9:過去――魔王一日目(3)




暗闇の中、僕は目を覚ました。
消し方が分からなかったので、寝室のシャンデリアの灯りをつけたまま眠ったのだが、今は消えている。今のところ、電化製品を見たことがないので、これも魔法か何かで、ついたり消えたりするのだろう(ちなみに僕は、魔法と魔術の違いを知らない)。
時計を見ると、寝る前は3時半くらいだったのだが、今は9時半だった。
しかし窓がないモノだから、時計を持っていなかったら大変だったなと考える。
思いの外眠ってしまったようで、もうすっかり夜である。
これでは食事の用意をして貰うのも悪い。
それに――不思議なことに、朝以降なにも食べていないはずなのに、空腹を感じていなかった。僕はきっちり三食食べるたちなのに、本当に不思議だ。そういえば、魔族(魔神も?)にとっては、食事は娯楽らしい。
「あー、お風呂は入りたい」
起き上がりながら、僕は思わず呟いた。
重そうな扉を押し開けて、応接間(?)へ出る。扉が思いの外軽かったので、驚いた。魔神になったから、ひ弱な僕にも少し体力が付いたのかも知れない。
それから先ほど見つけたシャワー室(?)へと向かった。
洗面所&脱衣所があり、中扉を開けると、その先にシャワーらしきものが見える。
左手の壁には、備え付けの棚があり、そこには見るからに触り心地の良さそうなタオルが入っていた。そして、棚の隣には、全身が映る鏡がある。

