ハゲ頭絶対阻止委員会!


朝、清々しく目を覚まし、俺は上半身を起こした。
そして。
「っ」
びっくりして目を見開いた。父さんのまくらと同じような匂いがする!
恐る恐るまくらへと振り返れば、髪の毛も抜けていた。
口元だけで必死に笑ったが、頬がピクピクと引きつってしまった。
ーーなぜ手の甲は毛深いのに、髪の毛抜けるんだよ!
ため息をついた後奥歯を噛み締めた。
そうしながら両手で顔を覆う。カサカサしていた。
唇を撫でて見たら薄くて、カサブタみたいなのが幾つかある。
目の下には自分でもわかるクマ。よく眠れなかったわけじゃないんだけどな……まさかたるみじゃないだろうな! たるんでるの? え、嘘だろ?
二重あごだったりするのだろうか?
お腹も出ているのだろうか?
戦々恐々としながら、まずは首のしたを確かめるとセーフだった。
次に恐る恐るお腹を見てみれば…………!
「腹筋が割れてる!」
思わず声をあげてしまったのも仕方が無いだろう。着替える時なんてろくに意識しなかったのだが、このおっさんの体、着痩せするタイプのマッチョだ! ガタイもいい、なんだこの厚い胸板は! うわぁぁあ死ぬ前に愛用していたプロテインが死ぬほど今ほしい! まぁ死んでるんだけど。肩に触れてみる。元の俺よりずっと広いな。というか、今更だけど背が高い気がする。気づいてみれば、視界が違う! いいなぁこの体……これで十七歳なら言うことなしなんだけどな……。せめて二十代ならな……。アラフォーか……。

それから俺はお風呂に入った。ちゃんと石鹸やシャンプー類もあった。
俺は湯船につかったり、シャワーを浴びながら、ボディービルダーの真似をした。
脇毛とすね毛は見なかったことにする。男から見てもちょっと濃すぎた。
すごく肩と足に筋肉が着いていて格好いい! 格好いいではないか!

「あのー、ドライヤーかしてください!」
入浴後声を張り上げると、ひょいとビオラが顔を出した。
「どらいやぁ?」
不思議そうな声が返ってきた。電化製品はないのか。
「ええと、何か髪の毛を乾かせるものは……」

放置したら絶対禿げる。絶対やだ。俺は昔あだなで、デコって呼ばれたことがあるのだ。以来髪の毛には最新の注意を払い、特に前髪の流し方には気を使っている。いつの日かこの努力が報われると信じている!

「ああ、風と火の魔術の応用かぁ」
「お願いします」
「……いいですけど、どうしちゃったの?」
「?」
「本当急によく喋るようになって。しかも敬語だなんて。びっくりしてさ」

そんなやり取りをしているうちに、温風を送られて無事に俺INおっさんの髪は乾いた。ああ、毛根を補強する魔法ないかな。

「まるで違う人見たい」

その言葉にどきりとしたが、そうです、なんて言ったら病院ーーじゃなくて教会送りになる(と脳内の記憶が言っている)。
俺は無言キャラを貫き通すことに決めた。その方が都合が良さそうだ。
それから二人でダイニングに向かうと、アボガドのサラダと、ポタージュ、スモークサーモンのサンドイッチがあった。
もちろんいただいた。
この世界ではごちそうさまの代わりに手の指を組んで一度ひたいに押し付けてから食べるらしい。やって見た、それが功を奏したのか魂? が別物だとはバレなかった。そうして食事が始まった。
「今日は食べるの早いね」
「……」
え、おっさんはゆっくり食べるの? そんな記憶ないけど……!
俺は急いで食べないとすぐにお腹がいっぱいになっちゃうんだけどなぁ。
しかしおっさんの体だ、大丈夫だと祈ろう。
それとなく少しずつ食べるペースを落として行く。
こういう些細なことは、まだまだわからないことだらけだし、記憶にもあんまり見られないから無意識だったんだと思う。ちょっと気をつけないとまずいかもな。
「ところでゼクス。昨日は随分慌てていたけどどうしたの?」
俺は無言を貫き通す決意をしている。
いや、無言はわかったけど表情変化とかした方がいいのか?
思ったより難易度高いなこれ。
なぜなのかこの家に置いてあったおっさん用私服の首元の布を引っ張り上げて、俺は表情を隠した。違う人だとばれても困るし。本物どこ行ったって言われても俺も知らないわけだし。
それより話だ! やっぱり無言じゃできることに限りがある。
そもそも、そうだ。王様に処刑されてもいいから好きに生きようと思ったんだから、このエルフ君にばれてもまずいことなんてないよな。
俺は一人頷き口を開いた。
「ちょっと人目につかないように行動したいんだ」
「ふぅん。騎士団の仕事はいいの?」
「今はしなくちゃならないことがあるから」農業とか!
「了解。いつもの雲霞のローブだしてくるけど、またスラム街いくの?」
なぜなのかは知らないが、この家にはおっさんの私服がいっぱいあるらしい。
「いや、そのーー」怖いからそこには行きたくない。
「まだ"紅毒蛇の切り裂き魔"をおってるんだね。いくらゼクスでも、危ないから本当に心配なんだ」
「……いや」あの、だから行きません。
「応援しかできないけど、ゼクスに祝福があることを祈ってる」
なんだかかなしそうな苦笑で見据えられた。いや行かないって言いたいのに。なんで人の話遮ってくるかな。むしろ行けって言ってるよね、これ。早くこの家から出て行けって意味か? しかし、仕方が無い。
「………とりあえずスラム街行ってきます」

