9:三人目
翌日の朝、キースが玉座の間に顔を出すと、ルイド閣下が腕を組んだ。
既に右手には、グレイル元帥の姿もある。
まだ気怠さが残っているキースは、玉座に座り、二人からの朝の挨拶に頷いて答えた。
最初キースは、夜では無かったハロルドとの開始時刻について、宰相閣下に何か言われるかもしれないと考えていたが、ルイド閣下は、昼食時の謁見者の話をしただけだった。その話の最中から、キースはグレイル元帥の事を何度か見ていた。
――何か言われるだろうか?
宰相閣下に対しても同じ事を考えていたのだが、こちらは意味合いが違った。なんとなく罪悪感があったのである。だが――無表情のグレイルはいつも通りであり、挨拶以外は特に何を言うでもない。キースは、拍子抜けしたような、少し寂しいような、不思議な気持ちになった。やはり、全員伴侶であるのだし、彼らは仕事として自分の相手をしているのだから、己もそう割り切るべきなのだろう――キースは俯きながら一人頷いた。
実際には、無表情ではあったが、グレイルの内心はささくれ立っていた。
彼だって勿論、たった一夜の事で、キースを手に入れられたとは思っていない。あの夜は、積年の思いが叶った貴重な夜だと理解していたし、もう二度と無いかもしれないという覚悟もあった。それでもふつふつと怒りが沸いてくる。キースに対して怒るのは筋違いであると理解していたし、自分と同じ立場のハロルドを糾弾する権利も無い。だが、好きな相手が抱かれた報せなど、聞きたくはなかった。
グレイルのそんな内心を知る由もなく、その日もキースは朝の二時間を無事に終えた。
そして昼食時には、貴族達とハンバーグを食べて、夜を待った。
四人での夕食である。ハロルドが用意した料理が、その日は並んだ。
「今後は私が用意する。陛下には、随分と気に入って頂いたようだからな。料理も、私も」
余裕たっぷりにハロルドが笑った。その時、ピシリと音がしたのは、ワイングラスにヒビが入ったからである。気づいたハロルドとロイドが視線を向けると、グレイルの持っていたカラのグラスにヒビが入っていた。キースは気付かなかった。そのくらい正面の三人とは距離が離れた席であるし、並んでいる美味しそうな料理に釘付けだったのである。
ハロルドは、グレイルの反応に、非常に気をよくしていた。表情こそ変わっていないが、グレイルが苛立っているのは、火を見るよりも明らかだ。
二人の水面下のそうした事情を知らないロイド殿下であるが――何となく嫌な気配は悟っていた。これは、俗に言う修羅場なのではないかと考えながら、彼は魚のムニエルを切り分ける。
気づいていないキースは、サラダの中のチーズに夢中になった。これまでの人生において、チーズとは固いものだったのだが、サラダの中のチーズは柔らかい。初めて食べたのだ。瞳をキラキラと輝かせて、白い頬を桜色に染める。美味い、美味すぎる。そう考えながら、パクパクと食べていくのだが、味わうのは忘れない。
傍から見ると、キースの食べ方は、非常に上品だった。父親の躾の賜物なのだが、本人はそんな事は知らない。
「それで、今日は誰を呼ぶんだ?」
ロイドがフォークを片手に切り出した。グレイルとハロルドが、それぞれ身構える。
――まぁこの二人のどちらかが呼ばれるのだろう。ロイドはそう考えていた。
元々の目的は、医学を学ぶための永久永住権の獲得である彼は、外交等は自国の要人と、こちらの宰相閣下に任せているため、気楽なものである。もっともキースの見た目自体は、ロイドも好ましいと思っていたから、抱けと言われたら余裕でそれは出来る。だが、無理にとは思わない。だから、自分は寝室に呼ばれなくても、本当はそれほど構わなかった。
「今日は……ロイド殿下、お願いします」
「「「!」」」
響いたキースの声に、三人が驚いた顔をした。
グレイルは、ハロルドが選ばれなかった事に、少し安堵したが、敵が増えたことには頭痛がした。ハロルドは、グレイルが選ばれなかった事をせせら笑ったが、選ばれると思っていた自分の名が響かなかった事に、顔を引きつらせそうになった。全員を試すつもりなのだろうかと彼は考えた。
一番驚いたのは、ロイドである。彼は、左右のグレイルとハロルドをそれぞれ一瞥してから、改めてキースを見た。キースはといえば、今はパンを美味しそうに食べている。
なお、キース自身は、ハロルドの言葉を思い出した結果の選択だった。
――陛下が相手をしなければ、一生性行為が出来ない。
これ、だ。キースは、ロイドだけ一生性行為を出来なかったら、可哀想だと思ったのである。冷静に考えたならば、奇っ怪な同情なのだろうが、キースは、そこまでは深く考えていなかった。
こうしてその日は、ロイドと共に、キースは寝室へと向かった。
巨大な寝台を前にして――その時になって漸く、キースは緊張した。
ロイドが、寝台に上がる。そして……彼は横になった。キースは立ったままそれを眺める。すると寝返りを打つようにして、ロイドがキースを見た。
「陛下は寝ないのか?」
「――え、っと。俺は、どうすれば良い?」
「寝台にあがって、毛布をかけて眠ったらどうだ? 疲れているだろ?」
「へ?」
「なんだ?」
「ヤ、ヤらないのか?」
キースが狼狽えながら聞くと、ロイドが右の口角を持ち上げた。彼は、キースの指先が震えているのを見ていた。緊張している事も怯えている事も、よく分かっていた。その通りであり、キースは、あくまでも、これが自分に与えられた仕事であると思って我慢していた部分がある。伴侶が自分を抱くのは、当然なのだという誤った信念を既に持っていたのだ。
「そういうのは、愛が生まれてからで良いだろ」
ロイドが微笑して続けた。キースは目を見開いた。
――こ、この人、まともだ! と、感動してしまう。
おずおずと寝台に上がったキースは、ロイドの隣に寝転がった。
こうしてその日、久方ぶりにキースは熟睡したのだった。
その寝顔を、黒曜石のような瞳で、寝付けないロイドは遅くまで眺めていたのだが、キースはその事を知らない。