【3】ネルネルネルネル草



 清々しい朝を俺は迎えた。
 異世界初日である。
 昼夜逆転生活を正義とし、日本で引きこもり気味だった俺からすると、なんだか、健康的になった気すらする。

 そんな事よりも、今日から必死にお金を稼いで、何とか、此処での宿泊費などと――やるって言われたけど、バルトに返す分のお金を稼がなければ。

 そう考えながら立ち上がり、伸びをした。
 嗚呼、風呂に入りたい。
 大浴場があるらしいが、夜しか空いていないらしい。
 昨日は酔いどれて、入る機会を逃してしまった。

 ――が、俺には秘儀がある。

 鞄の中から俺は、『魔術の書』を取り出した。
 この大きさも数も無制限で入る謎アイテムの中に収納していた、俺を魔術師たらしめてくれたこの書籍には、体を清潔にする魔術も記載されていたのである。歯磨きもバッチリだ。別に本を開かなくても魔術を使うことは出来るのだが、一体何を何処まで出来るのかが思い出せなかったので、開いてみる。

 結果、髪と体を洗って、新しい下着と服を出すことに俺は成功した。
 部屋に備え付けの時計を見ると、現在午前九時。
 朝十時までが朝食の時間だと聞いた気がする。
 俺は、鞄をかけて、昨日の酒場(朝食会場)へと向かった。

 人気はあまりなくて、ユーナさんが笑顔で挨拶してくれた。

 何でも早い組は既に討伐に出ているし、遅い組は、十時ギリギリに来るのだそうだ。
 と言うことは、今度からはもう少し早く来ても良いかもしれない(起きられたら)。

 朝食は、小麦とバターとミルクで作ったスープ――要するに、シチューと、丸いパンだった。色がちょっと不思議だったが、アレだろう、ライ麦パンとかそう言うものだろう。他にはサラダがあった。

 あんまり地球と食事は変わらないみたいである(流石に今のところ和食や中華は見かけていないので、欧州風と言ったテイストだ)。

 今回の食事内容で俺が見たことがなかったのは、サラダの中に入っていたショッキングピンクの葉である。外見だけはレタスっぽかったが食べる気が起きなかった。後は、シチューの中に、薄紫色の小魚っぽいのが入っていたが、コレにも手をつける気は起きなかった。また、シチューは基本的にシチューの味だったが、どことなく魚介風味だった。ラーメンを食べた直後のどんぶりに、洗わないでシチューを盛ったら、こんな味になる気がする。

 朝食を終えた後、俺は、依頼に行くので、ユーナさんからお弁当を受け取った。

 雰囲気からして、サンドイッチであるが、中身は後でのお楽しみにしておくことにして、鞄に入れる。俺が、異世界へ来ると同時に手に入れたこの鞄、なんと、いくらでも入るほかに、中身が劣化しないという特性を持っているらしい。便利である。

 それから階段をグルグルと下りて、俺は受付を正面に見ると左手にある、依頼ボードを見た。木の板に緑色の布が貼ってあって、そこに釘で、羊皮紙製の依頼書が貼り付けられているのである。俺には羊皮紙っぽいなと思えるだけで、その紙が何製なのかだとかはよく分からない。

「ええと……」

 俺のランク(G)で受けられる依頼を眺める。

 最初に目にとまったのは、『ネルネルネルネル草(×15)の採取』である。右上に、大きく”G”と赤いスタンプが押してあるので、俺が受けられることは間違いない。

 達成報酬1500リラ。葉っぱ一枚100リラだ。俺の中では、1リラ=百円なので、達成すると1500リラとなる。なんでも胃薬の材料になるらしく、多ければ多い分だけ買い取ってもらえるらしい。

 現在俺は、宿泊費で4000リラ×7=28000リラと、バルトから借りた20000リラを最低限入手しなければならない。後はいくらかかるのか分からない夕食代で、15000リラくらいは余裕が欲しい。だとすると目指す金額は、六万八千リラだ。

 昨日既に一泊してしまっているので、残り六日で、六万八千リラを稼ぐには……――一日最低一万二千リラ稼げば、ちょっと余裕が残る。

 ということは、『ネルネルネルネル草(×15)の採取』を、10回やれば良いわけだ。
 ノルマ、一日、ネルネルネルネル草150枚。目指せ、900枚。
 うん、頑張ろう。

