13:放り投げた正しさ
随分と懐かしい夢を見ていた気がする。
目を開けた時、僕は涙が伝っているのを自覚した。きっと欠伸のせいだという事にして、起き上がる。心がざわざわと音を立てて、騒がしくなっていく。ここのところは、静かな海のように落ち着いていて、何があっても動揺することなど無かったというのに。
息が苦しい。
きっと始めの頃の僕は、期待や希望みたいな名前のものに満ちあふれていたんだと思うんだ。それは多分、『魔王を倒す』という確固たる目標を持って旅をしている時の、勇者と変わらないんだと思う。僕はそれが打ち砕かれるところを見たくない。見たくないんだ。そう思うのは多分、どこかで僕自身が、光みたいなモノを無くしてしまったからだ。
――久しぶりに、目の前で心を打ち砕かれた人間を見た。
きっと僕は、彼の気持ちが分かる。
勿論、魔術で思考把握した訳じゃないから、勘違いや思いこみもあるだろう。
だけどやり場のない悲しみと同時に、満たされなくなった心、心に出来た罅、そう言ったモノに体を支配されていくんだ。それは最初は辛くて、そしてすぐに空っぽになって、何も考えられなくなる。だからオニキスの悲しみが、少しだけ僕の心に悲愴を注いだのだと思うけれど、すぐにまた、罅からこぼれて、そんな感情は消えるだろう。
僕は正直、勇者に同情している。
だから彼の心の罅を、何とか修復できたら良いなと思っている。
例えば僕が≪聖都:ローズマリー≫を襲撃しろと魔族に命じ、実行したら、今度こそ勇者は僕を恨むだろう。そして何のためらいもなく、僕を殺すのだと思う(多分僕はそれでも不老不死だから死ねないのだろうけれど)。だが、僕にはそれは出来ない。魔族のみんなが死ぬのも、人間が死ぬのも嫌だという、ちっぽけな偽善心があるからだ。たった一人を助けるために、大勢の命を犠牲にする、なんて言う決断は、僕には出来ない。なぜなら僕は、多分魔族のみんなにとって、そのたった一人であるからだ。みんな僕さえ助かればと言って、死んでいったのだ。笑ってしまう。勿論、一人も多数も、命の重さに代わりはないとは思う。ああ、だけど、なんて表現すればいいのだろう。僕にはもうよく分からない。
だからなのか、胸が締め付けられるようで苦しい。
そんなことを考えていた時、ノックの音がした。
「はい」
最近ロビンは、僕が起床すれば、ノックしてすぐに入ってくるから、誰だろうかと思案した。使用人ではないことは分かっていたから、勇者達の誰かだ。
「――少し良いか?」
入ってきたのは、勇者だった。
「どうかしたの?」
立ち上がり、僕はソファへとオニキスを促した。
「……ちょっとな」
「ふぅん」
僕はその正面に座りながら、アイスココアを出現させた。
勇者は疲れているだろうから、甘い物を飲んだら落ち着くのではないか、だなんて思ったのだ。正直ミントティと迷った。
「……」
何か話しがあるのだろうに、勇者は何も言わずに僕を見ている。
僕は何度か瞬きをしながら、その表情を伺った。
話したくないのであれば、無理に話す必要はないだろうし、こちらから話しかけることもないと思うのだ。ただ誰かの側にいたいだけと言う時もあるはずだ。
僕はそう考えて、静かにグラスを手に取った。その時だった。
「笑わないで聞いてくれるか?」
「――え? ああ、うん」
強い声だったものだから、驚いて僕は顔を上げた。
「俺は――……決めた。償いをすることに」
「償い?」
「ああ。恨むのは止めることにした。魔王、お前は何も恨む必要がないと言ったよな?」
「言ったけどさ――その、」
「償いも必要ないと言ったな」
「うん」
「だけど俺は償いたい。お前に対して、魔族に対して、そして――俺の家族や村のみんなに」
僕はてっきり、勇者は絶望しているのだろうと思っていた。
だけど僕の想像と違って、彼は随分とプラス思考の人間みたいだった。
「じゃあ、僕を殺すのは諦めるの?」
「魔王は殺す。だがアルト、お前は連れて行く」
「ええと?」
勇者の言葉の意味が分からなくて、僕は首を傾げた。
「勇者は魔王を倒した。めでたしめでたし。これはお前が描いていた理想像なんだろう?」
「うん、まぁ」
「そして魔族は皆、静まり、人間に害をなすことは無くなった。最早魔族は、人間社会に害をなす存在ではない。そう宣言する」
「……」
「大災害も凶作も飢餓も全て、魔王は関係なかった。すぐにそれが知れ渡るはずだ」
「それが……償いになるの?」
「償いの一部にはなると思う」
「僕はそうは思わないよ。自然災害が続けば、新たな魔王が出現したと考える人達が出てくるだろうし――あるいは元々、そう言ったモノに魔族が関係していないと分かっている人間もいるんじゃないのかな。そうじゃなければ、本当に魔王のせいだと信じているんなら、例え失敗しようとも、勇者を再召喚しようとするんじゃない? 言っちゃ悪いけど、召喚されていない偽の勇者って事でしょう、オニキスは。伝説の剣を抜けたって言うのは純粋に、勇者の才能があるんだろうとは思うけどさ」
すると、オニキスが頷いた。真剣な表情をしている。
「魔族の仕業ではなかったことを知っている人間をあぶり出すことも目的の一つだ」
「目的って、償いの目的?」
「そうだ」
「――もし、偽勇者の手で倒したから、本当は魔王を倒し切れていなくて、復活している可能性があるから、もう一度召喚しよう、なんて言う話しになって、別の勇者が来たらどうするの?」
「ロビンからこれまでの勇者の末路を聞いた」
「末路?」
「皆、元の世界には帰還できなかったと聞いている」
「出来なかったのか、しなかったのかは、不明だよ。大抵の場合、どこかの国のお姫様やら、パーティにいた女の子とかと結婚して、帰る決断をしなかったから」
「ロビンはそう言ったのか?」
「……ロビンが僕に、虚偽の報告をしていたって言う意味?」
「虚偽とまでは言わない。ただ、言い方の問題だろうな。お前の心が痛まないように伝えたんだろう」
「……へぇ」
なるほど、僕を倒した(事になっている)からといって、幸せだったとは限らない訳か。
だとすれば、僕が望むハッピーエンドなんて、何処にもなかったのかも知れない。
思わず僕は笑ってしまった。
「それで? じゃあ新しく召喚された勇者には、貴方はもう帰れないので、魔王を倒しても無駄です、ってでも言うの? それこそ僕なら魔王を恨んで、許さないけどな」
「召喚される前に、伝えるんだ。召喚される直前に、『帰還できないこと』と『魔王は悪くない』と言うことを、相手に伝える」
「どうやって?」
「お前の魔術なら、それが出来るだろう?」
考えても見なかったことだったから、腕を組んだ。
確かに、勇者召喚というのは、魔術であるとも言える。神官が使うものだって、属性が違うだけで魔術の別の側面といえる。だから確かにそれは、不可能ではないかも知れない。しかしこれまでに、他の世界や、世界と世界の狭間に、魔術で干渉してみようとしたことはない。だから、そんなことが出来るのかは――理論上は出来る、としか言えない。
「ちょっと、時間をもらえる?」
「ああ」
頷いた勇者を見てから、僕は目を伏せた。
そして、ここへ来る前にいた、前後左右何もかもが白い場所を想像し、移動の魔術を試みた。
「やぁ、久しぶりだね」
すると声がかかったので、目を見開いた。