7:美味しい食事
退席の時間になったため、キースは逃げるように部屋を出ようとした。
するとグレイルも立ち上がった。グレイルから逃げたい気分だったものだから、驚いて見上げる。
「お送りします」
「あっ……はい!」
ダメだ、敬語が出てしまう……そんな風に思いながらも、キースはおずおずと頷いた。
こうして二人(と、後ろには大勢の近衛騎士達)で、寝室と併設されている私室へと向かう。長い階段を上がり、部屋の扉の前に立った時、キースは必死で振り返った。
「ありがとうございました!」
「ええ。それでは、仕事が残っていますので」
グレイルは、そう言うと帰っていった。彼は彼で心臓が破裂しそうな程緊張していたため、こちらも逃げるようにその場を去った。少しの間見送ってから、キースは部屋の中に入る。そして嘆息した。
窓際まで移動し、外の木々の緑を見る。小鳥が枝に止まっていた。
まだ――自分が魔獣退治の場を離れてから二ヶ月も経過していないというのが、キースには信じられなかった。
「後ろに突っ込まれた事が、前の俺からしたら一番衝撃的だろうけどな……」
ポツリと呟いてから、テーブルへと向かい、紅茶を淹れる。
この国原産の名物で、トーラ茶という。高級なものから安価なものまでが、各家に置かれている。だからキースも、昔から飲んできた。
豪奢なソファに座り、カップを傾ける。ホッとする暖かさと香りに肩から力が抜けていく。背を深々と預けて、時計を見上げる。もうすぐ昼食だ。本日は予定があるとは聞いていないから、部屋にきっと運ばれて来るのだろう。予定がある場合は、朝、ルイド閣下が教えてくれるのだ。
ノックの音がしたのは、十二時十五分を少し過ぎた時の事だった。
昼食だと思いながら返事をする。見守っていると扉が開き――入ってきたのは、ハロルドだった。驚いて立ち上がる。
「今は夕食じゃないぞ!?」
「――期待していたなら申し訳ないが、昼食を持ってきたんだ」
「き、期待!? 何をだ!? 何も期待していないからな!」
キースの言葉に、ハロルドが喉で笑った。銀色の長い髪が揺れている。本日はひとつに縛っている。紫色の上質な衣を纏っている彼は、中に入ると壁際に一歩逸れた。後ろからシェフや使用人が昼食を運んでくる。
「私が経営している店の一つに、シェルフという料理店があってな」
「シェルフ……? それって、この国で一番高級で美味しいっていうレストランの、あの、シェルフか?」
「ああ。ぜひ召し上がって頂き、キース陛下御用達の文言も宣伝用に加えさせてもらおうと思ってな」
「はぁ……そうだったのか」
そういえばお金持ちだと聞いたなと、キースは思い出していた。
そんなキースを、じっとハロルドが見る。
――確かに昨日よりも色気がある。噂通りだ。
ひとりハロルドが頷いた頃には、料理の準備が終わり、最初に退席を命じていたため、使用人達は帰っていった。
二人で、料理が用意されたテーブルを挟んで正面に座る。
「美味しそうだな」
キースの瞳が輝いた。頬が少しだけ桜色に染まっている。これは、王族に多い色彩だ。日焼けしない白い肌と、嬉しい時や興奮した時に桜色に染まる体――ハロルドは、この前雑談をしていて、医師だというロイド殿下からそう聞いていた。
「美味しいぞ。食べてくれ」
「いただきます」
こうして食事が始まった。食べながら、ハロルドはキースの観察を続ける。食べている姿は、初対面時と変わらず――お子様という印象だ。しかしながら、先ほど入った直後に見た、壮絶な色気……あれには、食指が動く。
ハロルドは、率直に言えば、子供には興味がなかった。自分とキースが同じ歳である事が信じられないほどで、一切性的な香りがしない美人を見ても、面倒くさそうとしか思わなかった。だが、今日のキースは、虐めたくなる顔をしていた。どんな風に乱れるのか考えてしまう。ハロルドは、童貞や処女が大嫌いだった。マグロなど論外である。お互いの積極性、技巧、そういったものを尽くしてこその、性行為だというのが持論だ。ただ一点、相手が拙くても許せるのは――寝とる時だ。今回、グレイル元帥の様子を見ていて、ハロルドはニヤニヤしてしまった。どうやらグレイル元帥は、キース陛下が好きらしいと悟ったハロルドは、グレイル虐めも同時に行いたい気分でいっぱいだったのである。
「なんだこれ、美味すぎる……!」
ハロルドがそんな邪な思考を抱いているとは全く知らず、純粋無垢な様子で、キースはナイフとフォークを動かす。舌の上で、お肉がとろけていく。人生で、こんなに美味しいものを、キースは食べたことがなかった。パンもスープもサラダも、何もかも美味しい。美味しいとしか言えない自分の語彙を呪うほど、美味しかった。
「だろう?」
食べ慣れているハロルドは、そう口にしながら、フォークでサラダのゆで卵を口に運んだ。このただ茹でただけにしか見えない卵の一つをとっても、産地や餌に気を配り、茹で時間、切り方、何もかもが完璧なのだ。
だが――あんまりにも美味しそうに食べているのを見ると、毒気が抜かれる。
「もっと食べるか?」
「ああ。これなら、いくらでも食べられる」
「太るぞ」
「どうしてそういう事を言うんだ」
「まぁもう少しくらいは太ってもいいかもしれないが」
そんな雑談をし、昼食の時間は過ぎていった。
食べ終わり、ハロルドが持参した紅茶を淹れる。キースは幸せな気分で、カップを受け取った。その時、ハロルドの指先が、キースの手に触れた。驚いて顔を上げたキースを、じっとハロルドが覗き込む。
「期待していたんだったな」
「え?」
「来い。抱いてやる」
「な」
狼狽えながら、キースは紅茶を飲んだ。味がしない。カップの中をじっと見た後、顔を上げる。頬が熱い。
「グレイル元帥以外がどんな感じなのか、興味があるんじゃないのか?」
「な、え、あ、いや!」
「図星か」
「ち、違う!」
「ならば一生グレイルに抱かれるのか?」
「っ……」
「そうなると私とロイド殿下は、生涯誰とも性交渉が出来ない――お前は私達にそれを強いるのか?」
「えっ」
「来い」
再び言われ、静かにキースはカップをテーブルの上に置いた。
寝室は、すぐ隣だった。