18:過去――魔王一年目
僕が魔王になってから、1年が経った。
僕は三ヶ月ほど悩んだ末、半年前に、季節を作ることを決意したのである。
最初は夏らしい暑い気候を利用して、サトウキビやらコーヒーやらを作ってみようかとも考えていたのだが、人間の土地に出たことのあるというワースやシモンに聞いたところ、大陸の他の土地には、暑さと寒さが交互に巡ってくると知ったのだ(恐らく季節だと思う)。だとすれば、それに合わせた方が、何かと苗を譲り受けるなど今後する場合があるかもしれないので、良いんじゃないかと思ったのだ。
――しかし。
「え、どうして?」
僕は、桜の木を見上げながら、思わず眉を顰めた。
夏は良い。最初から夏だった。
その次には、無事に秋が巡ってきて、木々は紅葉で色づいた。
だが……来るはずの冬が無く、桜が咲き、フキノトウが顔を出し、ツクシが伸びている現在である。冬がなければ、それらは咲かないはずだし、僕はちゃんと四季を想像した。なのにどうして、冬だけ抜けてしまったのだろう?
雪が降るところを念じてみたが、何も起こらなかった。
もしかするとこの世界には、冬はないのだろうか?
ただ、冬が無くとも、問題なく植物は育っている。確かに、そこに問題がないのは、非常に助かる。だけど、冬がないというのが衝撃的すぎて、僕は動揺を隠せなかった。
ある意味で、初めての、魔術の失敗だったからなのかも知れない。
「どうかなさったのですか、魔王様」
桜を見上げていると、ロビンが隣に立った。
「可憐な花ですね」
「うん……僕は、この花が好きなんだ」
「そうなのですか。何という花ですか?」
「桜だよ」
「サクラですか――……何か、悲しい思い出でもおありなのですか?」
ロビンの言葉に驚いて、僕は隣を見た。
「どうして?」
「いえ、差し出がましいことを申しました。ただ、魔王様のお顔が悲しそうに見えたため……」
確かに僕は、冬が来なかったことに思いの外動揺しているのかも知れない。
けれどロビンの言葉に、自分が死んだ時のことを思い出していた。
まだ桜のつぼみが見て取れ、雪が残っていた、そんな季節だった。
最も僕が事故にあった場所には、どちらもなかったけれど。学校付近は少なくともそうだった。もうすぐ春が来るはずだった、冬の頃合い。あれからもう、丁度一年経つんだなと僕は思った。
「悲しいわけじゃないんだ、ロビン。有難う」
「いえ」
ロビンはそう言うと、手を伸ばして、薄紅色の花びらを一つ手に取った。
それが雪みたいに見えた。
無性に冬が恋しかった。
あの白い世界が。
それから二人で城へと戻ると、僕はダイニングへと促された。
中へと入ると、魔術の花火が至るところで上がった。
何事だろうかと目を瞬かせると、満面の笑みでシモンが笑った。
「魔王様、一歳のお誕生日、誠におめでとうございます」
「あ……」
そうか、一年が経ったと言うことは、僕はこの世界において、一歳になったと言うことだ。
しかしまさか祝ってもらえるなんて思わなかったから、周囲を見渡す。
まずは背後で、穏やかにロビンが笑っていた。
果実酒の前では、多忙だろうにワースが立っていて、優しい顔でこちらを見ている。
「魔王様、自信作なんだ!」
ばーんと料理に向かって手を指し示したのは、リクスだった。彼の後ろであきれ顔のシェフ長と、キラキラした瞳をしているサリア少年が見える。
大勢の使用人達がいて、皆新たな花火を上げていた。
「有難う」
思わずそう呟くと、リクスが料理を切り分けてくれた。
僕はなんだか凄く幸せだなと思った。
個人的には十九歳になった気分だったのだけれど、成長も止まっているようだし、実際にこの世界に転生してからは、一歳だ。まだまだ未熟者で、出来ることと出来ないことの区別すらついていないのではないかと思う。
そんな僕についてきてくれるみんなのことが、本当に大切に思えた。
「本当に、有難うね」
気づけば僕は、泣いていた。
一生懸命何かしなければ、何かしたい、と思って張り詰めていたモノが、プツンと途切れたような気分だった。僕は、一人じゃない。みんなが側にいてくれる。僕は、僕に出来ることを、精一杯頑張ろうと、再決意した。
「魔王様、ほら泣いてないで! 折角の料理が冷めちまう」
リクスにそう言われ、僕は皿を受け取った。
城の料理の味は、一年前とは大分違う。
多分僕の好みに合わせてくれているのだと思う。反面、リクスが和食にこり出したというのも、意外な変化だった。サリアはパン作りにはまっていて、果物から酵母を作っている。シェフ長は、フレンチがお気に入りらしい。僕が魔術でレシピ本を出現させて、この土地の言葉に翻訳したのだ。
まだまだ≪ソドム≫の識字率は低い。
けれど城にいる人は、皆、文字が読めた。
今年の課題は、水路の整備と学校の設置かな、なんて思う。
今は氾濫しやすい川には、テトラポット(のような僕の想像物)を置いて、更に防波堤を築いてあるだけなのだ。だけど、それらを作るという仕事で募集をしたら、城下街にいる魔族達は、生き生きと働いてくれた。この春からは、本格的な農耕と、出来れば酪農も始めたいと考えている。やりたいことは盛りだくさんだ。何処まで出来るかは分からないけど、僕には時間だけはたっぷりある。その点魔族や魔神というのは、便利だななんて考えた。
料理の味を楽しみ、祝ってくれたみんなそれぞれと言葉を交わす。
本当に嬉しかった。
それから僕は、私室へと戻った。
ゆっくりと寝台に横たわり、僕は枕に頭を預けて、シーツを掛けた。
この一年――多分、色々なことがあったのだけれど、色々なことが有りすぎて、一つ一つが濃密で新鮮で、きっと僕は楽しかったのだと思う。
僕は、みんなの役に立てただろうか?
みんなに、良くしてくれたみんなに報いることが出来たのだろうか?
僕はまだまだ力のない魔王だけれど、それでもこの≪ソドム≫の地を良くしたいと願っている。それだけは、間違いなく本当だ。本心だった。
――嗚呼だけど、どうして白い冬は来なかったのだろう?
それ以後も、何年経とうとも、≪ソドム≫に雪が降ることはなかった。