25:無意味な時間
それから僕たちは、様々な街を通り過ぎていった。
何処へ行っても響いてくる悲鳴、魔王への恨み言。
僕は次第に、それらを聞いても、何も思わなくなっていった。ただ、人間の土地が、思いの外、悲惨な事態に襲われているのだという事だけは、理解した。どの街へ行っても、何らかの問題がある。しかし――対処している様子はない。
なんて、無意味な時間を、皆は過ごしているんだろう。
問題を外界に押し付けて、ただ嘆いている人間達を眺めれば眺めるほど、心が乾涸らびていくようだった。
「大丈夫か?」
木に背を預けて、餓死し、骨と皮だけになっている遺体を見据えていると、オニキスに肩を叩かれた。確かにこの惨状の中を旅してきたのであれば、笑っているなんて無理なのかも知れない。その上、解決策であったはずの魔王は、何の関係もなかったのだから。
やはり僕を倒して、めでたしめでたしで終われば良かったのに。
あるいは――僕を倒すなんて言う無駄な時間と出費を控えて、彼等に少しでも食料を渡せば良かったのに。勿論分かっている、この街だけを救ってもどうしようもない事くらい。
脳裏を、様々な雑音が駆けめぐっては、消えていく。
「顔色が悪い」
オニキスはそう言うと、僕の肩に手を置いた。
「魔族は死ぬと砂になるんだもんな。そりゃ、生々しい遺体を見たら、気分も悪くなるだろ」
フランが杖で肩を叩きながら呟いた。
ルイは十字を切っている。
――ああ、彼等は人の死に慣れているんだな。
慣れっこ無いはずだと僕は思っていたけれど、現実は違うのかも知れない。
あくまでも、僕が知る現実とは、と言う意味だけど。
結局の所僕は、綺麗事ばかりを考えて、何も出来ないのだ。
「早く抜けて、次の街へ行こう」
「そうだな」
オニキスの言葉に、フランが頷く。
僕は隣に立ったルイと共に、二人の一歩後ろを歩いた。
次の街へと行くと、先ほどまでとはうって変わって、人々の明るい声で溢れていた。
「勇者様、お帰りなさい!」
「よくぞご無事で!」
「魔王討伐おめでとうございます!」
「本当に、よくぞ果たしてくれました!」
「これでこの街も安泰です!」
そんな声と花吹雪が、方々から飛んできた。
僕はローブを深く被り直しながら、そうした言葉を聞いていた。
街の長の館へと案内された僕らは、豪奢な応接間へと通された。
甘い香りのするクッキーが並んでいて、温かい紅茶が注がれていく。
先ほどの街とは、なんて言う違いなんだろう。
「今夜はこちらへご滞在下さい」
それから僕たちは、四人部屋へと案内された。
大きなベッドが四つある。
行きは三人だったはずなのに、僕が増えている事は、特別気にされなかった。
「この街は、比較的落ち着いているからな。名産品の石鹸もあるし」
フランの言葉に、フードを取りながら、僕は首を傾げた。
「街ごとに、全く違うの?」
するとルイが困ったように笑う。
「みんな、自分たちの暮らしを守る事だけで、精一杯なんです。≪聖都≫からの物資だけでは、助けきれないのが実情です」
≪ソドム≫にだって、今でも階級制は残っているし、裕福な場所と貧しい場所はある。だが、最低限の保証制度は、形作ってきたと思う。それが、魔王である僕の使命だと思っていた。人の土地にだって、様々な国がある。きっと、そこでは様々な制度を形作ろうとしている人がいると思う。なのに、どうして行き渡らないのだろう。
そんな誰かの思いは、置き去りにされたまま、誰にも届かないまま、終わってしまうのだろうか。
「アルト。少し外を歩かないか?」
オニキスの言葉で、僕は我に返った。
「行ってこいよ、顔色も大分良くなったし」
「それが良いと僕も思います」
みんなに促されたので、僕は立ち上がった。
確かに今の僕は、人の土地の悪いところばかりを見ている気がする。
本当はそれだけじゃないはずなのだ。
オニキスと共に向かった先は、商店街だった。
≪ソドム≫とも大分様相が違っていて、僕の見た事のないものが沢山あった。
嫌、日本にいた頃は、見た事があるものが沢山あった。
林檎飴に、チョコバナナ、綿飴。
まるでお祭りだ。
風船で動物を作っている道化師がいた。
人々は明るく、いたる店舗の軒先には、無数の綺麗な花が飾られている。
きっとこうしてみて歩く時間も――無意味な時間だ。
だけど僕は、それが楽しかった。楽しかったのだ。
「――やっと笑ったな」
「え?」
僕はそれなりに、この旅を始めてから、笑ってきたつもりだった。それは城にいる時から変わらない。笑っていようと決めたのは、僕自身なのだから、間違いない。
「いつも、悲しそうに笑っていたからな、お前」
「……そうかな?」
「ああ。そうだ」
「それも直感?」
「いいや。ずっと見ていたから分かる」
僕は何度か瞬きをしてから、じっとオニキスを見据えた。
すると勇者は苦笑するような顔をしてから、財布を取り出した。
「何か買ってやるよ。何が良い?」
「別に良いよ」
「俺が買いたいんだ」
「――じゃあ、コレ」
僕はクレープによく似た代物を指さした。
オニキスが注文してくれて、僕は出来上がるのをただ眺めていた。
それにしてもこれ程日本のお祭り文化が浸透していると言う事は、その昔にでも、日本から召喚された勇者が立ち寄ったのだろう。
すぐに出来上がったクレープを食べながら、僕はオニキスの横に立って再び歩き始めた。
「美味しいか?」
「うん」
「甘い物が好きなのか?」
「別に」
「……好きな物は?」
「好きな食べ物? そうだなぁ、特にないかな」
僕はクレープを食べながら考えてみたが、全く思い浮かばなかった。昔はあったはずなのだが、最近は旅に出るまで食べる事自体に興味がわかなかったのだ。
「――人間やエルフと言われなかっただけマシか」
「まさか。僕は食べないよ」
思わず笑ってしまった。
「オニキスは何が好き?」
「お前」
「――? え、僕の事を食べるの? オニキスこそ、人間が好きとか? あ、僕は魔王だった」
僕が目を見開くと、勇者が喉で笑った。
「本当はクレープが好きだ。一口くれ」
「良いけど」
なんだかよく分からないが、オニキスはクレープを一口食べた。そんなに好きなら、自分の分も買えば良かったのにと僕は思う。
それから僕らは、館へと戻った。
嗚呼、つい先ほど人の死を見て胸が騒いだ僕は、結局の所それをすぐに忘れた。
なんて言う偽善者なんだろう。
我ながら、吐き気がしたのだった。