16:過去――魔王三日目



僕が魔王になってから、今日で三日目になった。
長閑な日差し――とは、とても言い難い、紫色の曇り空のもと、僕は目を覚ました(地下室に部屋はあるから、魔術で天気を確認した)。ここへ来てから二日間、もうずっとこの天気だ。時折稲光が走り、雹が降ってくる。
もしかしてこの天候が、≪ソドム≫のデフォルトの天候なのだろうか?
だとしたら、農耕どころではない。
――第一僕は、魔王のすべきことを、未だに何も知らない。
昨日は勝手に調味料を揃えてみたり、色々考えては見たものの、よく考えてみれば、わざわざ宰相をしてくれる魔族がいたりするのだから、何か僕にはやるべき事があるのではないだろうか(この際勇者に倒されるというのは怖いので忘れよう)。
顔を洗い身支度を調えてから、僕は部屋を出た。
「おはようございます、魔王様。どちらへ?」
するとすぐにロビンが現れたので、僕は吃驚した。
「よく僕が部屋を出たって分かったね」
「城でのことは何でも魔術で分かります。ご迷惑でしたか?」
「ううん。一人でたどり着けるか不安だったから、助かるよ。実は宰相のワースさんと話しがしたくて」
「承知いたしました。ご案内いたします」
ロビンはそう告げると、燭台を片手に歩き始めた。
気がつけば、まだ回廊の灯りは、薄暗い。
「ねぇロビン。この灯りは、やっぱり昼夜を表しているの?」
「はい。明々としていれば昼、消えている時は夜を表します」
「今は何時くらい?」
「午前五時、と言ったところでしょうか」
「え……ロビンって早起きなの?」
「私目は魔王様のお側に、いつでも控えております」
「ちゃんと寝てる?」
「魔族にとって睡眠とは、必ずしも必要なものではございません。一週間に一度ほど寝れば、十分です」
そうなのかと、僕は感動した。食欲は兎も角、僕にはばっちり睡眠欲は残っているらしく、確かに妙に早起きはしてしまったが、今夜も眠ると思う。
「宰相さんも起きているかな?」
「ワース様は、月に一度ほどしかお眠りにはなりませんので」
「……それは、そう言う体なの? それとも、忙しいの?」
僕の声に、ロビンが首を傾げながら振り返った。
「≪ソドム≫の地を安定させるべく、山のような仕事をこなしていらっしゃるのは事実です。けれどそれは、敬愛する陛下のためです。苦にはなりません」
その言葉に、やはりこれは、出来ることを手伝わなければならないと、僕は誓った。
宰相執務室は、僕が最初に現れた玉座の間のすぐ側にあった。
「これは、これは、陛下」
僕がノックをすると、すっと扉が開き、扉の前で足をつき、宰相のワースさんが頭を垂れていた。
「あ、あの、楽にして下さい」
「もったいないお言葉です」
顔を上げたワースさんは、それから立ち上がった。
「ささ、お座り下さい」
ソファに促されたので、僕は座りながら、頷いた。
「ワースさんもロビンも座って下さい」
僕の部屋ではないというのに、僕が言うのもなんだかおかしな気分だ。
「感激でございます。宜しければ、ワースとお呼び下さい陛下」
そう言えば昨日バルさんに、敬語を使うなと言われたことを思いだした。気を遣わせない気の使い方をした方が良いのかも知れない。よし、僕はこれから、敬語を使うのは極力控えよう。
「突然押しかけてゴメン。良かったら飲んで」
そう告げ、僕は三つのカップを出現させた。中には桃の香りがするフレーバーティが入っている。僕はこのお茶がそれなりに好きだ。
「もったいないことです」
ワースはそう言ったが、不審そうにカップの中身を見据えていた。
しかし隣でロビンがカップを傾けたのを見て、同様に飲む。
「! こ、これは一体……!」
「お口に合いませんでしたか……?」
不安になって聞いてみる。