こうして俺は、スラム街へと出かけることにした。
雲霞のローブとは存在感を消す効果があるらしい。
このおっさんに存在感があるとは思えなかったが、昨日ヒソヒソされたのだし、ビオラから当然のように渡されたので身にまとった。そしてビオラにお礼を言って出てきたのだが、熱でもあるのかと心配された。俺は、おっさんがこれまでどうやって生きてきたのか非常に疑問である。テレパシーでも使えたんだったりして。
ただそんな記憶はない。
とりあえず今は、頭に浮かんできた地図の通りにスラム街を目指す。

なんでもここは王都サイプレスと言うらしく、お城のあるサイプレス地区の隣のポップス地区だそうだ。
スラム街はさらに四つ隣の地区、アンダーテイク地区にあるらしい。
間にある公園地区や商業地区などを通り過ぎ、俺はスラム街へと辿り着いた。
地区全体を、高い位置にある灰色のアーチが覆っていて薄暗い。
また、これまで歩いてきた地区とはことなり、下へ下へとレンガの床が伸びている。至るところに階段があり、横穴や怪しい店が並んでいる。ひと気は少なく、骨のように痩せた老人やこどもが数人、こちらもまたレンガ製の壁に背を預けて、虚ろな顔をしていた。ボロボロのクリーム色の衣を羽織っている。
足を止めようと思ったのだが、道順を体が覚えているらしく気がつけば走るようにして、俺は階段を登ったり横穴をくぐったりしていた。直感的に走らないとやばいとも感じる。そうしてたどり着いたのは、レンガの壁に埋め込まれるように存在する深緑色の扉の正面だった。これをーー22・1・22・3・1・22・3・1・2とノックしてドアのぶを傾けて押すと中へとはいることができる。そう思い出した時には、すでにそうしていた。

「おおーザクスさんじゃん、おひさー!」

後ろ手に扉を閉めると、向かって左側から声がした。
巨大なハープを持っている青年がそこにはいた。記憶によると吟遊詩人の、ラキだった。長い金髪を肩のところで結んでいる。
「おひ」さしぶりです、と続けようと思った。だが。
「ザクス団長そろそろくると思ってましたよ、やめたんですって?」
今度は右側からかかった声に遮られた。
そこには頭にバンダナを巻いた故売屋のシークの姿がある。なんでも売ってくれるらしい。情報なども。
職業柄俺が辞めたことも知っているのだろうか? 聞いてみよう。
「なん」でしってるんですか、と言おうと思った。
「それはそうと、また"紅毒蛇の切り裂き魔"の被害が。いくら犯罪者や、スレスレの灰色の俺みたいなのがいるとはいえ、スラムでもおお困りです」
思っただけで終わった。

そして俺はだんだん気がついた。
多分おっさんは話さなかったのではなく、周囲がおっさんの言葉を待たずに話を続けて行くせいで何も言えないだけだったのだろう。敬語が珍しいのも、おそらくは、短い言葉を挟むので精一杯だったのだろう。
おっさん、結構不憫だったんだな。

「ーーとまぁ、そういうわけで、何とかして欲しくて。騎士団連中も、ゼクス団長以外、スラムなんて守っちゃくれませんしね」

まずい、全然聞いてなかった。
そういえばエルフのビオラも、目の前にいる故売屋のシークも、紅ナントカ魔が云々と言っていたのは耳に残っている。必殺、記憶検索! ああ、"紅毒蛇の切り裂き魔"俺の聴覚それなりに聞いてたんだな。
で、なにそれ。
「ーーで、本当に悲惨だったんですよ、昨日なんて頭を狩られてーー」
「頭を狩られた!?」
髪の毛を奪って行くのか! ハゲ頭絶対阻止委員会委員長として、それは見過ごせない。
いやむしろ全力疾走で逃げた方がいいのか。どっちだ。
それにしても、俺はスラムに来て一体何をすればいいんだろう。
「帰る」
よくわからないが、面倒くさかったのでもういいやと思った。

扉から出て、今度はまっすぐに歩き、突き当たりの角を右に曲がった。
さらにその中央には、左右に伸びる通路がある(と記憶が言っている)。
疲れたのでため息を尽きながら長い瞬きをした、その時だった。
「!」
ん! と言いそうになったが声は堪えた。血の匂いがする。
血フェチの俺が言うんだから間違いない。よし、見に行こう!
走って血の匂いがする突き当たり左側へと走った。
「?」
そして眉を潜めた。そこには、顔が蛇で体は人間で、俺と似たり寄ったりのローブをきている青年(?)がいた。
血のありかを探すと……ちょっとエグかった。
頭をかるって髪の毛じゃないんだろうか? いや、まだわからない。
「また貴様か。鬱陶しい。話すのは初めてだが、何度か捕まえられそうになったからな、一度お礼がしたかったんだ」
地を這うような低い声には嘲笑が混じっていた。俺はとっさに髪に毛をかばう。
「お礼なら育毛剤で!」
「……おちょくっているのか?」
「わりと本気です。九割本気です」
もしかするとこの世界に来てから、一番話を聞いてくれているかもしれない。
ただおそらく血の匂いをさせている、そばの遺体は、蛇さん(仮)が犯した罪だろう。殺人は良くないと思うんだ、俺は。それともスラムやこの世界ではありなのだろうか。

そんなことを考えていたら、目の前に振り上げられたカマが迫ってきた。
死神が持っていそうなカマだ。
まずい、頭髪をーーいやもうこれ、俺全体を守らなければ!
俺は大きく息を吸い込み、じっと正面を見据えたのだった。