17:過去――魔王一週間目
僕が魔王になってから、一週間が経過した。何とか宰相のワースに頼まれた仕事が終わったのは、その日の午後のことだった。僕と言うよりも、テキパキとロビンが片付けていってくれたので、何とかなったようなものである。
それでも流石に疲れた。
僕は両腕を伸ばしてのびをしてから、ロビンを見る。
「少し外の空気が吸いたくなったよ」
「では外出の準備を致します」
ロビンはすぐにそう言うと、僕を魔王城の外へと連れ出してくれた。
暫く歩き、小高い丘の上に行く。
そこからは、≪ソドム≫の街が、良く見渡せた。
≪ソドム≫は、そんなに広い土地ではない。だからここから一望できるのだ。
今日の空の色も、紫色。なんだかだんだん慣れてはきたのだが、たまには青空が見たい。
「ねぇロビン」
「なんでございましょう」
「この空は本当に、いつも紫色や緑色で、稲妻が光ったり、雹や強い雨が降ってきたりするの?」
「ええ。元々この地は魔力が強く、天候が魔力に左右され、常に異常気象であるため、人間達が避けていた土地だったと聞いております。その為、前々魔王様が、この土地に≪ソドム≫を築いたのだと学んでおります」
だとすると、僕が最初に考えていた農耕の、第一の問題が天候だという事になる。
今回視察をしていて思ったのだが、やはりみんなに足りないのは、やりがいだったり目標だったり、後は現実的な生活の支援だったりすると思ったのだ。
それにしても、農耕をせずとも、こんな天気じゃ、そりゃぁみんな不安定になると思うのだ。それとも魔族は、この天気が好きなのだろうか?
「ロビンはさ、青空は嫌い?」
「青空、ですか……?」
「うん。夕焼けとか、星空とか、日の出とかも含めて。そう言えば此処って、太陽とか月とか星とかってあるの?」
「大変申し訳ございませんが、私は生まれてこの方、≪ソドム≫より外へと出たことがないのです。その為、魔王様が仰ることを、勉強不足故に理解できません。どうぞ処罰を」
「処罰ってそんな、そんな事しないよ!」
「寛大なお心に感謝してもしつくせません」
ロビンが深々と頭を下げた。
「ええとじゃあさ、昼と夜はある?」
「それはございます。昼は今のように空が紫色や緑色であり、夜は暗くなります」
その言葉に、太陽や月はありそうだなと僕は思案した。
僕は、静かに目を伏せた。
もう二度と青空を見ることは出来ないのだろうか。脳裏には、今でも晴天の心地の良い日差しが浮かんでくる。
「ま、魔王様!! 空が!!」
「――え?」
僕は初めて聞くロビンの動揺した声に、咄嗟に目を開いた。
すると青空が頭上に広がっていて、太陽が見えた。
もしかしてこれは……僕が脳裏で考えたから、魔術が発動したのだろうか?
魔術って凄い。天候まで操作できるのか。だが、これは放って置いたらまずい気がした。
「……ロビン。全魔族に通達とかって出来る?」
「ええ」
まだ空を見上げたまま、ロビンはポカンとしている。
「これは異常気象じゃなくて、『晴れ』という天気で、空で光っているのは『太陽』だって、通達してもらえないかな?」
「承知いたしました……!」
ロビンはそう言うと目を伏せて、ブツブツと何事か呪文を呟いた。
それが終わると、改めて僕を見た。
彼の瞳が潤んでいた。いきなり眩しい光を見たせいだろうか?
「これが……青空ですか?」
「うん」
「綺麗ですね……嗚呼、このような空を見ることが出来るなど、私にはもう悔いは何もございません」
「そんな、大げさな」
僕は笑ったのだけれど、ロビンは本当に泣き出してしまった。どうしたらいいのか分からず、僕は慌てた。
「あ、あのね、夜になると今度は、月や星が見えるはずなんだ。だから、楽しみにしていて」
「有難うございます、魔王様」
ひとしきり泣いたロビンが、涙をおさめたのと同時に、僕らは城へと戻った。
すると城の入り口の所で、大勢の使用人と、ワース、シモンが、やはり泣いていた。
――僕にとっては、青空なんて、当たり前のものだったのだ、少し前までは。
しかし泣いているみんなを見ていたら、嗚呼本当に違う世界へとやってきたのだなと、僕は漸く実感が持てた気がした。それまでは、どこかで浮かれていた部分もあったのだと思う。正直、面白がってすらいたのかも知れない。
だけど。
僕は、この人達のために、何かをしたいと、多分この時から本気で決意したのだと思う。
それから僕は、晴れの他に、快晴、曇り、雨などを設定した。まずは、この土地は夏らしいから、その気候にあった空模様を考えたのだ。遠雷や通り雨なども考えたが、まずは基本から整えていこうと思う。第一、夏がどれくらいの間続くかも分からないから――と、考えて、僕は最初に来た時のことを思い出した。確かシモンさんは言っていた。
――この土地は、常に同じ気候だと。
つまり、夏しかないと言うことか。
いや、夏と言うよりも、砂漠なのに豪雨や霙が毎日のように降るような形だったのではないかと推測した。何せ、雑草一つ見あたらない。遠くに森が見えるが、明らかにあちらとは、気候が違うように思えた。また川らしきものもあったが、水は流れていなかった。
夏というより此処は、異常気象の世界だったのではないだろうか。
僕の知識によると、暑い場所にはサボテンやハイビスカスや椰子の木がある気がする。
それもない。
本当に草花も見かけない。
晴れがなかったから、光合成が出来なかったのだろうか?
しかしそれならそれで、この土地特有の植物があっても良さそうなものなのに。
僕には、まだまだ分からないことばかりだ。
「ねぇ、ロビン」
「はい」
「この土地には、草とか花とか木とかは無いの?」
「私目は見たことがございません。枯れかけた木はごくたまに貧民街でみかけますが」
「どうして無いのかな? 魔力の影響とか?」
「前々魔王様の頃には、ハナと呼ばれるものがあったと、歴史書に記載されておりました」
「じゃあその魔王様がいなくなっちゃったから、枯れたのかな」
「その様に考えられます」
「――僕がまた魔術を使ったら、花が咲くかな?」
「私目は、ハナがどういうモノか知りませんので、何とも申し上げられません」
その言葉に頷いてから、僕はロビンと共に外へと出た。
天気を作ってから、六日目のことだった。
また丘まで歩いてから、街を見おろす。
土で出来た丘が、まず緑に覆われるところを想像した。
すると上手くいったので、続いて白い花など、名前は知らないけれど、嘗ての日本で見た覚えのある沢山のものを想像していった。それらが、丘から、道路は別として、≪ソドム≫の泥や歪で茶色い大地に広がっていくところを想像した。
「魔王様! これは……!」
ロビンが声を上げた。
「どうかな、これ。あんまり、好みじゃない?」
「いえ、大変美しいと思います」
「本当?」
心地の良い風が、吹き抜けていく。この風も、僕が生みだしたものだ。
こうして≪ソドム≫の土地は、少しずつ少しずつ、変わっていった。
ただ全て僕の理想通りにしているだけだったから、この変化が本当に望ましいのか不安でもあった。きっとロビンが側で一々感動してくれなかったら、諦めていたと思う。
ロビンは大抵僕のことを褒めてくれるから、あんまりあてにならないかとも思ったのだが、最近では時折、注意もしてくれるようになったのだ。だから僕は信じてみようと思ったのだ。何を信じるかって、僕の理想の世界をだ。我ながら自分勝手だけど、それで少しでも多くの人が幸せになれるんなら、良いんじゃないのかなんて考えていたのである。