22:過去――魔王三年目


魔王になってから、三年が経過した。
現実世界(だった日本の日々)をカウントするならば、僕は漸く成人を迎えたところだと思う。ただし、ここでは三歳だ。
この三年間、ただの一度も冬は来なかった。
だけど、低俗と呼ばれる魔族や、下層に位置するという魔族達の街は、少しくらいは良くなったと思う。元々彼等は、豚肉や鶏肉、牛肉を日常的に食べていたらしかったから、酪農の仕事に親和性があったらしく、今ではこの魔界の主要な肉類を生産してくれる貴重な魔族達になった。
最初に来たときから美味しいと感じていた果物は、どうやら、人間の土地との境界にはえていたらしい。現在では、そこには、人間の街が出来ている。僕が、魔族以外も受け入れたいと言ったからだ。最初こそ、食べられるのでは、と恐怖していた人間達も、今では仲間になってくれた。
――思いの外、魔族の土地に逃げてくる人間は、多い。
死に場所を求めてやってくる人が大半だけれど、大抵は、≪人間街≫と僕らが呼んでいる場所で落ち着いている。
難しかったのは、農耕だった。
なにせ、出せと言われれば魔術で肥料などは出せたのだけれど、この土地で今後も農耕をするのであれば、土地の中で上手く土壌作りから始めるべきだと僕は思ったのである。
近場には海があるから、塩や、味噌、醤油などは、次第に作る事が出来るようになってきた。
それらを城や、侯爵を始めとした魔族が買い取る事で、本当に少しずつだけれど、商業などが漸く発展してきたのが、そんな兆しが見え始めたのが、三年目となった現在だった。
それこそ寿命や、肌や髪の色の違いこそ在るが、僕の中では、人間も魔族も代わりはない。
この土地には、まだまだ未来がある。
だから、そう思うからこそ、僕は出来る事をしたいのだ。
たった十数年プラスこの世界の年齢(三歳)しか生きていない僕だけれど。
幸せ、みたいな名前をした何かを、構築できるのではないかだなんて僕は考えていた。
たったの三年でも、これだけ変える事が出来たのだから。
僕はこの時、多分希望に満ちあふれていたのだと思う。

「魔王様、この味、どうですか?」

ぼんやりと考え事をしていると、次の料理長になるはずのリクスがそんな事を言いながら、試食用のかまぼこを持ってきた。
「美味しい」
いつか”おせち料理”を任せたいと思いながら、僕は笑った。
「ワショクって奥が深いな」
リクスは、この城で、唯一と言っていいくらい、僕に敬語を使わない。
「そうだね」
元々、和食――というか、家庭料理で育ってきた僕は、曖昧に笑った。
行った事なんて、元々いた世界でもないに等しいけれど、最近のリクスが作る料理は、高級な料亭で出てきそうなものが多い。
僕は、彼のために、箸を作った。
今では、貧民街に、箸専門店も出来ている。
「――魔王様」
その時、不意に、リクスが真面目な顔をした。
「なに?」
「もしかして魔王様って……ワショクがある世界から来たのか?」
僕は思わず息を飲んで、リクスをまじまじと見た。
「その、召喚されてくるのは勇者だって知ってるけど……魔王様だって、召喚されたっておかしくないだろ?」
率直に言われたのが初めてだったせいか、僕の鼓動は嫌と言うほど早鐘を打った。
「正確には、召喚された訳じゃないんだけど」
「――けど、元々は、人間だったりするのか?」
「どうして?」
「味付けが、メニューが、人間っぽい」
「この大陸の人間は、こういうものを食べているの?」
「そう言う訳じゃないけどさ。人間もエルフも食べないし――知性在るものを、食べたがらないように見えるんだよ。それってさ、基本的に、下層か低俗な魔族は別として、人間の特徴だから」
リクスがうつむきがちに言った。
僕は、YESと答えるべきなのか、純粋に迷った。
自分たちの主が、実は別の世界において人間だったと知ったら、彼等はショックを受けるかも知れない。
「俺はさ、魔王様に、アルト様に、今では着いていきたいと思ってる。だから、どっちでも良いんだけどな」
「リクス……」
「ただ、俺は魔族だから。それに、それ以上に料理人だから。美味しいと思うものを尊重する。でもそれは、魔王様にとっては、”嫌なもの”かもしれない。例えば、魔獣の血とか」
「気にかけてくれて、有難う」
僕は、思わず苦笑してしまった。
最初は反発されていたはずなのに、今ではリクスが一番、僕の食べ物に気を遣ってくれるのだ。例えば、僕の一番の部下がロビンで、僕にとっていなければならない存在が、シモンとワースで、と考えたとき、リクスは、僕にとって一番、心が許せる、そう僕から見たら”友達”なのかもしれない。
「だけどね、僕はリクスが作ってくれる料理が好きだよ。それだけで十分だよ」
「……嬉しいけどな。だけど、それでもやっぱり俺は、アルト様に喜んで貰いたいんだよ」
「十分喜んでるよ」
「今以上に、だ」
「だったら――リクスが美味しいと思うものを食べさせてよ」
「俺は、俺が作る料理を全部最高傑作だと思ってる」
「じゃあ、それでいいじゃん」
そんなやりとりをしてから、僕はリクスを見送った。