 俺はそう決意し、その依頼書を手に、カウンターへと向かった。
 すると受付には、バルトがいた。

「……」
「お、おはよう」

 相変わらず怠そうな顔をしているなぁと思いつつ、昨日キスしてしまったことを思いだし、緊張しながらも俺は声をかけた。

「……はよ。依頼か」

 依頼書を受け取ったバルトは、一瞥すると、緑色のスタンプを押した。

「……」
「……」

 依頼書を返される。それだけだった。
 特に俺達の間に会話は生まれなかった。

 ――意識してしまった俺は、きっとやはり、現代日本の価値基準のままなのだろう。

 多分昨日みたいなことは、この世界では良くあることに違いない。
 きっとそうなんだろうと判断し、俺は依頼書を鞄にしまうと、ギルドを後にしたのだった。



***


「っ、はぁ……」

 別に、いつも通りだったはずだ。
 バルトは、己にそう言い聞かせる。
 なのに笑顔で依頼書を持ってきたソルトのことが、脳裏から消えてくれない。

 初の依頼。
 きっと、不安なことだって色々あるはずだ。
 何か一言くらい、声をかけてやれれば良かった。

 唇を噛むが、もう既に、ギルドを出て行った彼を追いかける理由もない。

「……ああ、もう」

 髪を掻き、目をきつく伏せ、バルトは気分をきりかえることにしたのだった。


***



 ≪冷汀の森≫へと辿り着いた俺は、鬱蒼と茂る周囲の木々を見据えた。
 実は、ここに来るのは初めてのことではないのだ。
 この奥地にある湖の前で、俺は目をさましたのだから。

 とはいえ土地勘があるわけでも何でもなかったし、幸い最寄りの≪花都≫へ着くまでには、その時は魔物に遭遇する事も無かったのである。

 それは兎も角、今日からは、此処で、『ネルネルネルネル草(×15)の採取』をしながら俺は生きるのだ。『生活の書』を呼んだところ、”リンデンベルグの樹”という杉の木そっくりな樹の所に、ネルネルネルネル草は群生するらしい。

 その知識を頼りに、俺は森を進んだ。
 そしてすぐに、それらしき樹を発見した。

「思ったより、案外あっさり見つかったな」

 杉の木に似た大木の周囲に、円を描くようにして、それは群生していた。
 一枚一枚の草は、しその葉によく似ている。
 違いは、葉の中央に、渦巻きマークに似た模様があることだろう。

 そんなこんなで三十分ほどで俺は、ネルネルネルネル草を300枚程手に入れた。

「え……これ、今日中に、一日どころか一週間分のノルマ達成できるんじゃね?」

 呟きながらも俺は、時間が経つのも忘れて、ひたすらプチプチ、ネルネルネルネル草を採取した。一応目標があったから数えてはいたのだが、1000枚を越えた頃から、数えるのは止めた。胃薬になるならば、少し多めに採取して、自分用にも保管しておこうではないか。なんだろうこれ、ただの草むしりだよな。

 そうは思いつつも、俺は、兎に角生活費を稼ぐため、懸命に採取した。

 気づけば、六時間ほど経過していて、お弁当を食べる機会を逃しかけていた。
 三十分で300枚なのだから、ペースも速めたし3600枚は採取したのだろうか……。

 しかし単純作業というのは、思いの外精神力を使うのか、何故なのか俺は、全速力で2キロくらい走った気分になっていた(ちなみに実際に、走った経験はない。あくまでも気分の問題だ)。

「……やばい、疲れた。お弁当は帰ってから食べよう」

 一人そう呟き、俺はいくらでも何でも入る鞄に、ネルネルネルネル草を詰めて、立ち上がった。

 カラランと音がして、『宿り木』の扉が開いた。
 移動時間もあったから、俺が戻ってきたのは、午後四時くらいのことである。

 受付にいたバルトが、緩慢な仕草で俺を見た。
 目があったが、かける言葉も思いつかなかったので、俺はそれとなく視線を逸らしてから、歩み寄った。

「あ、あの、依頼」
「……ああ」
「沢山取ってきたから、見て欲しいんですけど」
「素材の鑑定は向こうだ」

 そっけなくバルトはそう言うと、右手にある鑑定窓口を指し示した。
 何故なのか、ただ草むしりをしただけなのに疲れ切っていた俺は、頷いてよろよろとそちらへと向かった。あれか、あれだろうか、昼食をまだ食べていないせいで貧血にでもなっているのだろうか。それとも、これが引きこもりの体力の限界なのか。

「では、依頼数との照合と、多かった分の素材の鑑定換金をしますね」

 窓口には、猫耳を生やした少年がいた。
 可愛いな、おい。
 俺はそんな事を思いつつも、ぐったりとした体をどうにも出来ずに、ただ頷いた。

「ええとっ、凄いっ!! ジャスト5000枚ありますよ! 一枚100リラだから、500000リラです」

 五十万リラ……五十万円。
 俺は、ぼんやりとした頭で、そんな事を考えた。

「大丈夫ですか?」

 すると不安そうな声で、窓口にいた猫耳少年に言われた。

「あ、ああ」
「依頼達成スタンプ、もらいに行けます?」
「う、うん」
「お金、ちゃんと預け入れに行けます?」
「それはちょっときついかもしれない……」
「じゃあ手元に10万リラだけ残して、こちらで、銀行に入れておきましょうか?」
「お願いします……」

