26:哀しい唄



次に僕らが訪れた村には、人気が無かった。
ただ緑に覆われていて、民家も屋根まで芝が生えている。
鳥のさえずりだけが、静かに響いていた。
「村を放棄して、移住したみたいだな」
フランが周囲を見渡しながらそう言った。するとルイが大きく頷いた。
「多いですね……決して、裕福でないわけではなかったのに」
「堪えきれなかったのか、この村も」
オニキスがそう口にして、目を細めた。
「どういう事?」
僕が問うと、ルイが民家を一瞥しながら答えてくれた。
「より裕福な街を求めて、移住する者が後を絶たないのです。中にはこの村のように、全員が出て行く場所も――……もっとも、希望を求めて≪聖都≫などへ向かっても、その末路は悲惨なんだけど……」
「兎に角、次の街までは暫くかかるから、今夜は此処に泊まるぞ」
オニキスの言葉に、フランが頷きながら、教会へと杖を向けた。
「あそこなら、まだマシだろう。屋根もあるし。毛布は俺達が持ってるし」
こうしてその日、僕たちは、無人の村の教会に泊まる事になった。

夜はすぐに訪れた。

「寒くないか?」
オニキスが、僕に声をかけた。毛布にくるまっているのだから、全然寒くなんて無いし、仮に寒かったとしても、僕は魔術でどうにでも出来る。
「平気だよ」
「風邪をひくといけない」
そんな心配をここのところされた事など無かったから、思わず笑ってしまう。
するとふてくされたような顔で、オニキスがフラン達を見た。
二人は、二枚の毛布に肩を寄せ合ってくるまっている。
「あ、オニキスが風邪をひいちゃうか」
納得して、僕は毛布を開いた。
二人で毛布にくるまると、想像以上に温かかった。ダイレクトに温もりが伝わってくる。鼓動の音まで聞こえそうな気がして、なんだか緊張してしまった。
「――暫く旅をしてみて、どうだ?」
不意にオニキスに聞かれた。
僕は思案する。絶望みたいなものを、沢山見たような気がした。だけど人はいつか死ぬし、魔族だってそれは変わらない。ただその死に様が、在りようが、どうだったかという違いだ。きっと多くの人々が、僕を恨んで死んでいったのだろう。反面、僕が倒されたという報せに歓喜している人々も多いはずだ。それは絶望の終わりの象徴でもあるけれど、勇者達の無事の帰還を喜ぶ声でもあるはずだ。
「城にひきこもって何も知らないでいる方が、気が楽だったかな」
「帰りたいか?」
「そういうわけじゃない」
「俺は魔王を倒せば、それで幸せになれると思っていた。バカだよな」
「そんな事無いよ――多分、今からでも遅くない」
僕がそう言うと、オニキスがまじまじとこちらを見た。
彼の瞳の中に、僕が映っている。
「できない」
勇者はそう言うと、不意に僕に口づけた。いつかも、同じ事をされたような気がする。オニキスはキス魔なのだろうか?
「っ」
息苦しくなって藻掻くと、強く抱きしめられた。
それから、僕の肩に顎をのせて、勇者が再び言った。
「できない」
まるで哀しい唄のフレーズが繰り返されているような、静かで流麗な声音だった。
「どうして?」
「それは――何に対してだ?」
「僕を殺す事が出来ない理由」
「……やっと見つけた気がするからかも知れない。お前がいなくなったら、俺もいなくなる気がする」
その言葉に、本当の勇者は一人で、魔王も僕一人だという事を思い出した。
オニキスは、やっぱり本物の勇者なのかも知れない。
だとしたら――やってもらわなければ困る。
「今、何を考えていた?」
見透かすような顔で、勇者が僕に聞いた。
「別に」
悟られてはいけないような気がしたから、僕は顔を背けた。
するとオニキスに、顎を捕まれ、正面から再びのぞき込まれる。
「好きだ」
「――え?」
「アルト、俺はお前の事が好きだ」
僕はその言葉に、思わず首を傾げた。
「どの辺りが?」
純粋に分からない。これまで旅をしてきた中で、僕が好かれる要素が見あたらない。
「無性に笑顔を見たいと思うんだ、幸せにしてやりたい」
「僕は……別に、不幸じゃないよ」
「ならば、今以上に」
オニキスの言葉が上手く理解できなくて、僕は困ってしまった。
「だから、ずっと一緒にいて欲しい」
そんなの無理だと、僕は思う。ずっとなんて、基本的に存在しない。第一、僕は近々本物の勇者の手によって死亡する予定だし、仮に本物の勇者が見つからなかったとしたら、僕は不老不死でオニキスは人間なのだから、終わりはすぐに来る。
「俺はアルトと一緒に、新しく始めたいんだ。この生を」
「……新しく?」
「勇者としてではない俺を、そして魔王としてじゃないお前と」
「魔王じゃない僕……」
そう言えば自称神様も、魔王業は休んでも構わないと言ってはいた。けれど僕には、魔王をしている以外の自分の事が、上手く想像がつかない。精々こうして旅をしている姿が関の山だ。
「僕は何をすればいいの?」
「側にいてくれたら、それで良い」
オニキスはそれだけ言うと、瞼を伏せて、眠り始めてしまった。
取り残された気分で、僕は俯いたのだった。


翌朝、僕はオニキスを起こさないようにしながら、教会の外へと出た。
朝の空気はすがすがしくて、小鳥の囀りも気分を良くしてくれる。
「おはよ」
すると唐突に声がかかったものだから、僕は驚いて振り返った。
そこには至極珍しい事に、朝に弱いフランが立っていた。
「おはよう。今日は早いんだね」
「まぁな。昨日の夜中は、熱烈な告白が隣で行われていたわけだし?」
「そんなことがあったの?」
僕が首を傾げると、何故なのかフランが眉を顰めた。
「お前、あのな、オニキスに告られてただろうが!」
「そうなの?」
「好きだ、側にいて欲しい、一緒に人生を歩いていこう、的な事を言われてただろう?」
「あれって告白だったの!?」
僕は驚いた。告白なんてされた事がないので、告白だと気がつかなかったのだろう。
「しかもキスしてただろう!」
「ってきりオニキスはキス魔なのかと……」
「ありえねぇだろ。それで? どうなんだよ?」
「どうって、何が?」
「返事」
「返事って……告白に対する返事?」
「他に何があるんだよ」
どうしたらいいのか、僕は正直言って分からない。
「……ええと、だけど、何に対して返事をすればいいの? 付き合おうとも何とも言われてないし」
「自分も好きだとか、色々あるだろう」
「嫌いじゃないけど――そもそもオニキスは本気で僕の事を好きなの? どうして?」
「知らん。ただし本気だとは思う。嫌いじゃないんなら、付き合っちゃえよ」
「それはちょっと……」
僕も長い事この世界で生きてきたから、同性愛が案外普通にあるのだと言う事は分かる(魔族だけかと思っていたのだけれど)。ただし、どうせならな、女の子と付き合いたい。第一付き合って恋人になってしまったら、尚更絶対にオニキスは僕を、本物の勇者だったときに殺してくれない気がする。そうしたらオニキスの死後、次の本物の勇者をまた長い事待たなければならなくなるのだろう。
「何か問題があるのか?」
「……ちょっと、暫く考えてみるよ」
僕はそう言って、適当に誤魔化す事にした。
ただ、瞬きをする度に、昨夜の真剣なオニキスの瞳が過ぎった気がしたのだけれど、気のせいだと思う事にしたのだった。