29:月だけが見ていた、それを



「……――ルト。アルト」

誰かに強く名を喚ばれ、僕は目をうっすらと開いた。
何故なのか泣いていた僕は、睫の上から頬へとこぼれた雫に困惑する。
正面には、オニキスの顔があった。
「大丈夫か?」
「……え?」
「魘されていたぞ」
「僕が……?」
そう言えば、随分と懐かしい夢を見ていたんだっけと思いだし、思わず苦笑しながら、片手の腕で涙を拭った。
「ごめん、煩かった?」
「違う。心配になったんだ」
「心配?」
「好きな奴が、例え夢だとしても苦しんでいるのを放っておけるか? その権利すら、俺には無いのか?」
そういうと僕の体の上にのり、オニキスが額にキスをしてくれた。
それから髪の毛を撫でられる。
そんな優しさが逆に苦しくなって、声こそ堪えたが、僕は涙がこぼれるのを止められなくなった。もう、あんな苦しみは味わいたくない。和平は、確かに模索していたけれど、あの時頷いたのは、本当に軽い気持ちだったのだ。けれどそのせいで二人目の勇者だったトキトは死んだ。死んでしまったのだ。そうだ、僕のせいで。
「オニキス……やっぱり僕は、君の好意は、本当に本気なのだとしても、からかってるんじゃないんだとしても、受け入れられない」
「何故?」
「もう……僕のせいで、誰かが死ぬのは嫌なんだ」
「それは、」
オニキスが眼を細めた。僕は腕で涙を拭う。
「過去に好きだった相手が死んだと言うことか?」
「違う、そんなんじゃない。だけど、勇者だった。彼は、何も考えずに僕を殺せばそれで良かったはずなのに。お姫様と結婚してさ、その後二人は幸せに暮らしました、みたいなハッピーエンドになるはずだったのに、だけど……」
「それで、どうなったんだ?」
「人間と魔族の和平を模索して、魔族に魅入られたって言われて処刑された。今の君とほとんど同じだ」
「――俺とそいつを重ねているのか?」
「顔も性格も何もかも似てないけど、僕を生かしてくれるって言う共通点はある。やっぱり僕は、倒されて、死ぬべき何だ、そうなんだよ。それが、それが、ハッピーエンドなんだ」
言いながら苦しくなって、僕は咳き込みながら、また泣いた。
寝台の上で、僕は上半身を起こした。
するとその瞬間、不意に抱きしめられた。
「俺は、お前が考えてるほど、綺麗な人間じゃない」
「え?」
「魔王だろうがそうじゃなかろうが、お前のことが好きなんだ。多分、最初から。月を見て泣いているお前に惹かれた、理由は分からない。ただ、自分の物にしたいと思った、一緒にいたいと思った。だから連れてきた。お前に世界を見せたいとか、何もかも、きっと全部口実だ。ただ俺が、一緒にいたかっただけなんだ」
オニキスの腕の力が強まり、目を伏せ涙をこぼしたままの僕は、額を彼の胸に預けた。
「そもそも、だ」
「?」
「勇者が魔王を倒さなきゃならないなんて、誰が決めたんだよ」
吐き捨てるようにオニキスはそう言うと、溜息をついた。
「まぁ、それは追々探ればいいか。今のお前は、俺に倒されたことになってるんだしな」
「オニキス……」
「なんだ?」
「オニキスは、どうして僕の側にいてくれるの?」
「だから、初めてあった時から、俺の物にしたいって思ったからだって、さっきも言っただろ」
「――外見が好きって事?」
そう言えばそんな加護を貰ったのだったなと、久方ぶりに僕は思い出した。
「違う。泣いてる表情、何か苦しそうで、俺まで辛くなった。笑わせてやりたいって、そう思ったんだよ。旅をしていく内に、その想いはどんどん強くなってなぁ……多分俺は、アルトのことを幸せにしたいんだ、幸せだって感じて欲しいんだ。俺と一緒にいる時に」
そう告げ、苦笑するように、頬を持ち上げてから、オニキスが再び僕の髪を撫でた。
「お前はさ――さっき、無理だって言ってたけどな、俺と一緒にいて、俺を幸せにしてくれないか? 俺は、お前が側にいてくれるだけで、幸せになれる」
「オニキス、っ、あ、僕は、僕なんか――」
「なんか、じゃない。お前が良いんだよ、アルト」
そう口にしてから、オニキスが僕に触れるだけのキスをした。
「過去に何があったのか、俺は聞かない」
「……」
「アルトがいつか、話せると思った日に改めて聞く」
「……良いの?」
「ああ。だから、お前も『今』を見てくれ」
「っ」
「俺とのことを真剣に考えてくれ」
そう言うと、オニキスが更に腕に力を込めた。
「好きだ。好きなんだ」
「っ、オニキス」
「答えは急がないから」
苦笑しながら言い、オニキスは自分のベッドへと戻っていった。

呆然としながら、再び布団に体を預けて、僕は考える。
――好き?
――本当に?
ぐるぐると思考が回る。
何故、どうして? そんな思いが強かったから、先ほどのオニキスの言葉を思い出す。
泣いている表情に魅力を感じたと言っていた。
その理由が、そもそもよく分からない。
布団を頭までかけ、暗闇の中で、僕は自問した。
――なら、自分は?
己がオニキスのことが明確に好きなのか、分からない。
何せこの世界に来るまでも、もう大分年数が経つが日本にいた時すら、恋なんてしたことがなかったからだ。
ただ――いつか、殺して貰うわけであるとしても、オニキスが口にした通り、今だけを考えるのならば……多分、一緒にいたい。いたいのだ。そんな思いが許されるはずはないのに。

きっと、その気持ちは、恋という名前をしているのだろうと思った。

窓から差し込むそんな僕を、きっと月だけが見ていた。