 俺はそんなやりとりをしてから、茶封筒を受け取った後、再度受付へと向かった。

「コレ……」
「……ああ」

 俺の目の前でバルトが、達成スタンプを押してくれた。
 すると俺の手の甲が光ったが、なんだかよく分からないので気にしない事にする。

「後、コレ」
「?」

 俺は必死で茶封筒から、20000リラを取り出した。
 この世界の通貨は、現代日本とほぼ差が無くて、紙幣などが流通しているのだ。

「……ああ」

 バルトが俺の手から紙幣を受け取ったのを見た瞬間、何故なのか張り詰めていた力が一気に途切れた。

「おい!」

 ガクンと崩れた俺は、次に、頭を床に盛大に打ち付けたのだと気がついた。
 じくじくと頭が痛む。
 焦るようにカウンターからバルトが出てきたのが見えたが、朦朧とた意識と、赤と緑の砂嵐に襲われた視界では、うまく何事も認識できなかった。

「ソルト?」

 その時声がした気がした。
 次に瞬きをした時俺は、スカイに抱きかかえられていた。

「おい、平気か?」
「……っ」
「やばそうだな……バルト、とりあえず、部屋に運んでくる。合い鍵あるか?」
「っ、ああ」

 俺の目の前で交わされるやりとり。
 だが半分も俺は理解できなかった。



***


「ネルネルネルネル草を5000枚だと?」

 話を聞いたカロンは、思いっきり顔を顰めて、足を組んだ。

「数え間違いはないですっ」

 素材受理をした猫獣人のヒイロ少年が言うと、隣でバルトが溜息をついた。

「あの鞄がどうなってるのかは知らないが、出すところを俺も見た」
「――し、実際あれだけ魔力消費してるんだから、持ってきたのは間違いないだろ」

 ソルトを部屋まで運んだ後戻ってきたスカイが、溜息をついた。
 ネルネルネルネル草は、確かにGランクの依頼だ。
 だが、数に制限があるのは、一つ採取する事に、魔力を吸い取るからだった。

「相当魔力量が多いっていうのは間違いないな」

 ただ一つ分かるその事実を、カロンが口にする。

「けどな、本人、そう言うの何にも分かって無くないか、アレ」

 スカイが呟くと、バルトが俯きがちに頷いた。

「恐らくこの街の風土も制度も何も知らなそうだ」

 二人の言葉にカロンは腕を組む。

「ちょっと気をつけて見ててやらないと、危ないだろうな。おいバルト、ギルド側ではお前が見てやれ。それとスカイ。悪いんだが、依頼系ではちょっと、気にかけてやってくれ」

 そんな風にして、『宿り木』での夜は更けていった。



***


 その足で、カロンは、ギルド職員しか閲覧不可能な”能力のカード”を見に行った。


***


◆能力のカード(設定:通常非公開/『宿り木』職員閲覧可能/公開請求時閲覧可)
名前:ソルト
HP:2500【範囲公開指定】
MP:3000【範囲公開指定】
年齢:27歳
種族:人間
職業:魔術師
特技:魔術・剣術・医薬学・魔道具生成
冒険者ランク:G
ギルドポイント:500
依頼達成率:0
所属ギルド(パーティ):無し
称号:新米冒険者
職歴:無し


***



 まだ、本日の依頼分が反映されていないため、コレはデフォルトのステータスだ。

「……」

【範囲公開指定】と表記されている時点で、それ以上の数値を潜在的に持っているのは明らかだ。また、己が初見時に直感したとおり、剣術の技能もあるらしい。気になるのは、魔道具生成だ。よりにも

 よって”朧霞の指輪”を手にしていた以上、もしかすれば、魔道具製作の匠クラスの技術者でもおかしくはない。少なくとも商談にのり売ってくれる程度の間柄に、そうした知人がいるか、その指輪を購入できるだけの財力があるはずだ。しかし本人は、金が無いという。

 もし仮に本人が作りだしたのだとしたら――ソルトが、≪魔具創造≫の使い手だとしたならば。

 ≪魔具創造≫の使い手は、大抵、人間の大国に保護という名の幽閉をされることが多い、超高位の魔術師だ。恐らく大陸中探しても、両手の指の数ほどもいない。彼等が作り出した魔具は大変な高値で取引される。”朧霞の指輪”をつけていただけであるならば、大金持ちなのだろうと納得することも出来たが(指輪をつけるに値する相応の美貌も兼ね備えていたのだし)、それを自ら作りだしたとなれば、悪意ある組織に狙われれ一生監禁されてもおかしくはない。

 ――自分の管轄するギルドで冒険者になった夢のある若者に、そんな酷な未来を追わせるのは願い下げだ。

 それがカロンの思いだった。
 あるいはそんな危険な術を使用できるのだから、本人だって静かに生きたいと考えているのかも知れない。だからあからさまに保護するようなことはしたくない。何せ此処は、自由に冒険者になると言う夢を叶える場所なのだから。

「随分とやっかいな新人が入ってきたのかもしれんな」

 そうは言いつつ、ニカッとカロンは笑った。
 だからこそ、冒険者ギルドは楽しいのだ。