【6】告白と温もり
「――なんていうか、セットって感じだよな」
数日後、僕は新しい魔導書を製作する素材の、インクの調合に街に降りていた。すると隣に並んだ眞山くんが、不意に声をかけてきた。
「何が?」
「暁と新さん、お前と楪」
「……」
僕は言葉を考えた。しかし特に上手い言葉も思いつかなかったから、沈黙した。眞山くんに対しては、それが許される。僕達二人の姿に気づいた魔術師達は、遠巻きにこちらを見て、黄色い悲鳴を上げていた。おそらく僕は、あの中の誰であっても、声をかけてきて、楪と同じくらいに積極的だったならば、一緒に住もうと口にしていただろう。
「断言する。絶対に破綻する」
「それ、君の願望だろ?」
「――ああ、そうかもな。俺にしておけよ」
お互い無表情で、インクに練りこむ星砂を見据えながらのやりとりだった。
眞山くんは、言葉こそ積極的だが、それだけだ。
こうして街で顔を合わせない限り、彼が自分から僕のところへ来ることもない。
強引というのは、ある種の利点なのかもしれない。
何も持たない人間のことを、すぐに絡め取るからだ。おそらく僕がたくさんのものを持っていたならば、単純に鬱陶しいと切り捨てたのだろうとよく分かるが。念頭に置いているのは、勿論楪の事だ。
「あれ、眞山くんもいる。ついに二冊目?」
そこへ朗らかな声がした。そろって僕達は振り返った。そこには暁さんが立っていた。思わず微笑み、僕は会釈をした。眞山くんも小さく笑うと頭を下げた。一方の暁さんは、最初から笑顔だ。格好良いと評して構わないだろう。
「いえ、俺は、叶野さんに次の攻略時に必要な魔導書の依頼に来ていたんです」
それは事実ではなかったが、いつも結果的に事実となる回答だった。眞山くんは、二人きりでなければ、僕を『唯理』と呼ぶことはない。人前では、相応に僕を立てる。無論それは、社交術だろう。客観的評価として、僕は目上であり、僕に馴れ馴れしい態度をすれば、糾弾されるのは、彼なのだ。彼のそう言った保身も、楪とは異なる。
「そうだったんだね。俺もいつか、眞山くんに率先して使ってもらえるような魔導書を書いてみたいな」
「恐縮です。暁さんの魔導書なら、今すぐにでも歓迎だ」
「それはどうだろう。俺の魔導書は、次の三十一階の迷路罠の解除にはあまり適しているように思えない。そこはやはり、唯理くんの魔導書が本当に秀でていると思うよ」
暁さんはそう言うと、僕を見て優しく笑った。心が温かくなる。彼の言葉は、イヤミには聞こえない。それが常々不思議だった。
「そうだ、今から新と久しぶりに外食しようと話していたんだけど、二人もどうかな?」
「――俺が入るのは、申し訳ないです。光栄ですが、三賢人に混じって食事など、とても」
「楪くんは気にしていなかったし、眞山くんも気にしなくていいのに。ねぇ、唯理くん?」
「僕は元々、暁さんと新さんと一緒に数えられる事が身に余る光栄なので」
僕は苦笑した。僕と暁さんと新さんは、三人でひとまとめに、三賢人と呼ばれているのだ。――断る眞山くんの気持ちもわかる。既に一つの魔導書流派ができていて、僕達はその重鎮という扱いなのだ。下手に食事に同席すれば、同じ派閥と看做される。気鋭の眞山くんは、本来そういうものを得意とはしていないし、嫌悪すらしているだろう。僕だって、あまりそういうものは好きではない。もしも、暁さんや新さんの人柄が違ったならば、こうして並んでいようとは思わないだろう。
「そう? 残念だけど――唯理くんは、食事、大丈夫か?」
「ええ。良かったら」
「では、俺はお先に失礼します」
眞山くんがそう言うと、一度僕を見て笑った後、歩き去った。遠ざかる背中を眺めていると、静かに暁さんに肩を叩かれた。
「邪魔をしてしまったかな?」
「いえ、そんな事は。それよりも、どこに食べに行くんですか?」
「――何か食べたいものはある?」
「考えてなくて」
「実は俺もなんだ」
暁さんはそう言うと、悪戯っぽく笑った。
「あんまりにも眞山くんと親しそうに話しているから、嫉妬してね。唯理くんはオレの憧れだから――つい、追い払っちゃったんだよ」
「え?」
「新は、楪くんと家で味噌汁作りをしていると思うよ。先程、新と俺で買い物をしていたら、楪くんと会ったんだ。それで――唯理くんを探していたんだ。聞きたいことがあってね」
「そうだったんですか。味噌汁……ええと、聞きたいこと? なんですか?」
僕が尋ねると、暁さんが一瞬だけ瞳を細めた。僕は驚いて改めて暁さんを見る。その時には既に、暁さんはいつも通りの表情に戻っていた。
「――楪くんと、一緒に暮らすというのは本当かなと思ってね」
「ああ、一応そういう話は」
「楪くんが好きなのかい? これまで、改めて聞いたことは無かったけれど」
「いえ、その……」
「不躾だとは思うけど、こればかりは聞かせて欲しいんだ」
思わず僕は俯いた。暁さんのように清廉潔白で綺麗な人に、自分の緩さを知らせるのは気が重い。ただ、少し違和感を覚えた。元々僕が暁さんを好ましいと感じてきたのは、こういった踏み入った事を彼が聞いてこなかったからだ。一緒に暮らすというのは、その前例を変えるほどに、衝撃を周囲に与えるのだろうか?
「ねぇ、唯理くん、正直に教えてくれないか?」
「……」
「俺も、唯理くんが好きだから」
「――え?」
その時続いた言葉に、驚いて僕は顔を上げた。
「唯理くんを誰にも渡したくない。楪くんにも――勿論、眞山くんにも。これまでは、君が誰かを選ぼうとしたことはなかったから、俺も我慢できた。けど、もう我慢するのは止める。君が欲しいんだ」
「暁さん……あの……暁さんには、新さんが――」
「勘違いしていると思っていたけど、俺と新は別に恋人じゃない。そして勘違いさせておいたのは、君の近くにいたかったからだ。俺の好意を知って、君に距離を置かれたくなかった」
「っ、え……」
「一目見た時から、もう君の事以外考えられなくなった。会う前からその才能に惚れ込んでいた俺には、唯理くんは眩しすぎた」
暁さんは、そう言うと、僕の頬にそっと触れた。
「暁さん、それって……その……僕と、あの――」
寝たいのかと、僕は機構として口ごもった。瞬時に僕は、暁さんと自分が睦み合う姿を想像し、赤面していた。すると見透かすように暁さんが頷いた。
「君さえよければ、食事は宿でどう?」
断る言葉を持たないまま、僕は暁さんに手を取られた。歩き出した暁さんを追いかけることだけで、必死になる。ドクンと胸が一度啼いた。柄でもなく僕は緊張していたと思う。
ただ、僕は僕に向けられた好意に反応しただけであり、別段暁さんが好きなわけではない。それは、自分自身が嫌というほど自覚していた。
それでも歩きながら、暁さんの手の温もりが優しすぎて、僕の心は浮き足立った。