「――え?」

僕は鏡を見て、目を見開いた。
そこに映っているのは、間違いなく僕だと思う。手を動かしてみれば、鏡に映っている人物の手も動いた。しかしながら、ごくごく平々凡々だった僕の顔が、なんとも……なんて表現して良いのか分からないが、以前と比較すると、大変綺麗な顔立ちになっていた。スタイルも抜群だ。変わらないのは、黒い髪と瞳だけである。なのに確かにその顔が、僕のモノであると、直感的に分かった。
――そうだ、そう言えば僕は、美貌を頼んだのだった!
やった、コレならきっと、モテ期が来る!
僕は一人嬉しくなりながら、服を脱いで、側にあった籠に入れた。
それから浴室へとはいる。
が、お湯の出し方が分からない。第一、湯船がないのも寂しい。
そんなことを考えていたら、室内の作りが急に変わった。
シャワーは見慣れたモノに変わり、浴槽――というか温泉がそこに出現した。
「うわぁ……」
これが、魔術か!
まだまだ訳が分からないままではあるが、寝たら結構すっきりした。
そのため、手に入れた美貌やら魔術やらを、純粋に僕は喜んだ。
案外僕はついているのかも知れない。
シャワーで体を流してから、僕はゆっくりと温泉につかった。四角く白い大理石で出来ていて、ライオン(?)のような彫刻の口から、お湯が間断なく出てくる。しかし僕は、ごく普通の家庭的な湯船(足を伸ばせれば良かった)を想像していただけで、このようなどこかの高級ホテルにでもありそうな温泉は想定外だった。この辺りは、やっぱり僕がまだまだ魔術を上手く使えないと言うことなのだろうか。
色々と考えながら、ゆっくりと温泉につかった後、僕は外へと出た。
「あ、着替えどうしよう……」
僕はバスタオルで体を拭きながら、棚へと視線を向けた。するとバスローブを発見した。良かった。とりあえず下着は見つからなかったので、バスローブを着る。
「魔術で服が出せたりもするのかな?」
そこで僕は目を伏せ、パンツを想像した。
それから目を開けると、ぽとりとパンツが落ちてきた。
便利だ!
早速身につけ、バスローブを着直してから、僕は外へと出た。
ドライヤーを出してもコンセントがないから駄目だろうと考え、髪の毛が乾くように念じたら、髪も乾いた。
応接間(?)のふかふかのソファに座りながら、僕は喉が渇いたなと思う。
すると麦茶の入った硝子のポットが現れて、側にコップも現れた。
流石に此処まで何でも自由になると、楽しくてしかたがない。
良い気分でソファに深々と背を預け、僕は麦茶を飲んだ。
体が弛緩していて、疲れが取れた気がした。
その時、コンコンとノックの音がした。
「は、はい!」
僕は慌てて背筋を伸ばし、扉の方を見た。
「魔王様、お目覚めですか?」
「はい! あ、どうぞ中に入って下さいッ!」
急いで扉まで向かい、僕はそれを開けた。
すると驚いたような顔をしているロビン(さん)がいた。
「……」
何故なのか、若干頬を朱くして、彼は視線を逸らした。そこで僕は漸く、自分がバスローブ姿だと気がついた。多分この格好が面白すぎて笑いを堪えているのだろう。なんだか恥ずかしくなりつつも、着替えがなかったので仕方ないと、僕は自分の思考を誤魔化した。
「……光栄です」
それから一礼して、ロビン(さん)が入ってきた。
ソファに促して、僕は、コップをもう一つ用意して、麦茶を差し出した。
完全にこの城の気温は、真夏だ。
いきなり冬から夏に変わったので、なんだか不思議な感覚だ。
「ええと、何か用ですか?」
「はい、お食事の用意が調っております」
「え、こんなに遅い時間なのにですか?」
「? 魔王様のご命令と有れば、何時いかなる時でも、私どもは従わせていただきます」
「はぁ……」
魔王って凄いんだなと僕は改めて思った。
ただ、空腹を感じていないことが何とも申し訳ない。いやしかし、目の前に美味しそうな食べ物があったら、きっと僕は食べると思う。
「ダイニングにご案内する前に、ご希望の肉類を伺いに参りました」
「有難うございます」
「人間、エルフ、魔獣のどれが宜しいですか?」
「――は?」
僕は思わず目を見開いた。エルフだの魔獣だのは、きっとファンタジックなモノだろうと思う。だが僕の僅かなファンタジー知識的に、エルフとは人間とそんなに変わらない、耳がとがった人々なのだろうと思う。そして何より、選択肢に、人間が入っている。
「魔族って、人間を食べるの?」
「娯楽ですので、食べる者はそれなりにいます」
「嘘……ロビンも食べるの?」
ロビンと呼べと言われているので、心の中での(さん付け)は、口にはしなかった。
「いいえ。私は食べません」
「良かった……え、だけど、鶏肉とか豚肉とか牛肉とか魚とかは食べないんですか?」
「それらは下層の魔族が食す物ですので、とても魔王様のお口には……」
「いや、あの、全然そっちを食べたいです」
「承知しました。何が宜しいですか?」
「……ええと、じゃあ、豚肉で」
僕がそう答えると、ロビン(さん)は、ブツブツと呪文らしき物を呟いた。
いいや、もう、心の中でもロビンと呼んでしまおう。
「手配いたしました。それではご案内いたします」

ダイニングまでは、三十分ほどかかった。どれだけこのお城は大きいんだろう。

「あの、ロビン?」
「なんでございましょう」
歩いている間ひたすら無言なのも気まずかったので、僕は、残りの疑問を聞いてみることにした。
「どうしてこのお城には、窓がないんですか?」
「勇者や魔王位を狙う不届き者から魔王様をお守りするため、地下に建設されているからです。この場所は、宰相閣下と、城の内部にいる者、他には少数の貴族しか知りません」
「――勇者?」
「ええ。前の魔王様も、勇者に倒され、お亡くなりになりました。嘆かわしいことです」
ロビンはそう言うと、溜息をついた。
「私は直接お会いしたことはないのですが」
それはまぁ、前の魔王が何時亡くなったのかは分からないが、4000年も前魔王歴が続いていたのだから、会ったことが無くて当然だろう。
「シモン様やワース様は、前魔王様の腹心の部下だったと聞いております」
「え?」
それって凄い長生き、を通り越して、ちょっとあり得ない年齢なのではないかと、僕は驚いた。
「あの二人は、おいくつなんですか?」
「詳細は分かりません。申し訳ありません。ただお二人とも2000歳以上です。前の魔王様が亡くなったのが、丁度2000年程前だと聞いておりますので」
「魔族って寿命無いんですか?」
「基本的には、ございません。自然より、唐突に産まれるのが魔族です。ただし怪我や病を患えば、死にます。またかなり緩やかではありますが、老化も致します」
「そ、そうなんですか。え、ロビンはいくつ?」
「五十歳程度です。まだまだ若輩者です」
どこからどう見ても二十代にしか見えないというのに……僕は呆気にとられるしかない。
まだまだ知らないことばかりだ。

