7:過去――魔王一日目(1)



僕は、真っ白な光に包まれた。
神様(?)に移動させられたのだと気づいたのは、自分が金で縁取りされ、赤いベルベッドで非常に座り心地の良い椅子に座っていると気づいた時だった。真っ白い光に包まれて、それまで立っていたはずなのに、気づくと座っていたのだ。
目の前には、ファンタジックな服を着た老人が二人、その一歩後ろに青年が一人、更に向こうには、目算で三十名ほどの人々がいた。皆、片膝をたてて、頭を下げている。
「……?」
どうして良いのか分からず、僕は曖昧に笑って首を傾げた。
しかし皆頭を下げたまま、ピクリとも動かない。
「あの……?」
沈黙が辛くて僕は尋ねた。
「はッ」
すると間をおかずに、右側にいた老人が声を発した。
「ここは?」
僕が尋ねると、老人が頭を下げたまま続ける。
「魔王城でございます、陛下」
「魔王城……」
「はッ」
「あ、あの……宜しければ、お顔を上げていただけませんか?」
自分よりも年上の人に、ずっと跪かれているというのは、何とも居心地が悪い。
「皆さんも」
僕の言葉に、その場にいた人々が顔を上げた。
「「「……」」」
そして正面にいた老人二人と若い青年が視線を交わしたのが分かった。
僕はどうしたらいいのか分からなかったので、とりあえず笑ってみせることにする。
「あ、あの、まだ僕はここの事がよく分からないのですが……」
すると右側にいた老人が、意を決したように立ち上がった。
それから僕をじっと見る。
「――非礼にて罰を受けることは覚悟しておりますゆえ」
「え?」
「お許しもないというのに、勝手に立ち上がり申し訳ございません」
「いやいやいや、そんな、全然です」
「私目を殺さないのですか?」
「え、まさか、え? え? どうしてですか?」
「……私は、この城を、魔王様が顕現されるまでの間、管理していたシモンと申します。後ろに控える使用人達に、各自の仕事へ戻るよう、指示を出しても構いませんか?」
「あ、はい。よろしくお願いします」
僕が頭を下げると、呆気にとられたような顔をしてから、シモンさんは振り返った。
「皆、戻れ」
そこに響いた声音に、僕は硬直した。
先ほどまでは、何処か震え気味の嗄れた声だったというのに、使用人達にかけた言葉はゾッとするほど冷たかったのだ。尋常じゃなく怖い、と言うのが率直な感想だ。
だが使用人達は、その声を待っていたかのように、皆足早に部屋を出て行った。時折僕の方をちらりと見る人がいたのだが、皆その目にはおびえの色が見て取れた。
シモンさんは実はかなり怖い人なのか――いや、もしかすると、僕が何故なのか怖がられていたりするのか?
そんなことを考えていると、シモンさんが僕に向き直った。
「残る二名に、立つお許しを頂けませんか?」
「あ、はい。どうぞ、立って下さい」
するともう一人の老人と、その一歩後ろにいる青年が立ち上がった。
「紹介させていただいても宜しいですか?」
「よろしくお願いします」
「では。こちらは、魔王様がご不在の間、そして魔王様がおられる場合でも少しでもご負担を減らすためにと、この魔族の地≪ソドム≫の宰相を務めているワースです」
「お初にお目にかかります、陛下。宰相のワースです」
「はじめまして」
会釈を返すと、ワースさんは、あからさまに安堵したような顔で、細く息をついた。
「そして後ろに控えておりますのは、将来的に城の管理や宰相職を任せようと考えていた、ロビンです。ですが魔王様が顕現なさった今、彼は貴方の腹心の部下になってくれることでしょう」
「畏れ多いことです。尽力いたします、陛下」
「よ、よろしくお願いします」
僕は座ったまま、そう言った。
頭が完全に混乱していた。

まず、自称神様が言っていたことを思い出す。
――職業は≪魔王≫、種族は≪魔神≫、メイン技能は≪魔術≫
――他の世界に転生して、生きて欲しい。
なるほど、僕が先ほどから、魔王と呼ばれたり、陛下と呼ばれたりするのは、職業的に『(魔)王様』だからなのだろう。また、顕現した、と言っているから、赤ちゃんからやり直さなくて良い理由も、種族的に都合が良かったのかも知れない。きっと魔王とは、急に現れるモノなのだろう。

