【三】新しい世界での生活







 しかし夢が覚める事は無かった。
 翌朝、僕はザイルに叩き起こされた。そして、服を投げられた。着替えろという事だろうと判断し、昨日ここに来た日に何故か身につけていた白い服からシャツに着替えた。

「*******(こうしてみると、召喚獣というよりただの子供だな)」
「?」
「******(召喚獣は、一緒に授業を受ける規則なんだ。来てもらう。今後、別の召喚獣を喚びだしたら、そちらを連れていく場合もあるが、次の儀式は十年後だからまだずっと先だ)」
「?」
「……*****(……不安しかないな)」

 その後、鞄を持ったザイルに連れられて、僕は今度は別の塔へと連れていかれた。
 何やら教室らしく、沢山の子供がいて、皆がローブを羽織っている。
 昨日ザイルも明らかに魔法らしきものを使っていたから、やはりここはファンタジー的な世界なのだろう。ザイルの机の隣に、椅子があって、僕はそこに座らされた。その後鐘が鳴ると、白い顎髭の老人が入ってきた。昨日もいた人物だ。どうやら、先生みたいだ。

 その後、授業らしきものが始まった。黒板が使用されている。しかしチョークではなく、杖を先生が動かすと、文字が記されていく。

「……」

 僕はじっと前を見ていた。文字の授業だったからだ。しかも、『あいうえお』みたいに、簡単だった。日本語には聞こえないが、文字の記号自体は覚えてしまえば、『あいうえお』にとても近い。更には、算数らしき授業で感動した。こちらは、完全に足し算だった。記号さえ覚えてしまえば、僕には非常に簡単だった。周囲の年代を見てもそうだが、ここはどうやら小学校のようなものみたいだ。

 ただ、僕が知る小学校との違いとして、やはりファンタジーだなと思う。
 この日、午前中最後の授業として、『召喚獣の授業』があったからだ。
 僕はここで初めて、自分が召喚獣として呼ばれたらしいという事を、必死に記憶した『この世界のあいうえお知識』を駆使して学んだ。だが、付け焼刃なので、召喚獣として喚ばれた点以外は何一つ分からなかった。召喚獣が何かすらさっぱりだ。

 なお、お昼ご飯は林檎だった。またくるくるとザイルが魔法で皮を剥いてくれた。
 ……ザイルは給食(?)だ。どう見てもそちらの方が美味しそうだ。僕もローストビーフが食べたかったなぁ。


 このようにして、僕の新生活が始まった。

 まず朝は叩き起こされる。そして着替えを渡される。この世界では朝食は取らないようだ。そうして、授業に連れていかれる。僕はそこで必死に授業を聞く。なお生徒ではないので指される事などはない。それから昼食時林檎を食べる。帰宅後はお風呂に入り、あがってから、林檎を食べる。僕が林檎を食べている間、何やらザイルは勉強をしている。それらが済んでから、一緒の寝台で眠る。このようにしてまた次の朝を迎える。

 少しずつ、僕は文字だけでなく、言葉も覚えた。
 結果、三年も経過した頃には――(冬が三回来たから、僕は三年だと思ってる)、聞き取りは難なくこなせるようになったし、文字も学習した。ザイルの背もだいぶ伸びてきた。そしてザイルの特徴として、休日は爆睡するというのも知った。僕を叩き起こさない朝は、僕をぎゅっと抱きしめて、ザイルは眠っている。今もそうだ。完全に僕は抱き枕にされている。僕の背もちょっと伸びたから、召喚獣ではあるけれど、僕も育つみたいだ。

「ん……――!!」

 その時、ザイルが起きた。そして僕を抱き枕にしていた手を慌てたように離した。顔が真っ赤だ。照れているらしい。ザイルは可愛い。

「ハル、あんまり近づいて眠るな」
「……」

 言葉を覚えた僕ではあるが、基本的に僕は喋らない。召喚された日から、ほとんどの場合、沈黙を貫き通している。発音が不安だから、喋る勇気が出ないからだ。それにしても、近づいて僕を抱きしめたのは、寝ぼけていたのだろうけど、ザイルの方なのだから、理不尽だと思う。

 なお、僕が喋るのは、食事に関してのみだ。

「ハム!」
「……ハム? 仕方ないな……しかしよく食べるな、ハルは」

 もうお昼ご飯の時間なので、僕は戸棚にしまってあると知っているハムの名を全力で叫んだ。起き上がったザイルは、顔を洗ってから、僕のご飯の準備をしてくれた。そして僕が食べ始めると、正面の席で、頬杖をつきながら僕を見ていた。

「肉食というわけでもないよな、林檎を食べるのだから。だが、ハルのような召喚獣は他にあまりいないから、能力がいまだに分からない事も困るが、食事も毎回変えるというのがな……知能が育っているようにもあまり見えないし。いいや、だいぶ食べ物の語彙は増えたようだが」

 ブツブツとザイルがいう。僕は知らんぷりでハムを食べる。
 能力……そんなものが、中身は平均的なまんまの僕に存在するのかは、僕こそが知りたい。授業で得た知識として、召喚獣は人間より強い魔術が使えるそうなのだ。僕が魔法と呼んでいたものは、こちらでは『攻撃魔術』『結界魔術』『回復魔術』などと分類されているらしい。人間の魔術に関しては、僕も授業を聞いているから理論は分かったが、生徒ではないから実技の授業は受けられないので、試した事は一度も無い。そもそも異世界から来た僕にも、魔力とやらがあるのかは分からない。こちらの人々は、魔力を持って生まれる場合があるそうで、ザイルが通っているこの全寮制の魔術学院の生徒はみんな魔力を持っている様子だが。

「やはり淫魔なんだろうか……だが、だとしても、淫魔の食事の多くは精気だというし……求められた事も無いしな。まだ子供だからか? と、その部分も不可思議というか……成長する召喚獣はあまりいないんだ。進化し人型をとれる召喚獣は多いが、最初から人型で成長するというのは、どの文献にも無いと先生も言っていたしな……」

 ザイルが思い悩んでいる。
 僕は時々、『ただの人間です』と言おうか迷う。
 僕はまだ召喚獣の種類は知らないから、淫魔がどんな召喚獣なのかは知らないが、少なくとも精気というものを食べたいとは思わない。精気が戸棚に入っていた事も無い。そして元々の世界にも、精気という食べ物は無かった。

 だけど……ザイルをガッカリさせたくないという思いが最近生まれてきたので、僕は言えない。何の力も無いと分かったら、ザイルはきっとショックを受けるだろうと、そんな気がする。生まれて初めて、平均的で平凡な能力である事を、僕は悲しいと思った。