27:肥えた蛾



オニキスに告白をされたのだと改めて意識したのは、朝食の時だった。
フランと共に教会へと戻ると、オニキスとルイが食事の用意をしていてくれたのだ。
「美味そう」
そう言ってフランが、オニキスの隣に座る。
僕はルイの隣に座った。そして気がついた。真正面にいるオニキスの顔がまともに見られない。だから必死で、眼前にある目玉焼きとパンとチーズを見ていた。
ここには僕たち以外に人気はないから、これまでの癖で、手を合わせて『いただきます』と口にする。
――なんだか、オニキスの顔を見ると、頬が熱くなって動揺してしまう気がする。
まともに顔をを見ることが出来なかったし、彼が視界に入ると苦しい。
一体この感覚は何なのだろう。
僕は長いこと生きているから、もう大抵の感情は経験済みだと思うのに。

「……」

結局その朝食の席で、僕はオニキスと一度も目が合わせられなかった。
もしもフランに何も言われなかったのならば、通常通りに過ごしていたと思う。
だが、一度意識してしまうと、その限りではいられなかった。
――嗚呼、僕はオニキスを意識しているのか。だけど。
いい知れない気まずさが、僕の真正面に横たわっている気がするのだ。
「お、おいしいね」
ルイの言葉に顔を上げると、皆が一様に頷いた。
気まずい気配が漂っていると思っているのは僕だけなのかも知れない。
「――ちょっといいか」
オニキスにそう言って声をかけられたのは、食事を終えた時の事だった。
僕は頷いた。


食事を終えてオニキスに着いていくと、廃墟の家屋がそこにはあった。
ここからも人が出て行ったんだなと僕の気分は低空飛行になる。
「――おい」
「なに?」
中を見ながら、僕は聞いた。
「俺の気持ちは、ちゃんと伝わってないのか?」
「え?」
「……昨日、話しただろ」
その言葉に僕は振り返った。
――伝わっていなかったら、こんなに意識したりしないと思う。
だがそう伝えることは即ち、意識しているのだと公言することになるから、僕は言葉に詰まった。断らなければ。僕らは魔王と勇者であり、僕はいつかオニキスに殺される予定なのだから。反射的にそう考えたのだが、そんな思考とは裏腹に、ドクンドクンと嫌に鼓動が耳につく。オニキスは金色の瞳に真剣な色を宿して、僕をじっと見ている。
「アルト」
二人きりの家の中で、オニキスが僕の腕を取った。
その指先の感触と違う体温に、思いの外動揺した。
何か抗いがたい力が、触れた皮膚と皮膚との間にある気がする。
「待って、オニキス。僕は――」
そのまま抱きすくめられたので、我に返って僕は、両手で彼の胸を押した。
しかし力強い腕が背中に回っているため、身動きが取れない。
それから再びキスをされた。
柔らかいのに薄い唇の心地よさが、僕を絡め取って離してくれない気がする。
僕は、きっと非力で、だから彼を拒めない。
だけどそんなのきっと、僕にとって都合の良い言い訳だ。
暫しの間キスをし、互いの間をつなぐ、透明な線を見た。
「嫌か?」
オニキスが、何処か辛そうな声で、僕の耳元で囁いた。
心が僕自身を裏切るように、騒ぎ立てる。多分潮騒にその感覚は似ていた。何よりも僕を裏切るのは、僕の身体だ。
「嫌じゃ……無かったとして」
「ああ」
「僕らの関係に、未来はない」
ポツリと呟き俯いた僕は、本当は背中に回ったオニキスの腕に縋り付いて泣き出したいのだと思う。だが、そんな事は出来るはずは無かった。
小屋――僕らのいる後ろ側では、肥えた蛾が藻掻いていた。
バタバタと蠢くその蛾は、多分僕に似ている。
すぐに死ぬだろう事も、羽が地に落ちた事も含めてだ。
「未来は俺が作る。俺達で作ればいい」
「無理だよ、だって僕は――」
「やっぱりお前は、死にたいのか? 今でもなお」
その言葉に息を飲むと、オニキスが苦しそうな顔をした。――今でも?
真意が分からない声に、眼を細めた。
オニキスは、どうやら僕の意図を知っているらしい。どうして、何故、と聞きたいことは沢山あった。だけど、一つだけを僕は舌に乗せる決意をする。
「僕が死なないように、優しくしてくれるの?」
「なに?」
「僕が君に絆されて、生き続けることを、諦めないように」
何となく僕は悟った気がした。彼は勇者だ、それも魔族にも優しい勇者だ。恐らくロビンに頼まれでもしたのだろう。そうじゃなかったら、オニキスが僕に目をかける理由なんてきっと無い。
「違う」
「じゃあどうして――僕のことが好きなの?」
「お前が、あの時泣いていたからだ。恐らく今になって思えば、あれが契機だった」
「泣いていたって、何時?」
「硝子窓の前で、月の光を眺めながら。嗚呼、このままでは、消えてしまうんじゃないかと思ったら、どうしようもなく怖かった。俺は、月に何てお前を渡したくなかった」
「なにそれ、月が僕のことをどうにか出来るはずがない」
「だが儚く消えそうだったのは事実だ。まるで、雪みたいだった」
雪という言葉に、僕は思わず息を飲み、顔を上げた。
瞬間的に、もう何百年も、それこそ千年以上目にしてはいない、掌で消えていく冷たい感覚を思い出した。
「君と一緒に旅をしたら」
「ああ」
「雪を見ることが出来るの?」
「お前がそれを望むんならな。雪が降る≪都≫は少し寒いけど、俺が抱きしめてやるから」
そう言って苦笑するように、オニキスが腕の力を強めた。
その温もりは、やはりどうしようもなく心地良かった。