――ただ、こんな幸せが、どうしようもなく、僕は怖かった。

誰かがいつか言っていた気がする。
人生は良い事と悪い事があって、平均すると0になるのだと。
だったら、今幸せな僕は、これから不幸に見舞われるのだろうか?
だけど、不幸って何だろう?
現実世界で既に死んでいる僕にとっての、不幸。
それを上手く想像できないまま、僕は私室へと戻った。

「遅かったな」

するとそこには、バルバトス侯爵がいた。
僕の応接室(?)のソファに腰掛けて、バルは足を組んでいる。
「どうしたの?」
彼が自分からやってくるのは、大変珍しい事で、それでいて、何か重要な用件があるときだと、僕はこの三年間で学んだんだと思う。
「良い報せと悪い報せがある。どちらから、聞きたい?」
「悪い報せかな」
僕は暗い気分で終わるよりは、明るい気分で日々を終わりたいのだ。
「≪聖都:ローズマリー≫が、魔王討伐のために、勇者を召喚したらしい」
その言葉に、思わず息を飲む。
「それって……つまり、僕が倒されるって事?」
「そんな事、死んでも俺がさせねぇよ」
クスクスとバルが笑う。
「所詮、高々人間だ。魔族には勝てない。だから、心配するな」
バルの言葉に、僕は目を細めた。
「油断しちゃ駄目だよ」
「分かってる」
「それに、魔王が勇者に倒されるのは、セオリーだ」
「セオリー?」
僕の言葉に、バルが首を傾げた。
「論理なんて俺が破ってやる。お前はただ、生きる事だけ考えろよ、アルト様」
「有難う。だけど、正直勇者は怖いし、死にたくないけど……僕は、みんなにも死んで欲しくないんだ」
「じゃあ良い報せな。今回の勇者は、対魔王の力しか持ってないらしい。つまりお前が隠れ通せば、倒される事はあり得ない。隠れずとも、俺達が倒せば、助かる」
「だけどそれって、誰かが犠牲になるって事でしょ? それなら、俺は、正面に出て行くよ」
「TOPが出て行ってどうするんだよ。信頼して、俺達に任せてくれ」
バルのその言葉に、僕は眉を顰めた。
「信頼してるよ、だけど――」
「お前にはロビンがいる。ロビンは何があっても側にいる。ソレで十分。そうは思えないか?」
「それは嬉しいけど、僕はバルがいなくなるのだって嫌だ」
「俺がそう簡単に死ぬわけがないだろ。ただな、魔王様にそんな風に言ってもらえるだけで、俺は、魔族は、みんな幸せだ」