そうしてダイニングへとはいると、そこには白いテーブルクロスが掛けられた、細長いテーブルがあった。映画などで見たことがあるような代物だ。燭台には火がともっている。「うわぁ……」
用意されていたのは、豚肉の丸焼き(かなり大きい)と、見たことのない葉っぱの集合(恐らくサラダのようなものなのだろう)と、紫色のスープだった。見ただけで食欲が失せた。しかし、もしかしたら美味しいのかも知れない。
僕は、案内された席に座り、ナプキンを膝の上に置いた(多分それがマナー何じゃないかなと思う)。ナイフやフォーク、スプーンなどは、日本で使っていたものと全く同じだった。箸もあるのだろうか?
それから僕は恐る恐るスープを飲んでみた。
そして吹き出した。
とんでもなく不味かった。ボディーソープを飲んだら、きっとこんな感じなのだと思う。
「お気に召しませんでしたか?」
ロビンが僕にタオルを差し出してくれる。
それで口元をぬぐいながら、僕は曖昧に笑った。
次に豚の丸焼きを小さく切り分けて、一口口に入れた。味がしなかった。しかしコレはまだ、食べられる。最後に葉っぱを食べると、雑草を噛んでいる感じで、コチラも味がしなかった。もう一度豚の丸焼きを口に含み、何とか舌を紛らわせる。
「すみません、折角用意していただいたんですが、残しても良いですか?」
「ええ、構いません。お口に合わなかったのでしたら、すぐにシェフを処刑いたしましょうか?」
「へ? いや、処刑とかやめて下さい!」
「――魔王様の御心の広さに、私は正直、感動いたしております」
僕の言葉に、首を傾げるようにして、ロビンがそう言った。
「え、僕は普通だと思うけど」
「前魔王様は、気にくわないことが有れば、即座に処刑していたと聞いております……あ、た、大変失礼いたしました。比較するようなことを申しまして……」
「いや、全然大丈夫です……ただ僕は、処刑とかはちょっと……それが魔王の仕事だとしても、多分出来ないです……それと人間とかも食べられないです」
魔王業とは案外大変なのではと、僕は憂鬱な気分になった。
「承知いたしました。全ては魔王様の御心のままに。魔王様のお言葉には、何でも従いますので」
しかしロビンがそう言ってくれたので、僕は安堵しながら、立ち上がった。
それにしても、飲み物は比較的美味しかったというのに、この食事、何とかならないものだろうか。
「……本当に従ってもらえるんですか?」
「勿論です」
「それじゃあ明日、買い物に付き合っていただいても……?」
僕は自称神様にお金も頼んだので、きっと買い物が出来ると思う。
「承知しました。ただ、何かご入り用のものがあるのでしたら、お申し付け頂ければコチラで用意いたしますが」
「外のことも何も知らないし、勉強がてら自分自身の手で買いたいんだ。駄目ですか?」
だってそうしなければ、僕が望む食材が買えないと思うのだ。
例えば肉を頼んで、食用の(?)人間などを買ってこられても困る。
僕は、明日になれば本気で空腹になるかも知れないから、なんとしても食物だけは、食べられる物を作らなければと決意していた。

これが、僕の手による改革(?)の始まりだった。