23:過去――初めての勇者
勇者が、≪ソドム≫の土地へと入ったという知らせを聞いたのは、市民が2500人弱亡くなったときいたのと、ほぼ同じ時の事だった。
僕はポカンとして、その知らせを聞いていた。
それから魔術で、各地の様子を見た。
どこも焼けの原と化していた。
今回(?)の勇者は、火の魔術を宿した剣を操っているらしい。
酪農に従事していた魔族も、農耕に従事していた魔族も、その大半が亡くなった。
――魔王である、僕を守るために。
勇者に殺される――それは、不老不死を約束されている僕にとっても、恐怖に他ならなかった。
勇者は、黒い髪に、黒い瞳をしているのだという。
僕と一緒だ。
その上、密偵を放っていたか各街の様子から聞く限り、恐らくは日本から召喚された者だと考えられた。アジア人――恐らく、日本人だ。
僕がそう思ったのは、ただの直感ではない。
勇者が広めていく食文化を、僕が知っていたからだ。
――勇者は魔王を倒す存在だ。
僕は両腕で体を抱いて、玉座に座っていた。
震えが体を這い上がってくる。
嗚呼、僕は”また”死ぬのか。
胃が反り返り、吐き気がした。少しでも気を抜けば、吐瀉物が床を汚すだろう。
「魔王様、ご気分が悪いのですか?」
ロビンの言葉に、僕は顔を上げた。多分、真っ青な顔色だろうと、自分でも分かる。
「ねぇロビン……魔王ってさ、どうやって倒されるのかな?」
僕は笑いながら聞いた。
けれど指先の震えを止める事は出来なかった。
「倒させねぇよ」
その時、登城していたバルがそう言った。
「勇者なんて、所詮ただの人間だ。何にも気にするな」
力強い声だった。
だけど僕は、多分知っていた。バルは、過去に守る事が出来なかった、たった一人の主の代わりに、僕を守ろうとしてくれているのだろう事を。
そして、僕はバルに死んで欲しくない。
そして、僕は、死にたくない。
そして、僕は、何をして良いのか分からない。
玉座に座りながら、腕を組む。
――勇者から見たら、きっと僕は悪役だ。
どんなにこの土地を豊かにしようと奮闘してみたところで、それは変わらない。
変わらないのだ。
「ねぇ、そもそも勇者って何なの?」
僕が尋ねると、シモンとワースが顔を見合わせた。
「勇者とは、歯車です」
シモンの答えに、ワースが頷く。
「自然の摂理――それこそ、災害のようなものです」
二人の回答に、やはり僕は倒されるべき存在なのだろうと思った。
「どうして、勇者は魔王を倒すの?」
根本的な疑問を問うと、バルが喉で笑った。
「人間って言うのは、自分たちの悪意を魔族に投影してるんだ」
気持ち悪いなと僕は思った。
「だって、少なくとも僕が来てみて知っている限り、魔族は何も悪い事はしていないよ」
「存在が、害悪。そう思われているのです」
シモンのそんな言葉に、僕は思わず目を細めた。
「僕らからしたら、悪は勇者じゃないか」
「この世界には、必要悪があるのです。だからこそ、いかに被害を最小限に止めるか、我々は考えなければなりません」
宰相であるワースの声に、僕は、やりきれない気がした。
「そんなのおかしいよ。魔族だろうが人間だろうが、悪は悪だし、正義は正義なのに」
「――魔王様は、死ぬのが恐ろしいですか?」
その時ロビンが言った。
だから僕は率直に頷いた。
「怖いよ」
「ですが此処にいる皆は、魔王様のためにであれば、死ねるのです」
ロビンの言葉に僕は目を瞠った。
「嘘――だよね?」
掠れた僕の声に、だけど誰も応えてくれはしなかった。
玉座の間の扉が開かれたのは、丁度その時の事だった。
「此処まで来るのは、長かったぜ! 魔王! 人間を苦しめた責任、絶対とって貰うからな」
入ってきたのは、勇者パーティだった。
僕はただ、目を見開くしかない。
椅子に座ったまま、僕は、剣を抜いた勇者が斬りかかってくる様を眺めていた。
すると、正面にいたシモンがたち、剣から庇ってくれた。
僕の顔まで、血が跳んでくる。
「死ね」
勇者の言葉に、動けないまま、僕はシモンの体を受け止めた。
シモンの体は徐々に砂へと代わり、宙に溶けるように舞い始める。
「死ぬのはお前だ」
バルがそう言うと、手を振りかぶった。
僕は反射的に声を上げる。
「待って、そんなの駄目だよ! 殺さないで」
するとバルの手が、勇者の首から逸れた。肩口だけを切り裂く。
「優しいフリをするのか? お前のせいでどれだけの人が亡くなったのか、知らないのか!?」
勇者はそう言うと、僕の喉へと、剣を突きつけた。
左右から、バルとロビンが駆け寄ろうとする。
消えゆくシモンの事は、リクスが支えていた。
「お前が、お前さえ居なければ――……!」
勇者はそう言うと、僕の心臓を剣で貫いた。
「魔王様!!」
ロビンの叫び声が聞こえた。
僕は傷口に熱を感じながらも、ただぼんやりとしていた。
僕は、人に何かをした事など無いのに。なのに、どうしてこんなに恨まれているんだろう?
次に僕が目を覚ましたとき、僕は寝台に横たわっていた。
「お目覚めですか?」
どうやらずっと隣の椅子に座っていたらしいロビンに声をかけられた。
「――僕は、不老不死だからね」
「心配いたしました」
「有難うね」
「シモン様の弔いに出て参ります。何かございましたら、早急にお呼び下さい」
「まって。僕にも行かせて」
僕は、重い体を叱咤して、起き上がった。
「ですがまだご静養された方が……」
「だって、僕を庇ってくれたんだよ」
こうして僕は、玉座の間へと戻った。
そこには青緑色の砂がら、宙に浮いていた。
「魔族は、死ぬと砂になるのです」
ロビンの解説に頷きながら、僕はその砂を手で集めた。
「瓶とか、在る?」
僕が尋ねると、すぐにロビンが、コルクで蓋のされた小瓶を持ってきてくれた。
その中に砂をいれてから、僕は振り返った。
「お墓って何処にあるの?」
「ハカですか?」
ロビンは、訳が分からないといった顔で、首を傾げた。
だから僕は、小瓶を大切に抱えてから、外に出る事を決意した。
「この前連れて行ってくれた丘に、また連れて行って」
そしてその丘に、最初の墓標が出来た。
瓶をおさめた石の扉のすぐ側に、木製の十字架を立てる。
「これはなんですか?」
「お墓だよ」
「ハカ?」
「生き残った人達が、故人を偲んだり、自分自身に決着をつける場かな」
そんなやりとりをしてから、僕ら戻ったのだった。