いては、再び閉じられる。

 その反応を見て、虚を突かれてグレイルは目を瞠った。動揺から冷や汗が浮かぶ。

「あ、あ、あの、よろ、しく、お願いします、グレイル元帥……」

 キースが非常に小さな声で、舌を噛みながら口にした。
 それを聞いた瞬間、プツンとグレイルの理性の糸が切れかけた。

 顔から火が出そうな思いで、困ってキースが両手で顔を覆った。視界に端正な顔のグレイルが入った瞬間から、心臓が煩い。ドクンドクンと耳元に心臓があるかのように、大きな音がするのだ。周囲に聞こえてしまいそうで怖い。

 ――キースは、グレイルの事を、完全に意識していた。

 それは見ていた周囲、何よりグレイル本人にもよく分かっている。グレイルは、目の前の可愛い生き物が、自分を思って赤くなっていると考えると、幸せすぎて泣きそうだった。これまでずっと意識してきたのは、自分の方だったというのもある。思わず右手で唇を覆ってしまったグレイルは、表情こそ保っていたものの、頷くためには非常なる労力を要した。

「……よろしくお願いいたします」

 それだけ言うと、グレイルは自分の席へと着いた。
 正面から、キースから見ればいつもの冷たい表情で、グレイルは移動したのである。
 その気配に、恐る恐るキースが顔を上げる。もう一言二言、優しい――いいや、優しくなくとも言葉が欲しかったようにも思ったが、相手は仕事で自分の相手をしているのだからと、キースは思い直した。

 ただその後も、朝の二時間が終わる前の間、チラチラチラチラ、気づくとキースはグレイルの後ろ姿を見てしまう。それはルイド閣下を始め、周囲の多くが気づくところとなった。見過ぎである。グレイル本人も気づいていたが、彼は表情を変えない。しかし内心では、嬉しくて仕方が無かったのだった。