15:旅立ち


「かしこまりました。アルト様のお留守は、このロビン、しかとお守りいたしております」

ロビンに相談すると、あっさりとそう言われた。
雰囲気からして、僕の命令だから聞いたと言うよりは、先に勇者側と相談していた気配である。その位は、長い付き合いだから、僕にも分かるようになっていた。
僕は大抵のモノは魔術で出現させることが出来るし、魔族独特の髪や目の色と言うよりは、元々が人間なので、服装さえ変えてしまえば、普通の人間にしか見えないから、服装だけ旅装束に変えれば良かった。どんな服が最近の人間らしいのか考えていると、魔術師のフランが、いくつか持っていた魔術師のローブを見せてくれた。良く似たものを創造魔術で作りだし、僕はそれを身につけた。他に必要そうな旅の装備は、いつの間にかロビンが全て用意してくれていた。半日も経たないうちに、後は旅立つだけ、と言った形になった。
その上、思い立ったが吉日だ、と言われて、早速旅に出かけることになった。
あんまりにもこれは早すぎるんじゃないのかと僕は思う。

「いってらっしゃいませ」

城の玄関で、頭を下げる使用人一同とその中央に立ったロビンにそう言われ、僕は苦笑するしかなかった。
それから僕の方を不安そうにチラチラと見ている神官のルイと、最早最初からパーティにいたかのように僕を扱う魔術師のフラン、そして黙々と先頭を歩く勇者オニキスという三人と共に、僕は城下街を進んだ。
最近じっくりと見ることはなかったが、随分と栄えていた。
「あ、魔王さ――アルト様! いってらっしゃい!」
「アルト様、お元気で!」
「アルト様、早く帰ってきて下さいね!」
「お土産は、新しい調味料で!」
「ええ、宝石が良いよ!」
方々からそんな声が聞こえてきて、店の前を通る度には、飲食物などを押し付けられた。
恐らく僕が倒されたフリをして人間の土地を旅してくると言うのは、ロビンの魔術で、全魔族に通達されているのだと思う。恐らく、人間街の人間にも通達が行っているはずだ。ただしこのての魔術は、勇者が来るから逃げろ、と言うようなものと同じで、僕と発信者と受信者、受信者同士、の間以外では、口外したり文字や絵に起こしたり出来ない仕様になっている。だから外部に漏れることはない。
「人望があるんだな」
勇者が首だけで振り返って僕を見た。
気恥ずかしくなったので、僕は顔を逸らしながら、フードを被った。
「あー、被ってた方が良いな。お前の顔、目立ちすぎるわ」
するとフランにそう言われた。
「? 魔族っぽいって事?」
「いやちょっと綺麗すぎるって事」
「確かにそれは僕も思います」
ルイにもそう言われ、僕はそう言えば、ここのところすっかり忘れていたが、美貌という特典を手に入れていたのだったと思い出した。結局この1200年一度もモテ期は来なかったのであるが。

それから暫く歩いて、その日は人間街の宿屋で一泊することになった。

ここは、人間の土地へと通じる森のすぐ側にある。
側と言っても、人間の土地から逃げてきた者も多いため、完全に不可視化の魔術がかかっている場所だ。また、自由に人間の土地へと行くにも都合が良い立地となっている。ただし全員が顔見知りのため、新顔の話はすぐに噂になる。だからスパイなどが来ても、一発で分かるという優れた場所だ。今のところ、内部から裏切り者が出たことは、初期の頃しかなく、その者達は、この街の中で処罰された。
「ようこそお越し下さいました」
宿屋にはいると、店主さんが深々と頭を下げて出迎えてくれた。
「精一杯おもてなしさせていただきますので、ごゆるりとお休み下さい」
その言葉に、僕は頷いた。
神官のルイが、チェックインを済ませ、僕たちはあてがわれた部屋へと向かった。
三人部屋と一人部屋で、僕が一人部屋(豪華)だったあたりが、何とも申し訳ない気分になってくる。しかしこんな夜もこれで最後だろう。現在の人間の文化や風習がどういうモノなのか僕は知らないが、≪ソドム≫にいる限り、僕は、『質素に』と事前に頼んでおかない限り、最高のもてなしを受けるのが常だった。そして受けない方が相手にストレスがたまるからと、以前に念押しされたことがある。その頃のことを思い出して、嗚呼懐かしいなと僕は思った。
夕食は、それからすぐのことで、二階の共同食堂で食べることになっていた。
流石にこちらの食事は、僕たち皆が、同じ物だった。
和食だった。
≪ソドム≫には、僕が普及させたので、お刺身や味噌汁などが、結構広まっていたりする。
「いただきます」
僕がそう言うと、三人もまた手を合わせてそう言った。
危ない、これは危ない、この土地を出たら、「いただきます」と言わないようにしなければ。そんなことを考えながら、箸を手に取る。
「うわ、え、これどうやって食べるの?」
ルイが困ったように箸を手にしながら、首を傾げた。
「そんなもん、適当で良いだろ。料理ってのは美味しく食べられればそれで良いんだ」
フランはそう言いながら――しかし吃驚するほど上手く箸を使って、刺身を取った。
「食べたことがあるの?」
僕が聞くとフランが、まさかという顔で笑った。
そしてオニキスへと視線を向ける。
オニキスもまたなんとか箸を持ちながら、こちらを見た。
「来る前に読んできた歴代勇者伝の勇者の好みにワショクというものがあって、それを食べる際にはハシを使うと書いてあったんだ」
そんなオニキスの言葉に、なるほどそれでフランとオニキスは箸の使い方を何となく知っていたのかと分かった。恐らく神官として生きてきたルイが知らないという方が、当然なのだろう。
同時に僕は、今日を最後に、暫く慣れ親しんだ≪ソドム≫の料理が食べられなくなるのだなと思った。僕は一応、此処に戻ってくる前に、本物の勇者に殺される予定でいるのだ。だから、今日はある意味、最後の晩餐だ。こんな事ならば、ロビンにもっと、お礼を言ってから来れば良かった。そうだ、僕が死んだ時にロビンへと届く手紙を、今夜書いておこう。そんなことを考えながら、僕はルイに、箸の使い方を教えた。

それから大浴場で、ゆっくりと体を温めてから、僕は部屋へと戻った。
これが≪ソドム≫最後の夜かと思うと、感慨深い。
僕はさらっと手紙を書き終えた後、それに魔術をかけてしまってから、ゆっくりと布団に横たわった。
思いの外疲れていたのか、すぐに微睡み始める。
そして――……≪ソドム≫における色々な出来事を回想している内に、いくつもの懐かしいことを思い出しながら、現と夢の境界線が次第に曖昧になっていった。

そうして僕はまた、懐かしい夢を見るのだ。