32:恋人に全てを伝える事
翌日からも旅は続いた。
この度の目的は、≪聖都:ローズマリー≫への勇者の帰還だ。
あと十日ほどで着くのだと、僕は聞いていた。
そんな事よりも、だ。
――何よりもオニキスと体を重ねてしまったことが、恥ずかしくて仕方がない。
いよいよまともにオニキスの顔が見られなくなり、目があったりしただけでも苦しくなって胸が疼く。
その感情は、自分自身が死を選ぶために、と言う理由とは、何処か乖離しつつあった。
もしかしたら、僕は初めて、恋というモノを知ったのかもしれない。
そんな事を考えながら、今日も宿の同じ部屋で、それぞれのベッドに横になる。
体を重ねたのはまだ一度だけだったが、それでも横になる度に、僕は思い出してしまうのだ。オニキスの温度を。寄せ合った体のことを。
今日もきっと何もない――それを僕は分かっていた。
オニキスの優しさを、もう僕は多分知っている。初めての時に僕が狼狽えて困惑して泣いてしまったから、きっと、何もしないんだと思う。
そして僕は、あの温度を確かにまた感じたいと思っているというのに、実際怖くて仕方がないのだ。それは痛みが多少あったからなんかじゃなくて、まるで自分の体が、自分の者ではなくなってしまうような感覚が怖いのだ。
気づかれないように溜息をついて、僕はシーツを握りしめた。
そうしていた、時だった。
「――アルト。聞いても良いか?」
もう既に聞いているじゃないか、何て軽口を、その時親族がバクバクと音を立てていた僕は言えなかった。
「何?」
「お前は何度も倒されてきたんだろう? 勇者は、何人来たんだ?」
「三百年に一回くらいだから、四・五人だよ」
「俺の前の勇者は、どんな奴だった?」
「――召喚されて、異世界から来た勇者だったよ」
ただの雑談だと安堵しながら、魔王になって九百年目だったその時のことを思い出す。
「その勇者は何をした?」
「なんだかね、勇者として召喚された弟のお兄さんだったらしくて、弟を救うために僕を倒したんだ。何だろう、巻き込まれ型って言うのかな」
思い出せば苦笑が浮かんでくる。あの頃は既に、勇者が”ソドム”に入った時点で、総員待避を魔族に命じていたから、被害にあった魔族の数は少なかった。
「その前は?」
「転生勇者だった。異世界で生きていた時の記憶を持っていたらしいよ」
淡々と告げたアルトの声に、オニキスが目を伏せた。
「――そいつは、どうしたんだ?」
「最終的にはお姫様と結婚したんだったかな」
確かそれは六百年くらい前の話だった。懐かしいなとアルトは思う。
「そうか……転生、か。やはり転生すると、見目も変わるのか?」
「性別すら変わることがあるみたいだよ」
「――そうなれば、もう、仮に嘗て他の世界があるとして、そこで共に過ごしていても、もう分からないのか?」
「どうなんだろう。他の世界って一言で言ったとしても、様々な土地があるからね。必ずしも同じ時間で近い距離で生きていたとは限らないんじゃないかな」
「そうか。成る程な」
そんなやりとりをしてから、今度は僕が聞いてみることにした。
「――オニキスが育った村は、どんなところだったの?」
すると僅かに考え込むような沈黙を挟んでから、オニキスが答えた。
「何もない山間の村だった」
「そうなんだ」
「ただ一つだけ、洞窟があって、その奥に今俺が持っている勇者の剣が突き刺さっていたんだ。俺はそれを抜いてしまった」
「抜けたのは凄いことだと思うけど」
「――どうだろうな。魔族を屠る度に、コレが正しいことなのか自問していたんだと思う。今になって思えば。ただ……お前に出会えたから、これで良かったんだと今では思っているんだ。最初はそれこそ単純に復讐に駆られていたにしろ」
「いつか、オニキスが育った村を見てみたいな」
「嗚呼。≪聖都≫へ顔を出した後、必ず連れて行ってやる」
そんなやりとりをしてから、二人は静かにそれぞれ目を伏せたのだった。
彼等はそれから野宿や、各街での宿泊を繰り返し、≪聖都:ローズマリー≫へと向かった。
ただ、それでも。
僕は不思議なことに、世界に色彩なんてやはり感じなかったのだ。
全ては不可思議な灰色に見えて、その場に自分がフィットしている気がしない。
ただ、ただ、オニキスの側にいる時だけは、世界が明るく見えるのだ。
その理由なんて、僕自身にも分からない。
寧ろ、こんな風に、心を乱すオニキスのことが、本当は僕は嫌いなのかもしれない。
オニキスと一緒にいると辛くなったり苦しくなったり、胸の疼きが止まらなくなって頬が熱くなって、泣きそうになるからだ。
何も出来ない己の無力を突きつけられるようで、吐き気がした。
――嗚呼、どうして僕は何も出来ないのだろう。
一つだけ、だけど僕は気がついた。
僕はコレまで死にたい死にたい終わらせたい消えたいと、自分のことしか考えては来なかった。自己中心的だったのだと思う。
だけど今は、少しでも、オニキスのために何かが出来たらいいと思うのだ。
そして、何も出来ない自分に多分絶望していた。
きっとオニキスは、僕に何かを望むことはないし、僕が何も出来なくても気に何てしない。
だけど何かをしてあげたくて、なのに何も出来なくて――その上、必要とされない現実が確かに底には横たわっているのだ。
恋人とは、そう言うもので良いのだろうか。
僕には恋なんてそんなもの、今でも確かに確固としては分からない。
だけど……そんな僕自身のことが、僕はどうしようもなく疎ましい。嫌いで嫌いで仕方がない。気がつけば、僕は無力だった。何も出来ない。何かしたいのか、何をしたいのか、それすらも分からない。こんな自分が恋人、何て言ってもらえる価値があるのか。
きっと、無い。
息苦しくなって、僕は、再びシーツを握りしめた。