3:何が為に生まれたのか


「……」
「……」
勇者が強引に僕の手を取って歩くせいで、何度も転びそうになった。
普段椅子にしか座っていない僕の脚力を甘く見てはいけない!
その上、僕と話がしたいだなんて言っていたのに、勇者は無言だ。僕は、会話も苦手だが、無言の空気感も大の苦手なのである。
暫く歩くと、僕らは突風が吹き抜ける丘の上へと辿り着いた。
ここからは、魔王城の次に良く、城下街が見渡せる。
きっと適当に歩いてきたんだと思うけど、良くこんな場所を見つけたなぁと感動した。
――此処は、墓場だ。
魔族は基本的に、死ぬと砂になって消えてしまう。
だからその砂を拾って、小さな正方形の石棺に収め、地に埋めるのだ。そして四角い墓石と、白い十字架を立てる。これは僕が来るまで無かった風習らしい。だけど初めて勇者がやってきた時に砂となって消えていくみんなを見ていたら、つい何もせずには居られなくて、残った僕はロビンと二人っきりでお墓を作ったのだ。砂となった遺体はしばらくの間は、亡くなった場所に少しだけ残っているから、集めて回った。別に僕は基督教徒だった訳じゃないけれど、十字架を作るのが材料的に一番都合が良かったので、このようにして十字架を立ててある。いつかは此処にロビンと僕も眠るのだろう。
「……きちんと弔って居るんだな」
「残された自分たちを慰めるためにだけどね」
「人間は今、合同で火葬をしていて、骨はそのまま土に埋めて、巨大な石碑を一つ建てるだけだ」
「そう言う風習なの?」
「違う。死者の数が多すぎて、葬儀が追いつかないんだ――俺はそれを、魔王が居るから、魔王が魔族をけしかけるからと聞いて育った」
そうだったのか。
だとすれば、やはり僕は恨まれてもしかたがないと思う。
魔族をけしかけた覚えなんて無いけれど、勇者はそう言われたからと言って、簡単に納得できるとは思えない。僕が勇者だったら、絶対に納得しない。
「……これから、魔王は、俺達が殺めた魔族の遺骸を拾いに行くのか?」
遺骸、か。
僕にとっては人も魔族もあんまり変わらないから、せめて遺体と言って欲しかったなって思う。
「まぁね。24時間位すると、完全に消えてしまうから、その前には」
嗚呼、そうしてまた墓石が増えるのか。
僕が勇者に倒されるのは、別に良いのだと、もう割り切っている。
だけど。
みんなが死んでいくという現実にはいつも、耐え難い感情が浮かんでくる。
「俺が憎いか? 魔王」
「……そうだね。憎くないと言ったら嘘になるかも知れないけど――だけど実際の所よく分からないんだ。僕は魔王で、君は勇者で。これって、僕たちの意志で決まったモノじゃないんだし」
つらつらと呟いてから、僕は頑張って笑ってみることにした。
亡くなった魔族の皆は、僕の笑顔が好きだと良く言ってくれたから。だから僕は、この丘に来た時は、いつも笑おうと思っているのだ。
「俺はこれまでずっと、勇者として生を受けたのだと思って生きてきた。でも今は分からない。まだ魔王の話を全て信じた訳じゃないけどな……もしお前の話が真実だとすれば、家族を殺したのは、俺だ。俺が剣を抜かなければ――」
「それは違うよ。君の家族を殺したのは、≪聖都:ローズマリー≫の人間だ。そこを間違えちゃ駄目だよ」
「……有難う」
「え?」
「少しだけ気が楽になった」
勇者は金色の髪を風に攫われながら、苦しそうに笑った。
同色の瞳がとても悲しそうに見えて、僕は首を振る。
切れ長の本来は意志の強そうな瞳が、今は弱々しく見えた。
「――俺は、何のために生まれてきたんだろうな」
その言葉を、僕はただ聞いているしか無くて、空を見上げた。次第に曇り始めていて、空は白い。曇天だ。だけど雨が降り出す気配はない。いっそ雨が降ってくれたのならば、勇者も泣く事が出来そうだななんて思う。
「僕も、分からないよ」
「何?」
「僕も、どうして魔王になったのか、よく分からないんだ。まぁ不慮の事故だったんだけどね……だけど、どうして此処に今存在しているのかは、よく分からない。だから、勇者に倒されるために居るんだって、自分で勝手に決めたんだ」
「……」
「そのせいでよくロビンには怒られちゃうんだけどさ」
僕が笑ってみせると、勇者が静かに歩み寄ってきた。
「もしお前が俺だったら、どうした?」
「え?」
唐突なその問いに、僕は目を見開いた。――僕が勇者だったら? そんなこと、これまでには考えてみたこともない。
「家族を人間に殺されたと分かった。これまで罪もない魔族を虐殺してきた。裏切られていた。魔王を殺すという目的は消えた。だけど何かを恨んでいなければ呼吸をするのが苦しくなるほど、俺は非道な人間なんだよ。辛い、苦しいんだ、今どうしようもなく」
泣き叫ぶような勇者の声音に、僕は視線を向ける。
「僕だったら……」
きっとそのやり場のない怒りを解消できたら、救われる気がした。
「魔王を倒すよ。それで忘れる。ハッピーエンドだ。憎むのは変わらず魔王。それで良いんじゃないかな」
「お前は何もしていないのに、どうして恨めると言うんだ?」
「何もしていなかったから、かな」
「っ」
「例えば僕が、人間との間に友好関係を結ぶ努力をしていたならば、こうはならなかったかも知れない。魔族が怖い存在ではないのだともっと明確に示していれば、結果は違ったかも知れない。恨もうと思えば、いくらでも恨む余地はあるんじゃないかな」
僕がそう言うと、何度か勇者が目を丸くして瞬きをした。
「お前……なんでそんなに」
「ん?」
「……俺に倒されたいのか? 恨まれたいのか?」
「別にそう言う訳じゃないんだけどね」
長いこと生きてきすぎたから、僕は多分、勇者に倒されるという確固たる未来以外の目標や生きる活力を見失っているのだと思う。我ながら、面倒くさがりなのかも知れない。
「じゃあ――俺に殺されたいのか?」
その言葉に、ザワリと胸の奥で何かが蠢いた。
嗚呼、僕の方こそこの世界に、何が為に生まれたのか。
あの時の僕は、何故不老不死など望んだのだろうか。
今となっては分からない。
だけど。
だけどだ。
何となく合点がいった気がした。
「そうかもしれないね」
「どうして笑うんだ?」
「ううん。すっかり、みんなは兎も角、自分が死ぬって言うのがどういうことだか忘れていたからさ――うん、そうだね、僕は殺されたいのかも知れない」
僕がそう言うと、勇者が静かに俯いた。
「じゃあ俺が恨んで恨んで恨み倒して、お前を倒して、殺しても良いって事か」
「うん」
「俺にはもう居場所がない。だから、お前の近くから、命を狙っても良いか?」
「近く?」
確かに≪聖都:ローズマリー≫を始めとした、人間の国には帰りづらいだろうとは思う。僕は、この魔族の土地にある人間街の事を想起しながら、改めて勇者を見た。
「しばらく魔王城で、お前の命を狙っても構わないか? 本当に、俺に殺されても良いと思っているんなら、俺を魔王城においても不都合はないだろ?」
「え、あ、まぁ……別に構わないけど」
「それにまだ俺は、お前のことをよく知らない。知らない相手は、殺せない……もう、な」
ポツリと呟いた勇者の言葉が、風に溶けていった。