6:昼の午後
勇者と分かれてから、僕は自室へと静かに戻った。
強い黒苺の酒瓶を傾けて、喉へと流し込む。
甘い――だけどなんだか、泣けてきて、勇者は優しいなだなんて思った。
だからこそ、手にかけられて死にたい。
これは狂気なのだろうか。
正気の在処が分からなくなってくる。
瓶を机の上に置いて、僕は大きなベッドに横たわった。
そして気がつくと眠っていた。
「魔王様、お目覚めですか?」
僕がうっすらと目を開くと、すぐに部屋の扉が開いた。
ロビンはいつも、僕が起きるとこの部屋へとやってくる。
「おはよう」
「おはようございます」
僕が掠れた声で言うと、穏やかな顔でロビンが言った。
「朝食の準備が整ってございます。勇者達も既に目を覚まし、朝食を取りたいと騒いでおります」
「すぐに食べさせてあげて」
「いえ、アルト様とご一緒に食べたいとのことで」
なるほど。それで普段は、僕がごくたまに頼まない限り、朝食の用意ができたなんて最近では言わなくなったロビンが、自発的に朝食を用意したのだろう。
「すぐに行くよ」
僕が応えると、側の机に珈琲を用意して置いてから、ロビンが一礼して部屋を出て行った。
熱い珈琲が美味しかった。
それから魔術で、体と髪を洗った。普段の僕はお風呂やシャワーが大層好きなのだが、あまり待たせても悪いだろうと思ったのだ。
そうして身支度を調えてダイニングへと向かうと、そこには既に3人の勇者パーティの人間と、城の使用人達、そしてロビンの姿があった。
生き残った使用人達は、壁にピタリと背を当てて、中央にある横に長いテーブルを囲むようにしている。入り口から見て右手、僕の座る奥の席から見て左手に、勇者達は三人横に並んで座っていた。僕が一番奥の席に座ると、右後ろにロビンが立った。
勇者達を見る。オニキスと視線が合うと、苦笑するような顔で、何故なのか頬に僅かに朱を指すようにしてから、さらっと視線を逸らされた。昨日のことを気にしているのだろうか? 若いなぁと思う。僕だってそんなに経験がある訳じゃないから、正直勇者を見ると羞恥が浮かんでくるのだけれど。
「いただきます」
僕が手を合わせると、不思議な顔で三人が僕を見た。
「――いただきますってなんだ?」
魔術師のフランに尋ねられ、僕は苦笑した。
「食事をする前に、両手を合わせて、『いただきます』って言うんだよ――そうだなぁ、この魔族の土地の1000年前くらいからの約束事かな」
「そういえば、街の魔族も、『いただきます』って言ってたね」
神官のルイが頷くように、首を縦に振った。
「いただきます」
勇者が僕をまねるように両手を合わせる。
「「いただきます」」
フランとルイもまた、両手を合わせた。
今日の朝食は、シーザーサラダとカリカリに焼かれたベーコン、ハッシュドポテト、スクランブルエッグだ。あとはコンソメスープもついている。コレならばっちり人間も食べられるメニューだ。土地によって好みの味付けなどはあるだろうが。
「おいしい……」
ポツリとフランが呟いた。
「ああ、美味しいな」
オニキスが頷く。
「こんなの、食べたことがないよ」
ルイもまた頷いている。
「良かった。美味しいと言ってもらえると、嬉しいよ」
僕が笑うと、三人の視線がこちらを向いた。
「……この料理の材料は、どうやって手に入れたんだ?」
フランに問われ、僕は瞬いた。
「鶏や豚の飼育をしている魔族も多いから、今は街で買ってきてもらったりかな」
「全てこの魔族の地≪ソドム≫で手に入るのか?」
オニキスが続けたので、僕は頷いた。
勿論、僕がこの土地へ来て、最初から全てが揃っていたわけではない。
「聖都でもこんな食事、枢機卿の皆様でも、月に一度食べられるかどうか……」
ルイが俯く。
「今年の飢饉は本当に大変だったみたいだからね」
僕は溜息をついた。同情してしまいそうになるが、そんなのあちらから見たら、お前が言うな状態だろうなと感じて、黙っておくことにした。
「気候条件はコチラも変わらないはずだろう?」
フランの声に、ロビンが細く息を吐いた。
「いいえ。この土地は、魔王様のお力で、天候を制御いたしております。大規模な災害も滅多に起こりません」
そんなに大したことをしたつもりが無いので、ロビンの捕捉になんだか苦笑してしまう。
「あなた方が殺そうとした魔王様が居なければ、我々はきっと生きてはいけないでしょう。すぐにまたこの地は荒れ、その時こそ本当に、人間に害をなすことが起きるとわかりきっています」
ロビンの言葉に、フランとルイが顔を見合わせている。
オニキスは、ただ静かに僕を見た。
「……それが事実だとすれば、俺は魔族は愚か、人間も結果的に大量に虐殺することになるのか?」
「大丈夫だよ。もしそうなったら、今度は魔族を一人ずつ相手にするんでしょう? 今までもそうしてきたんなら、そう変化はないと思うよ」
「……」
僕の答えに、勇者は目を細めて押し黙った。
そんなこんなで朝食の時間は過ぎていった。
昼の午後になった。
穏やかな白い光が、窓から差し込んでくる。
僕はこの窓が本当に好きだ。
外には優しい色の緑が見える。白い鳥が飛んでいった。
はじめ、僕がこの城へと来た頃は、こんな風景は何処にも無かった。
ロビンが言うほど大したことを僕はしてきていないけれど、確かに僕は色々なものを好き勝手に変えてきたのかも知れない。例えばこの窓も、最初は無かった。食べる物だって、今とは全然違った。右も左も分からなくて、どうして良いのか分からなかったのだ。
多分支えてくれたのは、ロビンだったのだと思う。
少し眠ろうかと僕は思った。
部屋へと戻り、ベッドの上に体を投げ出す。
白いシーツにくるまって、僕はふかふかの枕に頭を預けた。
体が沈み込む感覚が心地良い。
微睡み始めた僕は、次第に過去の記憶の狭間と夢の合間で、この世界に来た時のことを思い出していた。
――もう1200年前の話しだ。
それから僕は、もう長いこと忘れていた、この世界へとやってきた時のことを思い出すようにしながら、眠りについたのだった。