「駄目だ、喉が渇いた」

混乱のあまりそう呟く。
すると即座に、僕の右隣に丸いテーブルが設置され、その上にポットが置かれた。
「何をお飲みになりますか?」
メイド服のようなものを来た少女が、僕にそう言った。
何という速さだろう。
「え、あ、良いんですか?」
「何なりとお申し付けください、魔王様」
「じゃあ、冷たい飲み物を……」
頷いた少女が、ポットの脇に用意してあった瓶から、水を注いだ。水、だと思う。きっと炭酸水なのだろう。泡がポツポツと浮かんでいた。そこに少女は、木苺をいれて、僕の前へとグラスを差し出した。
一口飲んでみると、不思議な味の、ただ決して不味くはない、甘さと酸味を持つジュースのようなモノだった。そして僕は思いの外喉が渇いていたらしく、グラスを傾ける。
「ごめん、もう一杯もらえるかな?」
僕の言葉に、メイドさんは頷いて、更にジュースを作ってくれた。
今度はそれをゆっくりと飲みながら、僕は正面へと視線を戻した。

特に誰も言葉を発しない。

そこで僕は、皆のことを観察することにした。
まず、城の管理をしているという、シモンさん。白髪頭に、焦げ茶色の肌をしていて、まるで執事のような格好をしている。ややふっくらとした体格で、身長は多分僕よりも低い。七十歳以上だろう、確実に。目尻の皺が優しく見えるのだが、多分怒らせると怖い。
次に宰相のワースさん。黄緑色の髪に白髪が交じっていて、長い髪を後ろで一つに結んでいる。体のラインがしっかり出ている黒い服の上に、深い紫とも焦げ茶色ともつかないマントのようなものをつけている。そのマントの裏は――あれ、どうして正面に立っているのに、マントの裏側を見てみたいと思ったら、脳裏にそれが過ぎったんだろう――双頭のドラゴン(?)に、剣が一本突き刺さった黒いマークが見て取れた。何のマークだろう。
最後にロビンさん。きっと僕より少し年上なんだろう。少しと言っても他の二人に比べたらで、二十代半ばとか後半なんじゃないかと思う。金とも銀ともつかないの髪に、白い肌をしていて、目は緑色だ。彼はシモンさんと同じ服の上に、ワースさんと同じマントのようなモノをつけている。
では、僕は?
おずおずと視線を下げると、僕はゆったりとした白いボトムスを穿いていて、インナーは首まで覆う感じで、その上から、すっぽりと、黒いローブのようなモノを着ていた。いつの間に着替えたんだろう……いや、このファンタジックな場所に、学校の制服で来るよりは良かったのだろうか? もこもこと白い毛が付いているマントがちょっと暑い。

暑い……?

そこで僕は気がついた。
確か僕は、真冬に交通事故にあったわけだが、どういう事なのか、この大きな部屋の中は暑い。それこそ夏のように暑い。エアコンが恋しい、涼しくならないかな――と考えていたら、急に僕の体の周囲が、スッと涼しくなった。何故だろう――周囲を見回してみる。床は石造りで、僕が座っているのは、十段ほど階段を上った場所に設えられた玉座(?)のようである。そこから、真正面に見える巨大な扉までには、赤く細長い絨毯が敷かれている。壁もまた石造りで、何処にも窓はない。天井は高いが、それも石で出来ているようだった。

静かにグラスを置く。するとメイドの少女が、伺うようにコチラを見た。
「あ、もう大丈夫。グラスの中身は、後で飲むので、下がっていただいて大丈夫です。本当に有難うございました」
「い、い、い、いえ、っあ、きょ、恐縮です……!」
それだけ言うと少女は、逃げるように去っていった。
やはり僕は何故なのか、怖がられているらしい。

「あの」

正面に向き直り、僕は声を上げた。
「ハッ」
シモンさんが応えてくれる。
「今は何年何月何日何曜日で、季節は何時ですか?」
今更だが、言葉が通じているのが有難い。
「魔王様が顕現なされた本日より、魔王歴一年、一月一日、日曜日となります。季節とは……なんのことでしょうかな?」
「え、いやあの、昨日まで使ってた暦は?」
「前魔王歴4235年、12月2日、木曜日でした」
「その暦を使い続けた方が、混乱しなくて良いんじゃないですか?」
「いえ、陛下。以前の魔王様が亡くなって以後、この土地で意味を成すのは曜日だけで、誰も日時など気にしません。この際一新いたしましょう」
「……そうなんですか。ええと季節というのは、春夏秋冬と言って、暑い季節や寒い季節などです」
「この土地は、常に同じ気候です。強いて言えば、暑いのでしょう。外界の変化と言えば、豪雨か霙か曇りか雷か、と言ったもので、空は大概紫色か緑色です」
日本――地球とは、あまりにも違いすぎたため、僕は正直驚いた。


その時の僕はまだ、気候や天気を、己の魔術で変えることが出来ることも、さきほどの透視(?)や涼しくしたことが、無詠唱魔術と呼ばれる、使える者が限られたものである事も知らなかった。知らなかったのだった。そしてまさか、変えることになるだなんて。