「いえ、大変美味です。魔王様御自ら入れて下さった一品だけのことはある」
そこまで言われると、逆に照れくさくなってしまう。だから僕もカップを傾けて誤魔化した。それから、本題を切り出すことにした。
「あの、ワース」
「はい。私目に何か御用でしょうか?」
「ワースは今、≪ソドム≫の仕事を全部やってるの?」
「ええ。何せ、貴族連中は、自分本位で、自分が楽しめれば良いという者が圧倒的に多いので、下級の魔族の相手などは、一切致しませんので」
「具体的にワースは、どんなことをしているの?」
僕が聞くと、ワースが唸った。
「一つは、≪ソドム≫と人間の土地の境界に、結界を構築しております。現在では狂気に身を堕とし、人間を喰う者もおりますので。現在は兎も角、魔王様が不在の状況で、人間共から勇者を送り込まれるのは、大変な痛手なのです。その為、なるべくいざこざは減らしたいと考えています。無論、魔王様がお望みとあらば、いつでも食料とすべく捕らえて参りますが」
「結構です。僕は人間を食べたりしない。ええと、他には?」
「二つ目は、共食いの防止をしております。魔王様がいらして下さった以上、じきに落ち着くとは思うので、これはもうすぐ無くなる仕事です」
「……どうして共食いなんて?」
「魔族は、自然に漂う魔力のおかげで、食事や睡眠を取らなくても生きながらえられる体なのです。魔王様が世界の何処にもいないと、その魔力が霧散してしまい、大変少なくなるのです。貴族連中以上の高位の魔族は、自分自身で魔力をそれなりに蓄えておくことが出来るので、問題はございません。私やロビン、シモン、また城に使える者は皆、自我を保っております」
「それって、僕はただ此処にいればいいの?」
「ええ。此処に限らずこの世界にいて頂ければ、魔族は安定いたします」
「なるほど。他には?」
よく分からなかったが、僕は頷いておくことにして、質問を続けた。
「各地の魔族人数の把握と、街の所在地の確認、店舗の確認、道路の確認、災害箇所の確認などを行っております。私は主に書類で、確認することが多いのですが」
まさしく僕が聞きたかったのは、その辺りのことである。
「僕に手伝えることはないかな?」
「そんな、陛下のお手を煩わせるなどと……!」
「お手伝いしたいんです」
「陛下……! なんという心の優しさ……私目は、感動いたしました」
するとワースが泣き出した。なんだか、心苦しい。
「でしたら、バルバトス侯爵・ハレント侯爵・ユーテリー侯爵・ヒルナンド侯爵・アリステッド侯爵の各領地の視察と脱税の指摘及び領民への適切な魔力供給を早急に保証させて下さい。次いで、貴族により整理されていない、一般街52の視察を行い、必要な建造物及び、災害による破損箇所、被害人数をご調査願います。特に、先の集中豪雨で被害を受けた一般店舗の経営者と土木作業工事をする魔族の保護や、労働をする魔族の生活必需品の確保もお願いいたします。次いで、低俗な魔族が住む街へ行き、魔力を最大限供給し、衣食住を一時的に保証して下さい。特に食事は、低俗な魔術であれば、体力の回復効果に繋がります。その後、下層の魔族の住む街3つへ向かい、同様のことをお願いいたします。戻られましたら、結果を全て書類に纏め、私目にご提出下さい。私の確認が済みましたら、陛下ご自身の手で、判子を――」
一気に話したワースさんに、僕は開いた口が塞がらなかった。
やることが多すぎると思うのだが、気のせいだろうか?
絶対気のせいではない。
ただ……ワースさんは、宰相として、今までコレを一人でこなしてきたのだろう。
そう考えると、手伝わないという選択肢を選ぶことが、躊躇われた。
「分かりました」
こうして僕は、魔王業を頑張ることにしたのだった。